第2話 首を傾げる男
現在から遡ってみると、あの出来事がもう19年も前のことで驚きました。
当時、私は中学二年生でした。
田舎の商店街の裏道にある、小さな個人経営の学習塾に通っていました。
大きなスーパーの裏道は足元を照らす程度の薄暗い街灯しかなくて、その間隔も広くて、塾から帰る20時頃はすっかり辺りが暗くなって、もう人が住んでいない木造平屋の古い家もあって、自転車を漕ぐ脚も自然と早くなったものでした。
その学習塾では、夏休みに合宿がありました。
山奥のロッジを貸し切り、一泊二日で集中的に授業をして、それが終わったら寝る直前までみんなで自習をするんです。
外の灯りにまとわりつく蛾は両手を広げてもまだ足りないくらい大きくて、夜になると不気味なほど静かでした。
窓から見える景色もせいぜい数メートルといったところ。茂みの向こうに何かがいる気がして、塾長も「このロッジ周辺はよく幽霊が出るんだ」とからかってきて、誰も外に出ようとしなかったのを覚えています。
その年の合宿も無事に終わり、二日目の夜、塾長の車で家の近くまで送迎してもらっている最中でのことです。
車中で皆と取り留めのない話をしていると、赤信号に引っかかりました。
その時、私はふと車窓から外を見て、少し離れた所にいる人が気になったんです。
だって、立っている場所がおかしかったから。
ほら、よくあるじゃないですか。複数の道が合流するときの、何も無い三角形の空き地。
あそこって、普通は人が立ち入れないでしょう? 車の往来も多いし。
それなのにその人は、三角形の先端あたりに立って、こちらに背を向けて、思いっきり首を傾げていたんです。真横くらいまで。
「今、あそこに人が立ってなかった?」
信号が青になったとき、皆にそう聞きました。
けど誰も見ていなくて、塾長にも聞きましたが、
「山からついてきたんじゃない?」
と、まともに取り合ってくれませんでした。
それから、だいたい一週間ほど経ったころでしょうか。
いつもの様に学校帰りに塾へ行き、20時に外へ出ました。
その時、見たんです。こちらに背を向け、塾の向かいにある木造の平屋を見ながら首を傾げている人が。
「あれ……なに?」
一緒に外へ出た友人たちと、小声で囁きあったのを覚えています。
民家の庭は暗く、人の気配もない。それなのに男の人は身じろぎもせずただそこに立って、首を傾げながら家を見ているんです。
あ……いや、すみません。やっぱり、首を傾げていたというのは間違いかもしれません。
どちらかというと、首が折れて頭が肩に乗っている……って言った方が正しいかもしれません。男の人は私たちから見て斜め左の方に立っていたんですが、つむじが見えていましたから。
流石に気味が悪くなって、私は背中に鳥肌が立つのを感じながら、なるべく音を立てないように後ろを自転車で通って、少し男の人と距離がとれたところで一気に加速して逃げました。
それ以降、しばらく男の人を見ることはありませんでした。
でも一ヶ月くらい後の塾帰り、私が当時住んでいた団地で、もう一度見ました。
男の人は車道の真ん中にいました。またこちらに背を向けて、頭を肩に乗せて、今度は私の家がある六号棟を見ていました。
本当に、心臓が口から出るかと思いました。最初は山から家までの帰り道、次は塾の前、そして家から十メートル程度の距離。どんどん近づいてきてるんですから。
その日は近所のスーパーで時間を潰して、もう一度帰ったら男の人がいなくなっていたので、今のうちだと思って家に駆け込みました。
それから男の人を見ることはなくなりましたけど、しばらくの間、怖くて夜は部屋のカーテンを開けられなかったですね。
カーテンを開けたら、あの男の人を今度は正面から見てしまうような気がして……。
それで、その。ここからが本題なんですけど。
最近、私の一人暮らししてるマンションの入口前でその男の人を見たんです。こっちに背を向けて、頭を肩に乗せて、私の部屋を見ていました。
これって、やっぱり離れた場所に引っ越した方がいいですかね?
視線の先 雪村勝久 @yukimura_katsuhisa
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