エピローグ 第四話
リビングの壁にかかった時計は、容赦なく時を刻んでいた。秒針が動くたび、その音が、わたしの心臓を刺すように響く。わたしは、その時間の流れから、逃れることができなかった。
わたしは、日本の平均寿命を漠然と思い浮かべる。
「順当に考えたら、わたしはあと七十年くらいは生きないといけない」
たった一年少しの中学生活の残りが、途方もなく長い時間に感じられるのに、その五十倍以上の時間を、この「普通ではない、絶望的な自分」として生き続けなければならない。その事実に、わたしの思考は停止した。
わたしは、これから先の七十年、ずっと、「普通になりたい」と願いながら、「普通になれない」自分を憎み続け、母の依存的な優しさに甘え、誰にも本心を打ち明けられない孤独な人間として、時間を消費し続けるのだろうか。
その未来を想像すると、胸の奥が冷たくなり、息が詰まった。
わたしは、中途半端だ。
わたしは、今、「生きていることすら辛い」と感じている。体中に、九九パーセントの痛みを抱えている。それは、物理的な痛みではない。心の、存在そのものに対する痛みだ。
学校に行けない。友達がいない。未来がない。過去は呪いだらけ。
この痛みは、わたしを「正常な人間」として機能させない。わたしを教室から、社会から、切り離すのに十分な痛みだ。
それなのに、わたしは、この痛みから「終わったり、逃げたりすること」を許されない。
わたしは、自分で自分の命を絶つほどの、「百パーセントの痛み」には達していない。母がいるから。母に、これ以上の悲しみや迷惑をかけたくないという、最後の良心が、わたしを留めている。
もし、この痛みが百パーセントになったら、少しは楽かもしれないのに。
百パーセントの痛みが、わたしをこの「普通ではない人生」から、解放してくれるかもしれない。すべてを終わらせ、この苦痛の時間から逃れる「許し」を得られるかもしれない。
わたしは、自分の命を絶つほどの勇気もないくせに、心の中では、「解放」を求めている。
わたしは、「百パーセントの痛み」に到達していないがために、「九九パーセントの痛み」を抱え続け、この生を「継続」させられている。
解放を許されない中で、わたしは、いちばん辛い場所にいる。
それは「生と死」の境界線上の、最も不安定で、最も苦しい場所だ。
完全に「死」に傾けば、苦痛は終わる。完全に「生」に傾けば、「普通」に戻れる道が見える。
しかし、わたしは、「死ぬほどの絶望」と、「生きるほどの希望」の、ちょうど真ん中で、身動きが取れなくなっていた。
リビングの壁に顔を向け、キーホルダーを握りしめたまま、わたしは、その中途半端な苦痛に耐え続けた。
わたしが抱える九九パーセントの痛みは、わたしを「生きながらえる絶望」に留めるのに、最適な苦痛だった。
母は、わたしがソファの隅で丸くなっているのを気にかけ、そっと毛布をかけてくれる。母の優しさは、わたしを「依存」という形で生に繋ぎ止める。
わたしは、この「永遠に続くように思える七十年」という未来に、一歩も踏み出すことができないまま、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。この苦痛が、いつか百パーセントになり、わたしを解放してくれる瞬間が来るのだろうか。わたしは、そんな「終わりの許し」を、心の奥底で、切実に願い続けていた。
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