杖つきのケンタウロス

あらひねこ

杖つきのケンタウロス

人生の終着点とは、一体いつ来るのだろうか。


このことを聞くと多くの人は「死ぬ瞬間が終着点じゃないか?」と言う。私はそれに異を唱えようと思う。


たとえば商人であれば、金を稼ぎ所帯を持ち、家を買い、息子が生まれ、息子が孫を家に連れてくる……その時こそ人生の終着点ではないだろうか。


格闘家であれば、自分の技を全て弟子に伝承したときに。芸術家なら人生の最高傑作ができた時こそ終着点だろう。


つまり人生の終着点とは、自分の出来ることを全てやった後にやってくるのだ。


そういう意味で、私は望まずして終着点にいる。この酒場の客を歓迎はしないが拒絶もしないソファーの上が、私の人生の終着点だ。


左の前脚の付け根を見て思う。どうしてこんなことになってしまったのか。慢心と油断がこの脚を切り落としたのだ。それは分かっている。


喉からあふれ出そうになる嗚咽と慟哭を葡萄酒で流し込む。思考が鈍ってきた。これで人生を直視せずに済む。私は安堵と曖気ともつかぬため息を吐いた。しかし店主は対照的に心配そうな視線を私に向ける。


「エレイナさん、ちょいと飲みすぎじゃないですかね」

「金ならある、問題はない」

「財布じゃなくて身体を心配してんだよ、全く……」


店主に応えるように葡萄酒を飲み干して、私は次の杯を求めた。文句を言いながらも店主は次の葡萄酒を運んでくる。彼女の言う通り、確かに身体にはよくないだろう。だが私の身体など最早どうでもいいのだ。


座して死を待つだけの駄馬だ。乾いた大地で黄昏を待つより、たとえ酒だとしても潤いがあった方がずっといい。


この村が作る葡萄酒は美味い。滑らかな舌触りに甘味と酸味の程よい調和、香りも多層的で飽きることがない。『ディオニソスの寵愛』という尊大な名前にも負けていない、知る人ぞ知る銘酒というわけだ。


グラスを揺らし海向こうのアルカディアに思いを馳せる。あそこは素晴らしい都だった。人々は活気にあふれ、その人生を謳歌していた。終着点にたどり着いたものが過ごすには、いささか眩しすぎるほどに。


脚を失ったケンタウロスに何ができるのだろうか。狩りも戦いもできない。冒険者はおろか、荷物持ちすら立派にはこなせないだろう。


あの粗野で暴力的な兄たちとは違い、戦いだけが人生では無かったはずだ。ーーでもその兄のように酒に溺れているのではないか?


思考と感情が時計回りに渦を巻き、冷たくなって胃から這い出ようとする。私は耐えきれずに叫んだ。


「違う!」

「ぴやっ!!」


机をたたく音で酒場の視線が私に集中する。酒場には見たことのない一行がいた。一行の真ん中、見慣れない弦楽器を持った乳白色の毛並みの猫人族がおそるおそる私に近づくと、私に話しかけてきた。


「ごめんニャさい、ボクたちの演奏が気に障ったかニャ……」

「いや、そんなことはない。少し飲み過ぎたようだ。折角の演奏だったのに申し訳ない」

「それはいいんニャけども……」


金髪の男と青毛の兎人も不安そうな表情でこちらを見る。なるほど兎人が笛を吹きながら足でリズムを取り、猫人がその爪で弦を弾くのか。金髪の役目はなんだろう、手ぶらなので歌?


気になる気持ちもあったが、私は彼らから逃げるように千鳥足でカウンターの方へ向かった。


「ラオ殿、代金はあっているだろうか」

「いつも通り、ピッタリ釣りもなしさ。でもエレイナさんから代金はもらえないって言ってるじゃないか」

「ただ酒浴びればバッカスも白ける、というだけのことさ」

「バカなこと言って煙に巻こうったって聞かないよ」

「わかったわかった、私の払った分だけ彼らの代金をまけてやってくれ。余興を台無しにした詫びだ」

「じゃあそういうことで受け取っとくよ」

「悪かったな」

「毎度、またいつでも来んさいよ」


ふらつきながら店を出る。私は物語の騎士らしくふるまえていただろうか。柱に寄りかかり考える。


この脚で騎士だと?まともに歩けないのだって、本当は酒に酔ったからじゃないだろう?


「うるさい、私は兄様たちとは違う!」


その脚で?笑わせる。今のお前は兄様たちが弓矢でいたぶっていた獣と一緒だ。まともに歩けず、倒れ込んだところを槍に刺されるだけ。それに物語の騎士に脚のないやつがいたか?まともに歩ける奴でないと、そもそも英雄になる舞台にすら立てないんだよ。


「黙れ黙れ黙れ!!」


頭を振り回したせいで思わず平衡感覚を失う。幸いにも倒れた先は我が家のベッドだった。いつのまに帰宅したのだろう。呼吸が落ち着かない、目が回る。それでもこれ以上冷静な自分と直面するよりマシだった。





その夜、私は夢を見た。7年前、オルスタリキよりもさらに東の国から来たという老師に弟子入りをしようとした時のこと。


師は私の姿をみるなり「難儀な身体じゃの」とだけ言った。未熟だった私は激昂し、本番用の槍を手加減なく振り回した。避けながら老師は言ったことは今でも脳裏に焼き付いている。


「ワシより脚が2本も多いというのに、随分とのろまじゃな」

「こなくそ!」


低く狙った斬撃も軽く躱される。無茶苦茶に槍を振り回しても擦りもしない。落ち着いて狙うも槍を振った先には既にいない。次に視線を移すとその先にシュウ老師が立っている。まるでサーカスで団員と戯れる獣のようだった。


「武芸を極めるにはその身体じゃ隙が大きすぎる。かといって戦に出ても的になって早死にするのが関の山じゃ。お主には物書きや学者あたりが向いておろうに」

「だまれっ!」


次の攻撃に出ようとした時、体勢を直すために置いた左脚が前に滑った。不意打ちで蹴る形になり、私は思わずアッと声が出る。幸い師には当たらなかったが、左脚に乾いた掌の感触があったのだ。


「ほぅ、今のは悪くなかったぞ」


蹴りを防いだ師がニヤリと笑う。先ほどまでの孫娘をあやすような目つきは、戦士のそれに変わっていた。光明が差した気がした。いや、今思えば確かにこの時光明が差していたのだ。この時は。





鳥の歌声と共に朝の日差しを感じる。布団をどかし、一応様子を見る。あの時師に届いた、私の相棒だった左脚はもう無い。顔に枕を押し付けて大声を上げた。


声を上げたって脚は戻らない。そんなことはわかっている。でも声を上げずにはいられない時だってあるんだ。


泣き疲れた頃には陽は既に天頂へと登っていた。水浴びを済ませて鏡を見る。涙の跡も見えなくなった。大丈夫、私はまだ騎士でいられている。


今日も今日とて、この駄馬にやることはない。師との約束というだけで惰性でやっている鍛錬を終え、私は家にもどり読書を始めた。


書は良い。物語を紐解くだけで簡単に神代の王や亡国の姫になることができる。そして、その間は惨めな自分のことを考えずに済む。


本を閉じて外の景色に目をやる。既に日は落ちかけていた。いつもの財布といつものケープを羽織り、いつもの酒場へと向かうことにした。


道中で物語の続きに想いを馳せる。主人公の聖騎士が渓谷に住み着く悪の竜を倒し、姫を助けたところだ。しかし今度この物語の新刊が出るらしい。竜が追いかけてくるのだろうか、それとも姫が偽物だったりするのだろうか。


そうやって物語の結末をあれこれ考えているうちに酒場に着く。しかし中に入ろうと思った時、窓から昨日の一行が見えた。楽し気な音楽に合わせ、酒場のみんなが踊っている。猫人が楽しそうに弦を弾き、兎人が笛を吹き床を叩く。金髪の男は酒を飲みながら周りと肩を組み歌っているようだ。


一応冒険者の装備はしているようだが、どうみても彼らに戦闘には向いていない。ああやって音楽とともに生きている方がずっとを感じる。


私は音楽が止むのを待ち、彼らと入れ替わるようにそそくさと店の中に入った。すれ違った一行は奇妙な物を見るような目で私を一瞥し、軽く礼をした。


「ラオ殿、いつものを」

「あいよ」

「先の一行に何かあったのか?」

「あーあの子たちね」


私のテーブルの前にグラスがことりと置かれる。軽く空気に触れさせてから飲むのがこの店の作法だ。尖った味がまろやかになり、舌触りが良くなるらしい。店主はそれを満足げに見てから、様子を伺うように話を続けた。


「エレイナさん、≪ヒュドラーの残り香≫って覚えてるかい?あんたが倒した人より大きな蛇さ」

「まぁ、なかなか忘れられるものではないからな」

「そうよねー。あの子たちさ、あれを倒して冒険者としての名を上げるために村に来たんだって。でもあんたが先に倒しちゃったろう?」

「まぁ、な」

「あんたがまだアルカディアで討伐依頼の報酬を受け取ってないのはまだ良いけどさ。せっかく村のために来てくれた彼らを突き返すってのも酷い話だろう?」

「では何か依頼をしたのか?ラオ殿も別に困ってもなかろうに」

「そりゃしたさね。一応、森が安全か見てもらうことにしたのさ。もう危ないのはいないだろうけど、それでも仕事をしたってことが大事だろう?」

「それはそうだけど……」


彼らの浮足立った様子じゃ≪残り香≫どころか大型のイノシシにすら苦戦しそうだと喉元まで出かかったが、そもそも自分が報酬を受け取っていないのが悪いのだからと葡萄酒と一緒に飲み込んだ。


「そんなことより、いい加減ヒリオンの爺さんに診てもらったらどうだい。アルカディアには行けなくたって、エレイナさんなら小山を超えるぐらいにわけないだろう」

「……医者は昔から苦手でな」

「酒の飲み過ぎもついでに診てもらいんさいよ」

「まだそんな歳じゃない!」

「その歳にしては飲み過ぎだって言ってんだわ!」


正論が耳に刺さる。そんなこと自分だって分かっているけど、それじゃあ心が守れないんだ。ラオ殿もきっとそのことを分かっている。だから私を無理やり医者に診せようとはしないし、ヒリオン殿を私の家に引っ張っても来ない。


その気遣いがまた辛い。


次の葡萄酒を飲みながらあの時のことを思う。人を襲いその味を覚え、オリニの山中に住み着いた大蛇。手練れの冒険者ですら苦労するのでと私に声がかかり、討伐に乗り出したのだ。


称号持ちの獣ではあったが、決して苦戦する相手ではなかった。師匠から頂いた薙刀というハルバードを振り、特に苦労することなく首を刎ねた。そこまでは順調だった。


刎ねた大蛇の首が大きくバウンドして近くに落ちたのだ。しかし私は完全に油断して勝鬨をあげようとしていた。大蛇の頭はは残る力をふり絞り、そんな愚かな私の左脚に噛みついたのだ。


それからは、ヒュドラーの名の通りの激しい痛みと苦痛に飲み込まれ、気づいたときには今の身体になっていたというわけだ。


葡萄酒を飲み込み、まどろみの中で悲しい記憶が反復する。窮鼠猫を噛むという師匠の国の教えが脳内に響く。私は噛まれた猫だった。命のやり取りの中で、彼らの生命力と執念を侮った罰がこれだ。





「エレイナさん!大変だよ!!起きて!!!」

「んぅ……何事だ」


女将に身体を揺さぶられ、記憶の反芻は強引に中断させられた。女将の表情から何か良くないことがあったようだ。私はすぐに身を起こした。


酒場の外から人々の声が聞こえてくる。その中にあの一行の兎人も混じっていることに気づいた。


「何があった、熊か?コボルトか」

「噛まれたんだって」

「ヒリオンさんに伝えないと」

「むごい……」

「ええい、要領を得んな」


人の壁をかき分けて中心に入ると、猫人が倒れている。右手が痛々しく紫に変色し、触れたら破裂しそうなほどに腫れていた。


「わかんないけど、蛇が茂みから飛び出してきて、俺をかばって」


金髪の男が涙目で話す。私の思考はすぐにクリアになり事態を把握し始めた。要するに残り香にも家族がいたということだ。


猫人がぐぅっと一度呻き声を上げた後、はぁーっと深く息を吸い込む。激痛に耐える人に見られる特有の呼吸だ。明日を迎えられるかも分からない。


「大丈夫、お医者様を呼んできてもらうからね。耐えるんだよ!!」


ラオ殿が猫人に声をかけ、猫人も湿った毛並みを揺らせながら頷き返す。今からヒリオン殿を呼びに行って間に合うだろうか。


小山の方を見る。昔の私なら行って帰るぐらい朝飯前だったろう。だが筋肉は衰え贅肉がついた今の身体で……否、やるしかないのだ。


「私がヒリオン殿を連れてくる」

「その脚で?冗談はほどほどにしとき」

「これでも皆より一本多いのだ、なんとかする!」

「それに他の人がもう呼びに行ってんだよ。もうあんたが無理して頑張らなくていいんだよっ!」

「私の背に乗せた方が早く降りれるはずだ!」


全盛期ほどではないが、脚は行けるぞというように地面を軽く蹴った。薙刀の柄で地面を少し叩く。大丈夫、身体は怖がってない。


私は山道への一歩を、左手の震えを右手で押さえ込んで踏み出した。


一旦進み始めると、流れに合わせるように脚が動いた。薙刀も文字通り私の手足のように動き、蹄のリズムに合わせて地面を蹴る。私は確信をもってその足取りを速めた。


山道の右奥、大きな岩のある平原を見る。そこは私がかつて残り香を倒した場所だ。頭がまだそこに転がっているように思い、私は正面を見据えた。今の目的は猫人を助けること。ただそれだけだ。


彼女の心は持つだろうか。私は酒場に来たヒリオン殿が言っていたことを思い出した。


実は残り香の持つ毒はそこまで強くはないのだ。問題は解毒ができないことと、その強烈な痛みだ。


残り香の毒牙にかかった者の死因のほとんどは、中毒死ではなく激痛に耐えかねたショック死だった。かろうじて意識を保ったとしても、痛みから解放されようと強引に患部を切って失血死してしまう。つまり実際に毒が原因で死ぬことはほとんどなかったのだ。


私もあの激痛のことは忘れられない。末端からじわじわとだが確実に熱と激痛が浸食して、細胞が1つ1つ浸食されていくごとに命の危機を感じる恐怖。耐え難い痛み、そしてゆっくりとだが確実に命を削ってくるあの感覚が、患部が身体と接続していることを煩わしくさせるのだ。


幸いその時はヒリオン殿がいたおかげで、私の末路だけは他の冒険者と違う形になったのだが。


猫人の末路はどうなるのだろうか。


私達が間に合えばあの苦痛からは解放される。命も助かるだろう……だが、弦を弾くための右腕は失うことになる。


その末路は、少し前の私と何ら変わらないのではないか?


立ち上がろうとして左脚がないことに気づいた朝。鍛錬で普段通りの踏み込みができず、新兵のように転んだ昼。泣き叫んでも戻ってこないと気づいた夜。それが夢ではないと気づかされた次の日の朝。


猫人は右利きだった。生活への影響は私よりずっと大きいだろう。冒険者の道はおろか音楽も諦めねばならない。それに一発逆転を求めてやってくる冒険者だ。蓄えもあるかも怪しい。


私の歩みが止まった。建前上は息を整えるためだったが、思考が悪い方へと傾きつつあるのを確かに感じていた。


――間に合わないほうが猫人にとってむしろ幸せなのではないだろうか。


その考えが頭によぎった途端、持っていた薙刀が鉛のように重くなった。脚は樫の木のように固くなり、脚を振り上げてもその場に下ろすことしか叶わなかった。医者の家の屋根は、すでに丘の頂上から頭を覗かせているのに、一歩一歩、踏み出すのが、どんどんと遅くになる。


ついに私は膝を折った。


「私は、仲間が増えると思ってここまで来たのか?」

「私と同じ人生を、あの子に歩ませるつもりだったのか?」


つたない足で何とか走ったが、間に合わなかった。他の人より早く帰ってこれば最低限の箔もつく。それでいいのではないか?いや、むしろそうでないとあの子にとっても不幸ではないのか?


その考えをかき消すかのように、少し遠くから元気な老人の声がした。


「おぉ! エレイナさんじゃぁないか、待っとったぞ」

「ヒリオン殿。私を待っていたのか?」

「そうじゃ、待っとったぞー。ほれそんなとこで休んでないで家に入りなさいな」


私の決心もつかぬまま、歳に似合わぬ元気な彼に連れられて診療所へと入った。


診療所の中は様々な医療道具や錬金術・それに本人も原理もよく分かっていないような魔道具の数々が並んでいた。彼はその奥にずかずかと入っていくと、やけに威圧感のある金属製の箱を机に置いた。


「なんだこれは」

「これは溶けない氷アイ・パーゴスと言ってな。入れたものを低温で、ゆっくりとした時間の中に置く魔道具じゃ。すぐダメになる薬草や薬品を保存するために使うものでな」

「今はそんな話をしている場合ではなく、」

「まてまて、老人の話は最後まできくものじゃよ。これにな。だめでもともとのつもりでお主の左脚を入れてみたんじゃ。ほれ!」

「……っ!!」


その左脚は凍り付いてはいたが、ケンタウロス族の特有の赤栗色の毛並みをもち、輪郭のハッキリとした筋肉を携えている。私のかつての相棒そのままの様子であった。


「私の、脚なのか?」

「そうさな。ここが噛まれたところじゃ、穴が空いとるじゃろ」

「しかし、まるで毒など回っていないかのような様子ではないか」

「その通り。この脚の中に毒はもう残っておらん!お前さんの脚は≪残り香≫の毒に勝ったんじゃ」

「毒に、勝った……?」

「ケンタウロスの血は毒に強いと聞くが、まさかここまでとは思っとらなんだ。幸い状態も良い。この脚をお前さんにくっつけるのも難しくなかろう」

「……前みたいに走れるということか?」

「さよう」


その一言は私にとっての救いだった。鼓動が高鳴り息が荒くなるのを感じる。


「そういえば、医者嫌いのお前さんがどうしてこんなところに?二日酔いの薬なら出さんぞ」

「そうだった!村に毒蛇に噛まれた者がいるのだ。おそらく残り香と同じ種類のものだ」

「なんと、そりゃ大変じゃ。すぐに鋏と麻酔を持ってくる。少し待て」


ガチャガチャと戸棚を漁るヒリオンを見る。やはり切除するのだろうと諦めかけた時、一つのアイデアが湧き出てきた。


「ヒリオン殿」

「なんじゃ?」

「その、たとえばだな。あの脚から毒にきく成分を取り出すことは出来たりしないのか」

「んーむ。出来なかないとは思うぞ。解凍しながら血液から成分をより分けてだいたい……2日ぐらいあればできるじゃろうて」

「もっと早い方法はないのか」

「んまぁ、あるにはあるが……」

「事態は一刻を争うのだ。躊躇わず話してくれ、私も協力する」

「じゃが……」

「ヒリオン殿!」

「分かった分かった。脚から血を抜き骨から髄を取り出せば、問答無用で薬効成分が手に入る。それを飲ませれば解毒の可能性もあるじゃろう。でも治るかどうかすら分からんのに、お前さんの脚をダメにするわけにはいかん」


鼓動が止まり息が吐けなくなる。私は無理やり大きく息を吸い込んだ。


「ま、まて、それを試そう。私の背に乗りながら出来たりしないか?」

「出来なか無いが、ええんか?」

「良い!早く支度してくれ!」


自分でも何を言っているのか分からなかった。彼はぶつくさ言いながらも奥から器具を取り出す。


背に乗ったヒリオンが言う。


「本当にいいんじゃな?治るかどうかも分からんのだぞ」

「少しでも助かる可能性があがるならそれで良い!準備はできておるか!」

「大丈夫じゃ。一応紐でくくってはみたが、あまり揺らさんでくれよ」

「承知!」


先ほどまで登ってきた山を、姿勢を崩さぬよう、だがスピードは落とさないギリギリの速度で駆ける。


あぁ!どうしてあんなことを言った!なぜ脚をつけてくれと頼まなかった!私に訴えかける声が脳裏に響いた。


「そんなことは分かっている!だが、だが……!」


枝木を切り払い、坂を慎重に降りる。背中越しにゴリゴリと骨が砕ける感触が伝わり、ついてないはずの左脚がじくじくと痛んだ。


分かっている。これこそが本当の終着点だ。再び開けるはずだった人生のページを破り捨てて、助かるかどうかも分からない賭けに出たのだ。


でも、でも、それでも、あの子が私と同じ思いをしなくて良いのなら…………そんなことない!またアルカディアを歩きたかった。師匠との約束も果たしたかった。里にだって帰りたかった。それをたった今全部かなぐり捨てたんだ!良いわけがない!!


左脚の痛みがまた一段と強くなる。許してくれ。これが私の選んだ道なのだ。誰かの右手を踏みつけて進むぐらいなら、私は立ち止まってもいいと思ったんだ!


脂汗と涙を拭う。家や井戸と人だかりが目に入った。「もういい」と背中から声が聞こえると、背中の体重が急に軽くなる。彼はすぐに遠ざかり、人だかりめがけて走っていった。


決して悔いがないわけではなかった。沈みゆく夕陽が彼らを迎え入れているような気がして、少しだけ、これでも良かったと思った。



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「あんた、本当にあの子達についていかなくて良かったのかい?」

「私には過ぎた連中だよ」

「随分と懐かれてたようだったけど」

「良いさ。私は弟子を取れるほどのものではないし、彼らの夢を邪魔したくないものでね」

「一緒に夢を見る道もあると思うんだけどねぇ」

「それは野暮ってものだろう?」

「おお、さすが一級冒険者さまは言うことが違うね」

 

猫人が振り返りぶんぶんと右腕を振る。その手首から先は動いていない。


「あの子は強いね。レベックやバイオリンなら右腕に弓を固定すれば演奏できるかもって意気込んでたよ」

「私は片手剣の使い方を教えてくれって頼まれた」


コトン、と私のテーブルにミルクが置かれる。


「それでエレイナさんに一つ頼みたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「『ドラゴンハートと闇の渓谷』っていう小説知ってるかい?」

「ああ、私も読んでるぞ」

「今度あれの新刊が出るらしくてね。ちょいと買いに行ってくれるかい?」

「別に構わないが、かなりの人気の品じゃないのか?」

「知り合いに書店屋がいるのさ。取り置きを頼んでるんだ」

「まぁ構わないが、どこまでだ?」

「ちょいと遠いけど、アルカディアっていうところさね」

「……こやつめ」

「あんたも読むと思って取り置きは2冊あるんだけどなー」

「わかった、私の負けだ。行くよ」


店を出て、一礼する。


「よし、いくか!」


踏み出した一歩目が思っていたよりずっと強くって、私は思わず笑ってしまった。






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