第7話 誰かを本気で愛した事がない人は本当に生きたとは言えない

忙しさは展示会が終わるまで延々と続いた。

事務員のあたしは直接的な忙しさを感じないけれど周囲の雰囲気が違う。

まぁ事務は事務なりに普段の業務以外に加わる展示会関連の仕事はいくらでもある。

でも直接何か行動するわけじゃなく、完全なサポート役。

その一番前で周囲を引っ張って戦う莉兎に比べれば全然だと思う。


展示会前の莉兎は残業続き。

帰ってきてやっとゆっくりできるのかと思いきや持ち込みの仕事を黙々とやり続けていた。

「一緒におるのに仕事ばっかしてごめんな」

申し訳なさそうに言う莉兎は書類片手にタブレットとにらめっこ。

気にせんでええよ、と答えながら密かに驚いていた。

これまでそんな風に努力をしているなんて知らなかったから。


やると決めたら最後までやる奴。

更には必ず成果を上げようと必死になる奴。

持ち込みの仕事をしている莉兎の横顔を見れば格好良いな、なんて。

勝手に胸が高鳴って仕事をしている時の莉兎が好きだと思う。

真面目で弱音を吐かずにひたすら突き進む姿。

そんな背中を見たら周囲もついていきたいと思うに決まっている。


前を走るってどんな気持ちなんだろう。

当たり前に視界には誰もいないから孤独。

自分が間違った選択をしていたら周囲も当然間違う。

信じてついてきてくれる周囲の気持ち、そして信頼してくれている社長の期待。

あたしが想像を絶するようなプレッシャーがあるはず。

それでも莉兎は何も言わず走り続ける。

何なら周囲を煽って「ついてこい」みたいな自信たっぷりの様子で。


あたしには絶対できない役割だと思う。

そもそも営業なんて無理だし。

黙々とパソコンと向き合っている方が性に合っている。

だからこそ莉兎を尊敬する。



展示会前日はバタバタ。

会場への搬入や設置で忙しそう。

いつも借りる会場は会社から車で20分ほど。

莉兎は率先して出かけてそのまま帰って来なかった。

きっと展示会中もこんな感じ。

二日間の予定である展示会が少し憂鬱。


それでも仕事はどんどん溜まっていくから黙々と業務をこなして。

パソコンと向き合い、合間にかかってくる電話応対をして、在庫管理の為に地下へ行って。

自社ブランドの数々がごちゃごちゃになっている。

展示会の準備でみんな慌てながら商品を持って行った結果なんだろう。

それをまとめたり片付けたりカテゴライズした棚に直してから在庫確認。

地下はひんやりとしていて夏場でも涼しいくらい。

その代わり冬にここへ来ると凍えるけど。


一人で作業をしながら莉兎はどうしているんだろうと思いを馳せる。

あまり話せない日々が続いて正直に言うと寂しい。

仕事に熱中して夜更かしする莉兎は

「先に寝てええで」

ソファに座ったまま言うけど寝れるわけがない。

でも用事のないあたしがいつまでも横にいたら気が散るかなと思ってベッドで寝転ぶけど、いつも以上に寝れないのは当然。


見つめながら言いたい言葉は喉に引っかかったまま。

莉兎の腕枕が欲しい。

いや、言おうと思えばいくらでも言えた。

タイミングだっていくつもあった。

でも困らせたくないなとか。

仕事モードの集中力を切らせたくないなとか。

色々考えて結局言えなかった。

見つめすぎていたら悪いなとまで考えて目を瞑った、全く眠くないのに。

莉兎の軽い咳払いとかたまに呟く独り言とか書類をぺらぺらする音色とか全部聞いていた。


離れていたら寂しいのは明白。

でも一緒にいたとしても触れ合えないのは何だかもっと寂しい。

初めて気が付いたなと思いながら寝たフリをしてた。

しばらく経つと莉兎は漸くベッドに来てくれて腕枕をしてくれた。

それだけで嬉しくてぎゅうっと抱きついたら

「やっぱり起きてたん?」

笑ってあたしの髪を撫でる。

その刹那が触れ合える唯一のタイミングだった。


故にあたしはかなりの莉兎不足に陥っている。

アホな事言って笑い合いたい。

いつまでもじゃれ合いたい。

ご飯も別々とかほんま無理。

あたしが作っておいたご飯を莉兎はすごく喜んでくれてたけど無理。

一緒に食べたいのに。

そんな気持ちで初日は待ってたら怒られた。

「何時になるか分からんから先食べろや」

言い方はキツイくせに申し訳なさそうな顔をしてて結局次の日から一人ご飯。



一通り在庫管理を終えて事務所に戻るけど、いつもと違う雰囲気。

人がいなくて空っぽだからだと思う。

もちろん莉兎も会場に行ったままだし。


溜め息を吐いてデスクに戻ると

「ひよちゃん、元気ないなぁ」

さえちゃんはあたしを窺っている。

「そう?」

「うん」

「気圧のせいかな。偏頭痛するし」

適当に言ったけど嘘じゃない。

梅雨に入るか入らないか、この時季はいつもそう。

体調を崩してウンザリしやすい。

風邪を引いたりこうして偏頭痛が長引いたり肌のコンディションも悪くなる。

偏頭痛に関しては、頭痛薬を服用しても効果がないくらいの時だってある。

今日は静かに低い痛みがズンズンと響いていた。


「大丈夫?」

「いつもの事やし平気」

「…莉兎ちゃんもおらんもんね」

「まぁ…」

さえちゃんは勘づきやすい。

ふんわりしてるけど空気を読むのが上手い。

きっとあたしが纏う雰囲気は莉兎莉兎と鳴いてるのかもしれない。


あたしと莉兎の関係は徐々に認知されている。

でも当事者である自分が思ってるよりもう知れ渡ってるのかも。

一緒に帰るのも当たり前になってるし、何よりあたし達の雰囲気なのか。

直接的な言動や行動をしてないけど周囲には温かい目で見られてるような。


元々知られる事に不思議と恐れはなかった。

女性同士とか職場恋愛とか何より相手が莉兎とか。

気にする事が一つもなくて、オープンでいたいと思ったほど。


だって隠す必要も理由もない。

あたしも莉兎も真面目に恋愛してるだけなんだから。

誰かに迷惑をかけるような後ろめたい気持ちなんかないんだから。

真正面から

「莉兎が好き」

あたしは胸を張って言えるから。

それに関してバカにする人がいるなら殴ってるか埋めてる。

普通に怖い事言うな、と思われるかもしれんけど真剣に恋愛してる人に対して失礼すぎやろ。


海外ドラマで言ってた言葉を思い出す。


人を愛する事は嬉しい事ばかりじゃない。

でも誰かを本気で愛した事がない人は本当に生きたとは言わない。


確かそんな言葉だったと思う。

あたしも莉兎も今を生きてるだけなのだ。






展示会の二日間。

莉兎の顔を見るのは朝早くと夜遅く。

あたしより早く出ていく莉兎を見送って。

その後はひたすら帰りを待つだけ。


朝はバタバタしていて慌ただしく出ていく莉兎に触れるだけのキス。

夜は疲れた顔をして溜め息を漏らす莉兎はぎゅうっと抱きついてまた触れるだけのキス。

いつものアホみたいな甘え方すらしない、そんな隙もない。

家に帰ってきても莉兎は思った以上に仕事モードなまま。

だから甘えたいとかじゃれたい気持ちを押し殺して過ごした。


でもお弁当はいつも以上に頑張った。

莉兎の好きなものばかり詰め込んでちゃんとラブレターを添えて。

隙間時間にわざわざメッセージをくれた。

『お弁当やばすぎ。ありがとう』

少しでも元気になったりサポートできれば。

そういう気持ちで詰め込んだおかずと愛情。

同じお弁当を食べながら莉兎の喜ぶ顔を近くで見たかったなぁと思ったりして。



二日目の夕方、そろそろ展示会も終わる。

そんな時たまたま帰ってきた営業担当の女の子が

「越智さん、やばいですよ」

あたしのデスクに来て話しかけてきた。

あまり喋った事のない子だったけど感じのいい子。

周りからは田中ちゃんと呼ばれていてまだ働いて一年くらい。

茶色の髪でボブがよく似合っている。

片方の髪を耳にかけていてゴールドのピアスがキラッと輝いている。

女の子らしい子でネイルもピンク、可愛い色。


「…何がやばいん?」

「降矢さんの勢いがやばすぎです」

その一言に笑ってしまった。

隣で聞いていたさえちゃんも思わず吹き出している。


わざわざ報告してくれるなんてありがとう。

…という事は田中ちゃんもあたしと莉兎の関係を知ってるという事か。


理解しながら

「何かやらかした?」

聞けば首をぶんぶんと横に振る。

「新規の企業も多いのに成績凄すぎです。士気上がってみんなの勢いもやばい」

「莉兎頑張ってるんやな」

「こんな展示会初めてです。越智さん、何か降矢さんに言いました?」

「何も言うてないけど…」

頑張って、くらいしか言った覚えがない。

何をそんなに頑張る素になってるんだか。

もしもその理由がお弁当ならめっちゃ嬉しいけど。


ふんわり考えていると田中ちゃんは頷きながら

「やっぱり愛の力ですね…」

呟いてたけど普通に恥ずかしいから。

「やめて」

「冗談です。でも生き生きしててほんま降矢さんが楽しそうなんで」

「それならええけど無理すんなって言うといて」

「伝えときます」

田中ちゃんはしっかり伝言を受け取って去っていく。


愛の力ねぇ…やっぱり恥ずかしい。

でも莉兎が頑張れる活力になれているなら嬉しい。

何より楽しんでいるならそれでいい。


さえちゃんは温かくあたしを見ながら

「ひよちゃんよかったなぁ」

どういう意味なんやろうと感じる一言。

見つめればニコニコしてるさえちゃん。


…おそらく莉兎が頑張ってる楽しんでるという事より莉兎の近況を聞けてよかったなぁという事かも?

まぁ事務所にいるあたしには莉兎がどうしてるのか全く分からずにいたけれど。

田中ちゃんのおかげかな。

少し気持ちが上がって残りの仕事も頑張ろうと思えた。





展示会の終了。

続々と社員達は帰ってくる中で成績を聞く。

商談に進めなかったけどいい関係を築けそうな企業の話。

商談から契約まで進めた話。

聞けば聞くほどいつもの展示会より盛り上がった事を知る。

実際来てくれた企業は思ったより多かったらしい。


営業の人達は駆け抜けた達成感に満ちた顔をしている。

みんなにお疲れ様と言いながらも気にするあのチビ。

まだ帰ってきていないと思いながら

「莉兎は?」

一人の営業担当の男性社員を捕まえて聞けば

「撤収作業で残ってます」

そう言われて頷く。


「安心して。莉兎はトップ爆走の成績」

後ろから声をかけられて振り返るとマリコは笑っている。

「お疲れ。まぁ成績は別にええんやけど…」

それでもトップ爆走と聞くと嬉しい。

抱きしめたい、愛でたい、めちゃくちゃに甘やかしたい。

頑張ったなぁってわっしゃわしゃに髪を撫でたい。

展示会の準備で忙しくなってから心が鳴いてばかり。


「撤収も会場に結構な人数残ってるからすぐ終わると思うよ」

「そっか」

「ひよはもう終わりやろ?」

「うん…待ってたら多分怒られるから帰る」

おそらくそうに違いない。

「何で帰らんねん!」ってぼやかれそう。


仕方なくみんなが盛り上がっている中で事務員は帰り支度。

定時が来たらさっさとパソコンをシャットダウンして帰る事務員もいる。

どれだけ周りがわーわー騒いでいようと自分は自分だし仕事は仕事、と割り切っているんだろう。

でもあたしもさえちゃんも何となく後ろ髪を引かれながら仕方なく帰宅。



家まで歩いて帰ってからやらなきゃいけない事を片付けていく。

お風呂、スキンケア、ドライヤー。

そして気になってしまったら最後、机の上を片付け始めたりして。

それから夕飯どうしようと思いながら冷蔵庫を開ける。

莉兎は?

打ち上げに行くとか?

思わずスマートフォンを確認してみたけど、そういう連絡はない。


とりあえずカレーくらいならすぐ作れるし残ったとしても明日食べれるだろうと準備し始める。

お米を炊いて野菜を切って煮込むだけ。

サラダも作ろうと野菜室を覗けばアボカドと対面。

ちょっと握ってみるといい感じに熟れている。

ついでにきゅうりとトマトを取り出してカマンベールチーズも。

これらを切ってもみ海苔をふりかけてわさび醤油でどう?

いい感じかも、と思いながら黙々と切る。


漏らすのは溜め息。

静かな部屋、カレーを煮込む音と包丁のトントンという音だけ。

ニオイは家庭的満載なのに味気ない。


今までこれが当たり前だったのに退屈さを感じている。

莉兎がいないとこんなにも何もかも色褪せて見える。

しかも今夜のカレーもアボカドのサラダも莉兎が食べてくれるとは限らないし。

撤収作業が終わってから「打ち上げ行ってくる」なんてメッセージがくるかもしれないし。


全部が無意味な行動のように思えてきた。

自分の空腹さなんてどうでもよくて。

食べてくれる人がいない、自分の為だけに作るご飯って本当に

「しょーもないな」

切ったアボカドやきゅうり達をコロコロと器に入れて溜め息。


あたしはもう既に莉兎がいないと駄目で。

好きだった料理すらまともにする気になれなくて。

寝れない夜をこえるのも一人じゃもう無理で。

何もない眠るまでの時間でさえ、どう過ごしていいのか分からなくて。

莉兎ありきの生活、メンタル。

こんな事を本人に言ったら煙たがるかなぁ。


二人分のサラダを作るだけ作ってカレーも出来上がった所で食べようと気になれず、ソファに座る。

無駄に延々と何本も煙草を吸い続けてやっと飽きたかと思えば、今度はベッドにごろん。

枕に顔を埋めると同じシャンプーのはずなのに莉兎のニオイを見つけて胸がぎゅうっとなる。

「ほんま無理」


元々展示会の責任者に推したのはあたしなのに。

だって社長があれだけ信頼してくれてるから。

仕事は仕事。

そう思ってたのに、思ってたのになぁ。

莉兎はどう抱えてるか分からないけど、あたしの方がダメージが大きいかも。

でもこれで寂しさを感じてるなんて贅沢。


世の中には遠距離のカップルもいる。

なかなか会えずに嘆いている人なんかいくらでもいる。

あたしはまだ毎日会えてるし文句を言ったり寂しさを感じるのは違う。

そう言い聞かせようとしたけど、それでもやっぱり近くにいるのにじゃれ合えないのは寂しい。

うん、寂しいもんは寂しい。



認めながらスマートフォンで見つめるカレンダー。

今日は金曜日。

やっときた週末。

いっぱい一緒におりたい。


いや、展示会の準備から当日までの間も週末はあった。

その時莉兎は「仕事せん!」って言っていっぱい構ってくれた。

でもキスでストップしてた。

何で?と思いながら誘ったけどやんわり断られた。

「展示会終わってからな」


それがどういう意図なのか分からないまま。

だからそういう理由もあって色々無理。

元々性欲は普通だったはずなのに莉兎とのセックスを味わってから溢れるほど出てくる。

いつだってしたいと思うほど。

それなのに禁欲を命じられてるみたい。

一人で済ませてやろうかと思うけど絶対物足りないに決まってる。


何回めかの溜め息を漏らしながらもこの土日は期待。

展示会も終わったしゆっくりできたら。

それに飽きるまでじゃれ合えたら。


もうそれだけでいい。

どこかへ行くとか何かをするとか別に望まない。

ただ二人だけの邪魔されない時間が欲しい。






莉兎が帰ってきたのはそれからしばらく経ってからだった。

玄関がガチャンと鳴って驚きながら駆け寄って鍵を開ければ

「ただいま」

莉兎はその言葉を共にしがみついてきた。

ボトっと鞄を落としてぎゅうっとする莉兎に負けないくらいあたしもぎゅうっとした。


「おかえり。お疲れ様」

「んん、頑張った」

「偉い。ほんまええ子」

「ひよ」

「んー?」

パッと離れて愛溢れる言葉を待つ姿勢を整えたら

「夕飯カレーやろ」

ニィッと笑う莉兎に呆れてしまう。


好きとか愛してるとか。

そんな言葉、待ってたのに。


でも鼻のきく莉兎らしい言葉に笑えてきて

「カレーやけど…他に言う事ないん?」

離れれば莉兎は早速鍋の中を見て喜んでいる。

「なに?何かあった?」

「好きとか」

「愛してる」

「あたしも愛してる」


部屋の中に入って早速莉兎は服を脱ぐ。

煩わしいらしくジャケットやブラウスをどんどん脱いでいくから一つ一つ拾い上げる。

ジャケットもパンツもハンガーにかけて。

ブラウスは襟首を見れば汗染み。

漂白をかけなきゃなと思ってふいに感じる。

この行動って奥さんっぽい。

そう感じたらちょっと笑えてしまう。


「お風呂入っといで」

「うん。汗だくだく」

「行ってらっしゃい」

そのままお風呂に入る莉兎の後を追ってバスタオルと着替えを用意する。

もう立派な奥さんが務まる自信を持ちながらカレーを弱火でコトコト。

そして冷蔵庫に置いてたサラダを取り出す。

もみ海苔をふって小さなガラスコップにわさび醤油を作ってかけた。


机にサラダを持って行って度々カレーをかき混ぜて温まった頃、自分の分のご飯をお皿に盛る。

炊きたてのご飯は艶々としていて美味しそう。

やっと食べる気になれたと思う。


そしてやっとこの部屋全体が呼吸をし始めた、とも。

あたし一人だとこの部屋は死んでたから。

そもそもあたしが死んでたんだから仕方ない。


莉兎が帰ってきてくれるだけでこんなにも違う。

途端にやる気に満ちて、嬉しくなって、単純。

でも複雑よりマシやろ。

人間は単純くらいがちょうどいい。

勝手な持論。



相変わらず烏の行水の莉兎にスキンケアを促してドライヤータイムも終えて。

「ご飯どれくらい食べるん?」

「いっぱい」

「はいはい」

大盛りカレーを持って行けば莉兎は嬉しそう。

福神漬けを冷蔵庫から持ってきて隣に座ると

「…先に食べてないん?」

嬉しそうだった顔が一転、曇っている。


「だって食べる気せんかったんやもん」

「はぁ?」

「莉兎が打ち上げ行ったらとか考えてたら何か…何もしたくなくなった」

「打ち上げしよるよ、今」

え?と思っているあたしを無視して「いただきまーす」と莉兎はガツガツとカレーを食べ始める。

いつも通りのニッコニコな顔で「うまい!」と言いながら。


「打ち上げ行かんでええん?」

「うん。みんなが行く前にお疲れとありがとうって挨拶だけしてきた」

「何で行かんの?責任者やのに」

「ひよ一人にしたくないもん」

スプーンからお箸に切り替えて今度はきゅうりをもきゅもきゅ食べる莉兎は平然としている。

あたしが理由って何かめっちゃ悪いやん。


カレーを掬いながら

「ごめん」

呟けば莉兎は笑っている。

「何で謝るん。居酒屋飯よりひよのご飯が食べたいだけや」

「ほんならもっとマシなご飯作ればよかったやん」

そういう流れになるなら早く言うといてほしかった。

だったらカレーじゃなくてもっと莉兎が喜ぶようなご飯をいくらでも作ったのに。


悔やむ気持ちをよそに

「莉兎の大好物、よぉ知ってるやん」

ニッと笑って莉兎はカレーを食べる。

「カレー好きなん?」

「めっちゃ好き。子供の頃から憧れやった、家のカレー」

「覚えとく」

「しかもこれすじ肉ちゃう?」

「そうやけど」

「こんなん店でしか食べた事ない。サラダもほんま美味しい。ひよありがと」


カレーだけでこんなにも喜ばれるとは思わなかった。

今までカレーを作ってこんなにも喜ばれた事もない。


カレーなんか手抜き。

そう言われた事もあるくらいなのに。


莉兎が美味しそうに食べる姿を横で見れて嬉しい。

満足そうで食べる事に必死でハムスターみたいに頬が膨らんで可愛い。

「福神漬けいらんの?」

「い、る!」

「どれくらい?」

「いっぱい!」

「はいはい」






ご飯を食べた後に聞く展示会の話。

吉野くんに任せてた書類がミスで遅れて焦った事。

途中、周囲のだらけた雰囲気にガチで怒った事。

でも自分が頑張らないと駄目だと必死になった事。

初めて展示会に来てくれた企業と談笑できた事。

最終日にずっと狙っていた企業が来て商談できた事。

そしてあたしという存在とお弁当でやる気が漲った事。


莉兎にくっつきながらそれらを聞いて笑う。

「お弁当だけじゃないん?」

「ひよが社長に言うたやん。莉兎なら成果上げるって」

「…言うたけど」

「信じてくれてるその気持ちを裏切る事はせん」

少し上を見上げると莉兎はドヤ顔。

その頬をつついてもっとしがみつく。

「格好良すぎ」

「もっと褒めてくれてもええで」

「もう好き。大好き。愛してる」

「ちゅきちゅき」


こんな時間がずっと欲しかった。

この他愛もない時間が。

緩く進んでいく時間が。

まるで桃色の海に二人で浮かんで漂うような。

一番心が穏やかになれて、それでいて幸せ。



「これで勝ち取ったな、三連休」

ふわふわしているあたしに聞こえてきた言葉。

「莉兎三連休なん?」

月曜日は平日だから有給を取ったんだろう。

そりゃそれだけ成果を上げたなら誰も文句を言わないと思う。


見つめれば莉兎はきょとんとしながら

「ひよも三連休やで?」

あれ?知らんかった?みたいな雰囲気で言うから驚いた。

「は?聞いてないねんけど」

「あれ?言わんかった?」

「知らん」

えぇ…あたしも?

先に浮かぶのは仕事の業務。

月曜日、さえちゃんや他のメンバーで大丈夫かな。

さえちゃんには後でメッセージを送っておこう。


驚くあたしに莉兎は

「誰も文句言わんやろ。ひよが地下の倉庫片付けてたん知ってるで」

髪を撫でながら穏やかな瞳で呟く。

「そんなん、」

「そんなんちゃう。気付いてても誰もせぇへん事してるんやから胸張ればいい」

「…うん」

「みんなひよに助けられてるからな」

ぎゅうっと抱きしめられて今度はわっしゃわしゃとあたしの髪を撫で回す。


それが嬉しくてあたしもしがみつけば莉兎は耳元で

「成績上げる人だけが偉い事なんかないねん。ほんまはひよみたいに黙って文句一つ言わずに支える人が一番偉い。ほんまにいつもありがとう」

何故だか真剣に言われた言葉が意外すぎて言葉に詰まる。


莉兎はちゃんと見てくれてる証拠だろう。

あたしの小さな手間や気遣い。

周りが快適にそれぞれの業務を遂行できるように努めている事。

それをいざ言われると少し恥ずかしいけど、恋人が一番よく見てくれて褒めてくれるのは嬉しい。

事務員なんて褒められる事などほぼないのだから。



「…んじゃご褒美ちょうだい」

離れて莉兎の唇に近づくと軽く触れてくれる。

ちゅっとして離れると至近距離で見つめ合う。

「何が欲しい?」

「莉兎が欲しい」

「それは莉兎のご褒美になるやん」

笑う莉兎をよそにあたしはもう一度唇に触れて

「どっちもご褒美でええやん」

呟くとお互いに真面目な顔。

「三連休で抱き潰すつもりやってんけど」

「抱き潰してよ」

「、ひより」

「もう、」

早くめちゃくちゃに抱いて。


あたしの言葉に莉兎の瞳の色が変わる。

すっかり獣の瞳、そして唇を舐める仕草。

それを間近で見るだけで背中がぞくぞくした。

何ならそれだけで期待感が溢れて濡れた。


いっぱいぶつけよう。

寂しかった事も愛してほしかった事も全部。


噛みつくようなキスをされて完全にスイッチが入ったあたしは莉兎の首筋に腕を絡ませた。


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