第三十五話  帝都騒乱

 セドリーが皇城を占拠した、まさにその頃――。

「な、何が起きているのです!?」

 ライゼンベルフ第一皇妃、エレオノーラ・ライゼンベルフは酷く怯えていた。

 つい先ほどまで、夫の庭でティーカップを片手に静かな茶会を開いていたというのに。

 突如、銃声が轟き、軍靴が石畳を叩く音が城内に満ち始めたのだ。

「皇妃様、こちらへ。どうかお静かに」

 エレオノーラは二人の侍女に促され、瓦礫の散らばる廊下を足早に進み、城外へ抜ける経路を探していた。

 廊下には惨殺されたメイドや護衛兵らが床に伏して倒れている。遺体の一部と思われるものもそこら中散らばっていた。

 エレオノーラは嗚咽を抑えながら下の階へ続く階段へ向かっている。

 しかし――。

「どこへ行かれるのですか、母上」

 耳に染みついた、透き通るような声。

 エレオノーラの動きが一瞬で止まった。ゆっくりと振り返ると、そこに見覚えのある息子の姿があった。

「おお……セドリー! 我が息子よ、いったい何事なのです!」

 血のつながった息子と再会できた安堵から、エレオノーラの目には涙が浮かんだ。

 その背後にはダグラスの姿も見える。息子が自分を迎えに来てくれたのだ――エレオノーラはそう理解し、彼の胸元飛び込んだ。

 ――ベチャッ。

 確かに何か液体のようなものが顔に付着した。

 セドリーも、自分と再会して涙を流しているのだろう。そう思い、エレオノーラは袖口で頬を拭った。

 液体は確かに液体だった。

 だがその色は、透明ではなかった。

「血?」

 血液、薄暗くて見間違えているわけではない。血だ。

 では、何故。

 顔を上げてセドリーの方を見やる。

 上半身から額に掛けて大量の血が付着していた。まだ新しい生臭い匂い。

「それは何です!?セドリー!」

「何をそんな怯えているのですか?母上」

 両手を広げてエレオノーラに近づく。

「何なのです!あなた何をしたのです!」

 彼女の脳内は必死で状況を理解しようとしている。そして、ある一つの事実にたどり着く。

「まさか――あなたなのですか・・・?」

 エレオノーラの言葉が発せられた同時に、セドリーの後方から数多の軍靴の音が駆け上がってくる。

「エレオノーラを拘束しろ。殺すな。部屋に閉じ込めるだけで良い」

 セドリーの命令通り、5人ほどでエレオノーラを囲い繩で縛り付けた。

「何をしているのか無礼もの!離しなさい!セドリー!」

「母上にはことが終わるまで静かにしていただきます」

 そう言ってセドリーはエレオノーラを押しのけ、部下を引き連れて玉座の間までの道を歩いて行く。

「戻ってきなさい!セドリーーーーーー!!」

 母であるエレオノーラの声はセドリーには届くことはない。

  

 皇城占拠から6時間が経った頃。

 玉座の間に座るセドリーは頬杖をつきながらダグラスの報告に耳を傾けていた。

「トライへリアル城の約八割が占拠完了。皇族の方々も城内にいる方々は全て閉じ込めてあります」

「無事済んだか?」

「ええ。アイゼル皇女は多少暴れましたが、どうにか・・・」

 セドリーはどこか胸を撫で下ろしたそんな様子だった。

「そうか。さすがに、無意味な殺しはしたくはないからな」

「それをあなたがおっしゃいますか」

「父上とリューグストフのことを言っているのか?あれは仕方なかったのだ。二人とも私を皇帝にしたくないようだったからな。後々面倒事になると思ったから殺したのだ。ここまで来る前に殺してきた兵士も同じ理由だ。俺は理由なき殺しはしない」

 セドリーの覚悟にダグラスはただ眼を伏せるのみだった。

「それはそうと、城内にいるものはといったな。居ない者がいるのか?」

 ダグラスの含みを持った言い方が気になった。

「はい。一人だけ、ウーデルバッハ殿下だけが見当たりませんでした」

 その言葉を聞いた途端、姿勢を戻して深く玉座に座る。

「あいつが外に出歩くことがあったとはな。しかし、何故?この俺の首を取る算段でも話し合っていたか」

「でしょうな。アレス中将の部下に優秀な男がいると聞いております。恐らくそのものが策を練っているのでしょう」

「ふんっ!いくら天才的な頭脳を持っていようとこの城と万を超える兵の前では塵芥だ」

「全くです」

 二人とも不適な笑みを浮かべていた。しかし、ダグラスはより一層。

 

 玉座の間を離れて深紅のカーペットを歩きながらダグラスは思考を巡らせている。

 すでにアレス中将の側近の話は聞き及んでいる。故にわざわざ私邸にまで出向き顔を見てきたのだ。

 ミハイルは危険などと言っていたが、どうもそれほどの男とは思えなかった。

 野心を隠している気配も、策を巡らせている雰囲気もまるで見せなかったではないか。

 それなのに、アレスはいたく気に入っており、他の将校らも認めているという。

 信じられないが、手は打っておいた方が良い。

 殿下の早走りな性格には振り回されるが、ここまで上手く運んでいる。

 これで殿下が皇帝になれば、私は宰相に。

 思うがまま国を動かせる。

「ミハイル、最後の仕事をきっちりこなせよ」

 月明かりに照らされた階段を降りていった。

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