第四章
第四章 第一話
十月になり、わたしは、母に連れられて、適応指導教室へ通い始めた。
その場所は、学校の校舎とは全く違う、市の施設の一室だった。部屋は、明るく、アットホームな雰囲気で、壁には、生徒たちが作ったらしい色とりどりの作品が飾られている。
わたし以外にも、数人の生徒がいた。みんな、それぞれの小学校や中学校を休んでいる子たちだ。けれど、誰もが、わたしと同じように、「普通に戻りたい」という焦燥感を抱えているように見える。
ここにいる二人の女の先生は、本当に優しい人たちだった。
一人は、ベテランらしい、穏やかな雰囲気の山村先生。もう一人は、若く、ハキハキとした、明るい佐々木先生。
二人は、わたしが初めて来た日、穏やかに迎えてくれた。
「北崎さん、無理しなくていいからね。ここは、あなたのペースで、ゆっくり進んでいけばいい場所なのよ」
山村先生は、静かにそう言って、わたしに席を用意してくれた。佐々木先生は、わたしが一人でドリルを広げていると、時折、コーヒーブレイクの雑談のような調子で、話しかけてくれた。
「あのね、亜矢ちゃん。昨日、ここに来てた菜々ちゃんもね、最初は不安でね。でも、今は、北西中学校の授業に、週に二回は出られるようになったんだよ」
その話は、わたしに、大きな希望を与えてくれた。
「もしかしたら、わたしも、しばらくしたら学校に行けるようになるかもしれない」
ここに来て、出席日数を稼ぎながら、心を慣らし、この教室から、元の学校へ、それから系列中学へ、「普通の子」として復帰する。その道筋が、明確に見えた気がした。わたしは、この適応指導教室を、「普通に戻るための訓練所」だとおもって、積極的に勉強に取り組んだ。
ここでは、誰もわたしを「異物」として扱わない。誰も、わたしに「腫れ物扱い」の気遣いをしない。みんな、わたしと同じように「学校から逃げてきた子」であり、「再び普通に戻ろうと頑張っている子」なのだ。
わたしは、ここで、久しぶりに、心から安堵した時間を過ごすことができた。優子たちの呪いのようなことばも、前の先生の怒鳴り声も、ここまでは届かない。
適応指導教室は、わたしにとって、「希望の場所」になった。
十月は、あっという間に過ぎた。わたしは、一度も休まずに通い続けた。母も、わたしが楽しそうに帰ってくるのを見て、安堵している。
「亜矢ちゃん、顔色が全然違うね。やっぱり、あそこに行って正解だったね」
しかし、一ヶ月が経ち、十一月に入る頃。
適応指導教室の空気が、変わった。
まず変わったのは、先生たちのわたしへの対応だった。
最初の頃の、優しく、わたしを労うような態度は、徐々に消え失せていった。代わりに、わたしの些細な言動に対して、厳しく、高圧的な態度を取るようになっていったのだ。
わたしが、問題を間違えて、消しゴムで文字を消していると、佐々木先生が、突然、わたしの後ろに立ち、鋭い声で言った。
「亜矢ちゃん。その消し方、どうなの?雑じゃない?あなた、そういう雑なところが、今の状況を招いているんじゃないの?」
「え……」
わたしは、何も言い返せなかった。前の学校の担任や教頭先生の、わたしを否定するような「怒鳴り声」と、佐々木先生のこの指摘が、重なって聞こえた。
別の日のこと。わたしが、他の生徒と楽しく話していると、山村先生が、わたしたちに近寄ってきた。
「あなたたち、何の話をしているの?ここは、遊ぶ場所じゃないですよ」
山村先生は、わたしだけを見て、強く言った。
「亜矢さん。あなたは、出席日数が足りていない状況を理解しているの?ここで、時間を無駄にする余裕なんて、あなたにはないはずでしょう?」
わたしは、心臓を鷲掴みにされたようなショックを受けた。わたしが、この場所に来ている最大の理由を、先生は「武器」にして、わたしを責めてきたのだ。
先生たちの態度は、わたしの「甘え」を断ち切り、「早く普通に戻れ」と、わたしを急かしているようだった。
そして、その態度は、徐々に理不尽な怒りへ変化してゆく。
わたしが提出したドリルに、先生は、赤ペンで大きくバツをつけ、それを机に叩きつけるように返してきた。
「この問題、何回教えたらわかるの!あやちゃん、本当にやる気があるの!?このままじゃ、系列の中学なんて、絶対行けないわよ!」
先生の怒鳴り声は、前の学校の教頭先生の怒鳴り声よりも、もっと陰湿だった。なぜなら、ここは「適応指導教室」。わたしを助け、受け入れてくれるはずの場所だったからだ。
楽しかったはずの場所が、どんどん辛くなっていく。
わたしは、また、「誰も理解してくれない」という、あの孤独の渦の中に、逆戻りさせられた気がした。
わたしは、なぜ、わたしを助けてくれるはずの場所で、こんなに理不尽に怒られなければならないのだろう。
わたしは、ただ、普通に戻りたいだけなのに。
わたしは、またしても、「安全な居場所」を失い、どこへ逃げればいいのか、わからなくなってしまった。
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