第五章 第三話

彩花と一緒に登校する生活が始まってから、わたしは、毎日、「普通の子」のフリを演じ続けなければならなかった。教室の空気、他の生徒たちの視線、そして、ポケットの中のキーホルダーの真実を隠し通すこと。そのすべてが、わたしの心から活力を奪っていく。

新学年が始まってからあまりにも長い時間が経ったと思ったのに、まだ四月だということにわたしは絶望した。

そして四月が半ばになった今日、学年で遠足が企画されていることが発表される。

「遠足か……」

わたしは、知らせを聞いた瞬間、心底、行きたくないと思った。

毎日の授業でさえ、わたしにとっては苦痛だ。空き教室という逃げ場を失った今、教室にいる時間は、すべて耐える時間に変わってしまっている。

遠足は、学校という枠を超え、みんなと関わらないといけない行事だ。グループ行動、バスの中での会話、自由時間の過ごし方。そのぜんぶが、わたしにとって、監視と評価の場になるのだと思う。わたしが少しでも「普通の子」らしくない行動を取れば、すぐに彩花や他の生徒たちに気づかれてしまう。

行きたくない。普通の授業よりももっと嫌だ。

わたしは、遠足のしおりを握りしめながら、絶望的な気持ちになった。

しかし、その「行きたくない」という感情の裏側で、わたしは、別の、もっと恐ろしい感情に支配されていることに気づく。

それは、彩花を取られるかもしれないという、強い恐怖心だった。

彩花は、明るく、前向きで、誰にでも優しい。特例校の中では、飛び抜けて「普通に近い」存在だ。そんな彼女は、他の生徒たちにとっても魅力的だと思う。

普通じゃない子の中でも飛び抜けて落ちこぼれなわたしにも優しい。

過去を知らないことも関係しているとは思うけれど、わたしは彩花に執着した。


けれど。


彩花の周りには、転入生も含めて、少しずつ生徒が集まり始めていた。

わたしは、彩花が、他の誰かと、わたしよりも深く、親密な関係を築いてしまうことを恐れる。

「彩花は、わたしにとって最後の命綱だ」

そう思った。

彼女は、わたしを「普通」の世界に繋ぎ止める、唯一の存在だ。彼女がいなくなれば、わたしはまた、母子登校の空き教室へ逆戻りするしかない。そして、彩花に真実を話していないわたしは、「裏切られた」と感じて、完全に心を閉ざしてしまう。


わたしは、気づいた。

わたしは、別に、彩花を「好き」なのではない。

わたしが彩花に求めているのは、「友達」という名の「わたしを普通に見せるための道具」で、「わたしを教室へ連れ出す強制力」だ。わたしと彼女の繋がりは、共依存的で、エゴイスティックなものだった。

だからこそ、わたしは、彩花だけは絶対に取られたくないと思った。この特例校という、「普通じゃない子」ばかりの場所で、わたしが「普通」に戻れる唯一の希望は、彩花しかいないからだ。

他に友達になれる人はいない。

由季と梨々の排他的な結界。美沙の暗い孤立。この学校の「明るい振りをしていても暗い」生徒たち。


彼らと仲良くなろうともがいた一年間の失敗が、わたしにそう確信させている。

彩花を取られないためには、どんなに嫌でも、行事に出ないといけない。

遠足に参加することは、彩花との「二人だけの関係」を、他の生徒たちの前で「公認」のものにするための、強制的な努力なのだ。もしわたしが遠足に行かなければ、彩花は他のグループに誘われ、わたしとの距離は、確実に離れてしまうと思う。

「行きたくない……でも、行かなきゃ……」

わたしは、この自分の心を裏切る行為に、深く絶望した。

特例校に来て、「普通」から逃げたはずなのに、結局、わたしは「普通の子のフリ」をするために、自分の最も嫌なことに、強制されている。しかも、その強制力は、「彩花を失いたくない」という、わたし自身の弱さと依存心から生まれているのだ。

わたしは、遠足のしおりを、ポケットの中で握りしめているキーホルダーと一緒に、強く握り込んだ。手のひらが汗で湿る。

わたしの中学校生活は、「普通」を維持するための、終わりのないかもしれない我慢と、自己欺瞞の連続なのだ。そして、その終着点が、どこにも見えないことが、わたしを最も苦しめた。

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