第9話 まる。との最後の会話

仙台の夜は、春を待ちながらまだ冬の匂いを残していた。

街のあちこちで雪解け水が細い流れをつくり、そのせせらぎが静かに響く。

誠は、地下鉄の南北線を降り、広瀬通りを歩いていた。仕事帰りの足取りは、以前よりほんの少しだけ軽い。

娘に言われた「パパの声、好きだったよ」という言葉が、いまだに胸に温かく残っていた。

その晩、まる。の配信が通知された。


タイトルは「たいせつなお話」

心なしか、いつもより短いタイトルだった。

誠はイヤホンを耳に差し込む。


「こんばんは、まる。です……」


その声は、以前のような明るさを装っていなかった。

落ち着いていて、少し震えていて、まるで“これから何かを決める人”の声のようだった。


「えっと、今日は……大事な話をしたいんです。

ちょっとだけ長くなります」


その瞬間、誠の胸の奥に、嫌な予感がよぎった。

配信のコメント欄には「大丈夫?」「元気?」と心配する声が並んでいた。まる。はそれらに微笑むように「ありがとう」と返しながら、静かに続けた。

「実は、母の介護を本格的にすることになりました。

パートも辞めて、もっとそばにいることに決めました。

だから、配信は……少しの間、お休みします」


誠は思わず、スマホを握りしめた。

胸が詰まり、息が苦しくなる。

彼女の決断が正しいことは、頭ではわかっていた。

それでも、心の奥が締め付けられるようだった。

まる。は続ける。


「ここでたくさんの人と出会えたこと、忘れません。みんなのコメントや声が、私を支えてくれました。 その中でも、とくに……」


言葉が途切れた。

少しだけ深呼吸する音がイヤホン越しに聞こえる。


「soraさん、聞いてるかな……?あなたには、特別に感謝しています」


その言葉に、誠の胸の奥で何かが弾けた。

心臓の音が耳の奥で響く。

画面のコメント欄に、指が震えながら文字を打ち込む。

「聞いています。 ありがとう。

あなたの声に、どれだけ救われたか……言葉にできません」


そのコメントに、まる。が小さく笑ったのが、声でわかった。


「よかった……。 soraさん、私ね、あなたが初めてコメントしてくれた日のこと、覚えてるんです。

“今日も聞けてうれしいです”って言ってくれたでしょ? あのとき、泣きそうなくらい嬉しかった。

ああ、この声、誰かに届いてるんだって思えたから」


その言葉に、誠は胸が熱くなった。

画面がにじんで、文字が読めなくなる。

自分が誰かの支えになっていたという事実が、こんなにも温かいとは思わなかった。

その夜、誠はまる。にDMを送った。


「声だけで、ここまで救われることがあるなんて思いませんでした。

あなたの決断、応援しています。 僕も、自分の声で誰かを支えられるよう、少しずつ頑張ります」

数時間後、返信が来た。


それは短く、けれど確かな光を持っていた。


「soraさん、本当にありがとう。 声は不思議ですね。 姿が見えなくても、届くものがあるって、あなたが教えてくれました。 だから、あなたも続けてください。 あなたの声が、きっと誰かを救うから」


誠はスマホを胸に当て、目を閉じた。

彼女の言葉が、胸の奥深くに静かに染みていく。

“別れ”なのに、不思議と“再生”の匂いがした。 翌日、誠は久しぶりに広瀬川沿いを散歩した。

雪解け水が流れ、川のせせらぎが柔らかく耳に届く。

その音が、まる。の声と重なって聞こえた。

夜、自分の配信を開く。

マイクに向かって、深呼吸。


「こんばんは、soraです。

今日はね、大切な人にありがとうを伝えたいです。その人がいなかったら、僕はここにいませんでした。

……だから今度は、僕が誰かを支えたいです」


コメント欄に「こんばんは」「聴いてます」という文字が次々と流れる。

その光景を見ながら、誠はゆっくりと笑った。

別れの夜の静けさの中に、確かに何かが芽生えていた。

それは“再生”の音だった。

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