第26話 夏期講習 友達と画塾②

予備校の授業が終わり、私は今朝知り合ったウチダ君との約束を守るため、

一階のロビーで彼を待っていた。


壁には美術館の企画展ポスターや各大学の合格者一覧、

芸大の入試要項まで所狭しと貼られている。


ぼんやり眺めていると、階段の方から軽い足音がして、

ウチダ君が息を弾ませて降りてきた。


「お待たせしました!」


「大丈夫。私も今来たところだよ」


そう返すと、彼は今日の映像科の授業を楽しそうに話してくれた。

映画分析、小論文、ストーリーボード……

私の知らない単語が、次々と飛び出してくる。


しばらくして、少し迷ったように続けた。


「これから、画塾にも顔を出そうと思ってて……

 良かったら、一緒に行きませんか?」


画塾。

予備校とは別の、“絵を学ぶ場所”。


聞いたばかりの言葉なのに、妙に胸がざわついた。


「うん、行ってみたい」


気づけば自然にそう答えていた。


――――


予備校から歩いて10分ほどの雑居ビル。

三階へ向かうエレベーターの中で、私は少しだけ緊張していた。


(こんなところに、絵を描く場所なんてあったんだ)


エレベーターが開くと、古びたイーゼルに掛けられた看板が目に入った。


〇〇○美術研究所


手書きの文字と貼られた習作――

予備校とは違う“生活の匂い”が漂っている。


ウチダ君が引き戸を開け、明るく声を放った。


「お疲れさまでーす! 今日、友達連れてきましたー!」


続いて中へ入った瞬間、私は思わず息をのんだ。


だだっ広いワンルームのフロア。

壁際にはモチーフや石膏像、参考書類がぎゅうぎゅうに積まれ、

紙と絵の具の匂いが混ざり合った濃い空気が立ちこめている。


真ん中の長テーブルでは社会人らしき男女が静物を黙々と描き、

部屋の隅では中学生くらいの女の子がデッサンをしており、

白髪の老人が優しく指導していた。


(……こんな世界があったんだ)


その光景だけで、胸がふっと温かくなった。


――――


「おぉ、ウッチーお疲れ〜!」


真っ先に声を上げたのは、髪をひとつに結んだ女の子だった。

中学生っぽいのに、妙に大人びたトーンだ。


「予備校の友達できたんだ?

 “話できる人いない〜”って、この前まで言ってたくせに〜」


「ち、違うって! そういう意味じゃ……!」


耳まで真っ赤になって否定するウチダ君。


すると、メガネをかけた小太りの男性が興味津々で割って入ってくる。


「へぇ〜予備校の方ってことは学生さん?

 浪人生? おいくつです?」


食い気味の勢いに思わず固まりかけたその時、

すぐ後ろから低い声が飛んだ。


「クマダさん、また悪い癖出てる。

 初対面の子に年齢聞かないの!」


短髪で、男勝りな雰囲気の女性が腕を組んで仁王立ちしている。


「い、いや、別に深い意味は……」


「はいはい、弁解はあと。

 驚かせてどうすんのよ」


そんな軽いやり取りに、ウチダ君は頭を抱え、

私は思わず笑みをこぼしてしまった。


(なんだろう……このアットホーム感)


――――


そのとき、部屋の奥から白髪の老人がゆっくりと歩いてきた。


「おぉ、いらっしゃい。

 手狭で申し訳ないが……まぁ、ゆっくりしていきなさい」


柔らかな声なのに、どこか空気を整えるような存在感がある。


ウチダ君が紹介する。


「この人が、ここの先生……ウシジマ先生です」


ウシジマ先生は私を静かに見つめ、ふんわりと笑った。


「今日はウッチーの友達か。

 よく来たねぇ。絵を描く場所はね、いくらあってもいいんだよ」


その一言が、まるで胸の中心にそっと置かれるように響いた。


予備校とも、美大とも違う、

もっと生活に近い“絵を描く場所”。


知らなかった世界がまたひとつ増えた――

そんな感覚がじんわりと広がっていった。

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