ボトルメール

秋犬

夜明けの空にまいた種

 夜が怖い。朝が怖い。時計が怖い。時間が怖い。生きていることが怖い。死ぬことも怖い。消えるのが怖い。怖い怖い怖い。


 もうしばらく、誰とも口を聞いていない。何かを考えるのも怖いし、もう人間そのものが信じられない。私の手足が今すぐにでもどうにかなって、人間以外の生き物に変わってくれたらいいのに。猫とかいいかな。猫なら、ただ遊んでいるだけで生きていける。私も猫になりたい。猫は怖くないから。


 床には見ないふりをしている紙きれが落ちている。ドアの隙間から差し入れられたんだ。どうせ見なくても内容はわかっている。だって同じ紙がたくさんあるんだから。


 『お願いだからちゃんとご飯も食べなさい お母さんより』


 何がお母さんだ。私を生んで、殺さなかった人。出来損ないを生んで放置した大悪人。そいつの罰として私は全てを放棄して、ここに立てこもっている。ドアの外にある食事だって、絶対に食べない。食事なんて、馬鹿のすることだから。コップと一緒に置いてある眠剤だけ手に取ってかみ砕いてベッドに入って、それから今に至っている。


 どうしよう、もうすぐ朝になってしまう。


 私は頭から毛布をきつく被る。朝になったら、また私を見なくてはいけない。お母さんを名乗る奴がドアの前で「今日は学校に行かなくていいの」とうるさく喚く時間。嫌だ、朝は嫌だ。朝は嫌だ……頭がぐるぐるしてきた。気持ち悪い、吐きたい。何も食べてないけど、吐けばもっと痩せられる気がする。そうすれば、私という存在を便器に隠蔽できる気がした。


 ドアを開けると、乾いた夕食が乗ったままの盆が置いてある。蹴っ飛ばしてやろうと思ったけど部屋の前が汚くなると思って、そのまま台所へ降りて行って流しにぶちまけた。へへ、いい気味。


 少しすっきりしたので開き直って、部屋に戻ってスマホを開いた。鬱になってるときは何も見たくないけど、今は何かで気を紛らわしたかった。無料の漫画、たわいのない芸能人の日記写真、食べたくはないけど見た目だけオシャレな新作スイーツ。


 そして誰かの伝言が読める毒にも薬にもならないボトルメールというアプリを開く。瓶に手紙を入れて海に流すように、誰かのところにメッセージを送ることができるという変なアプリだ。たまに届くのはちょっとだけ嬉しかった話、自慢だらけの自己紹介、そして出会い系への誘導だ。


『誰か起きてる人いませんか? 死ぬ前に話がしたいです。メッセください ×××××』


 それは5分前に送信されたメッセージだった。最初はそれも出会い系だと思った。でも出会い系にしては切羽詰まっているし、死ぬ話ができる人と話がしてみたいと私は思った。どうせ出会い系でもいいやって思って私は他のメッセージアプリを起動して「×××××」宛にメッセを送った。


『起きてるよ。通話は無理だけど、話は聞くよ』


 しゅぽんという音の後、すぐに返事が来た。メッセの相手のアカウント名は「真理」だった。まり、かな。それともしんり、かな?


『ありがとう。死にたいです。これって変ですか?』

『変じゃないよ。私も死にたいから』


 私のアカウント名は「希望」だ。希望と書いてのぞみ。いろいろ面倒くさいのでとりあえず本名だ。


『希望なのに死にたいって変だね』

『そう思う? 名前負けなんだよね』

『ウケるw』


 真理は笑ってくれた。面と向かって言われたらムカつくけど、どうせ顔もわからない相手に笑われても何とも思わない。それどころか、何だか面白くなってきた。


『真理は何で死にたいの?』

『死ぬのに理由っていると思う?』

『いや別に』


 それからしばらく真理と話をした。ただ『死にたいよね』というだけの話だったのだけど、否定されても怖くない人って初めてのような気がした。ネットの人は怖いって勝手に思っていたけど、私だって真理から見たら知らない怖いネットの人だ。だからお互い様。


 真理と話し込んでいるうちに、夜が明けてしまった。いつの間にかカーテンの外の暗闇が朝日に侵食されている。まずい、お母さんが来る。寝たふりをしないと。


『あ、もうこんな時間。もうすぐお母さん起こしに来る』

『うちも。面倒くさいよね』

『わかる』

『またメッセしていい?』

『うん、待ってる』


 私は今日こそうんと寝たふりをしてお母さんを困らせようと思った。そして夜になったら真理にお母さんを困らせた話をするんだ。食事だってしない。もっと痩せて、きれいにならないと。今日はお母さんに整形代をねだってみよう。学校に行く代わりに骨格整形させろって。ふふふ、何だか楽しみになってきた。


 私の心に小さな何かが芽生えた気がした。夜明けの群青色みたいなそれは、何よりも美しい真実のように光っていると思う。私は生きていていいし、怖くなんかない。真理の希望になるのもいいなあ、と思いながら私は頭から毛布をかぶった。


<了>

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ボトルメール 秋犬 @Anoni

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