第6話 病気やねん
アラームで目を覚ますよりもひよに起こしてもらう方が遥かに幸せだと感じた朝。
お仕事スタートの月曜日。
欠伸を漏らしながらおはようを言って出勤の準備。
朝ご飯をきちんと作ってくれていて感謝しながら食べる、チーズホットサンド。
甘いカフェオレを飲みながら最高だと感じる。
一人の時はギリギリまで寝てたせいで朝ご飯は抜きだった。
それを話したら
「ちゃんと食べなあかん」
って怒られたっけ。
でも家に食べるものなんかほとんどなかったし、どうでもよかった。
お腹は空いてたくせにパンを焼く事すらめんどくさかったから。
その後、歯ブラシ片手にシャコシャコしながらキッチンを見るとお弁当は小さなトートバッグに入っている様子。
「お弁当のおかずにゃに?」
苦い歯磨き粉のせいで上手く喋れないまま聞くとひよはソファでメイクをしながら
「教えにゃい」
普通に返されてウケた。
笑ったせいで歯磨き粉混じりの唾液が垂れる。
朝から可愛い返しすんなよと思いつつ。
お弁当の中身を気にしつつ。
バシャバシャと口内と顔を洗って着替えた後、メイク。
でもその前にとキス。
リップをしていないから少し長めに。
ふふッとお互い笑い合って仲良くメイク。
二人揃って戦闘体勢になりつつある。
切り替えって大事。
週末はひたすら愛の交換。
バカな事をして笑って愛し合ってべったりだったけど今日はそういかない。
月曜日の朝はスイッチが入ったように仕事モードに切り替えていく。
でも行きたくない気持ちなんて満載。
これまで感じなかった憂鬱さ。
ひよと無邪気に戯れていたい。
仕事よりも楽しい時間を味わってしまったからだと思う。
「行きたくないー」
ぼやく莉兎にひよは
「ほんまそれな」
シャドウを塗りながら笑う。
「休みたいー」
「分かる」
言い合いながらも準備は着々と進んでいる。
そう、言う事で発散してるだけ。
本気で行きたくないわけじゃないし休みたいわけじゃない。
そんな事をしたら周りに迷惑がかかる事なんて当然分かってるんだから。
でも言うだけ言わせてほしい。
メイクを終えて髪を梳かす。
ピアスをして莉兎はジャケットを羽織る。
ひよが着ているボウタイブラウスは昨日買ったものだ。
小さなドット、そしてリボンタイじゃない所がひよらしくて似合っている。
「そのブラウスよぉ似合ってる」
「莉兎のブラウスもええやん」
同じく昨日買ったブラウスを着ている莉兎。
お互いに新しいブラウスで気分を上げてる感じがして嬉しい。
一通り準備を終えて一服。
しっかり一服タイムは忘れずに。
煙草を吸いながらスマートフォンを触るよりひよの手を握る。
指を絡ませ合ってじゃれ合う手と手。
指先だけで愛してるって伝えられるものなんだと初めて感じる。
互いの爪を撫で合ったり親指や小指をキュッと掴んだり絡ませたり。
こんな事一つでさえ、出勤すればできない。
「莉兎」
「んー?」
煙草を早々ともみ消したひよはふっと白い煙を吐いた後、莉兎の肩に寄りかかる。
「周りに言うてええで」
「なにを?」
「あたしと付き合ってる事」
まだ仕事と私生活を分けていたいと思っていたけど…ひよがそう言ってくれるなら?
どうせ周りは若干勘づいてるし?
聞かれたら答えるけど的な感じでおったけど言うてええなら?
「え、ほんなら出勤と同時に言うわ」
煙草を抜き取って灰皿にぽんっとしながら言えば
「それは許さん」
離れたひよは呆れた様子で鞄を持って立ち上がる。
莉兎も同じように立ち上がるけどちゃんと煙草を鞄に入れながら
「どのタイミングで言うたらええねん」
分からずに聞くけどひよの瞳は「それくらい分かれよ」みたいな色だった。
「なんか…発表!報告!みたいなん嫌やからな」
「さらっとならええん?」
「まぁ、ほんまさらっとやで?」
何かひよが自ら「言うてええよ」と言ってくれるとは思わなかった。
恥ずかしがりだし何せ女性同士だしひた隠しにし続けたいだろうと思っていたから。
莉兎自身も言いたい気持ちはそこまで湧いてなかったけど…了承してくれたなら言いたくなる。
それぞれお弁当のトートバッグを持って
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
「ひよも言うて」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
お互いに言い合って出勤。
夜の間、雨が降ったようで地面が濡れている。
曇り空で降りそうな降らずにジメジメしそうな中途半端さ。
一番鬱陶しい空だと思いながら車に乗って運転スタート。
ひよの家から会社まで近いから楽々。
それにしてもさらっとでも言っていいとは。
どうしたんやろうと考えを巡らせれば思い当たった昨日の弱気な自分。
あの時ひよが言った「黙って横におれよ、うさぎ」という一言に全部吹っ飛んだけど。
ひよの無意識さとか無自覚さにもだもだしてしまっているのは事実。
思ってる以上に可愛いし綺麗だし人に言わない努力家、魅力は満載すぎるほど。
それに「いいよな」と言ってる男も女も莉兎は知ってる。
そんな奴らと比べて莉兎のひよへの気持ちは負ける気なんかないけど、あの時の弱音は根底にあったものかもしれない。
認めずにいた、ポジティブマインドで覆い隠していた弱音。
ひよの事になると弱い…自分に弱点ができたんだと痛感する。
でもそれがなんやねん。
ひよが言った言葉の通り、横におるからな。
譲ったりしない、莉兎だけの特等席。
仕事が始まってひよはデスクワーク、莉兎は早々に会議。
また展示会をするらしい。
展示会はウチのブランドを売り出す絶好のチャンス。
色んな企業と巡り合ってコミュニケーションや更には商談までできるから定期的に行っている。
次のシーズンごとや大きな会場で開催されるものもある。
今回はウチのブランドだけの展示会で会場を借りて行うものだ。
この準備がまた大変。
搬入、セッティング、空間デザイン、最後は撤去作業。
残業続きが予想されただけで嫌やなと普通に思ってしまった。
ひよとの時間が減るやんけ、と脳内で思いながらも社長はやる気満々。
ウチの社長は若くしてアパレル会社を起業した人。
だから他の会社の社長になめられてた事もあったらしいけど実力で蹴飛ばした人。
莉兎は憧れてるし慕ってるけど、他の社員は「怖い」と印象を持ってるらしい。
話したらラフでいい人なのに。
いや、まずそんな砕けて話す場面すらないんだろうけど。
莉兎が社長と話す機会が多いのは
「展示会の責任者は今回も莉兎でええやろ」
このせいだった。
少し焼けてる社長…また趣味のサーフィンか釣りにでも行ったのか。
数年前は短髪のツーブロックだったのに今は少し伸ばして前髪がセンター分け。
絶対韓国かぶれや。
流行りに乗ろうとすんなよ、四十代後半のくせに。
何も言わずにジッと見つめていたら
「莉兎ええよな?」
確かめるように社長に言われてしまった。
会議に参加してるのは数十人。
二十代前半もいるけど、今回の展示会が初めてという子もいるだろう。
後はいつものメンバー達や頼れる年上メンバーもいるけど
「嫌」
はっきり言ってみる。
莉兎は忙しい…心の中が。
あれ?仕事を今以上に頑張る!とかひよに断言してたのにな…おかしいな。
でも営業成績だけ頑張るから責任者のポジションは外させてほしい。
「それじゃ責任者は莉兎で」
「嫌って言うたやん!」
「解散」
「人の話聞けや!」
莉兎の嫌アピールをスルーしてお開きになるという結末。
ぶすっとして座ったままでいる中、他の子達は会議室から出ていく。
二人きりになった所で横の椅子に腰かけて
「どした?いつもやったらやる気満々やのに」
社長が心配そうに耳を傾けてくれる。
同じように座ってても全然目線の高さが同じじゃない。
そりゃそうや、社長の身長はバカ高いんやから。
モテモテやろ?って前に聞いたら笑っただけやった。
あれはムカついたなぁと思い出しながら
「病気やねん」
俯いて零す。
確かに莉兎は嘘をついてない。
歴とした病気やもん。
けほっ…とか細い咳くらいしてみる。
これは嘘やけど、何かごめん。
社長は
「そんなんはよ言えや…病院は?大丈夫か?」
めちゃくちゃ親身でめちゃくちゃ心配してくれた。
本気でこられたらこっちもじわじわと本気になってくる。
「病院行っても治らん…」
「行ってみらんと分からんやろ。症状は?」
「胸が苦しすぎる」
ひよが好きすぎて。
「あとは?」
「たまにめまいする」
ひよが可愛すぎて。
「…とりあえず仕事よりも自分の体を優先せんと」
ありがとう社長。
でも出勤せんかったらひよと離れるやん。
それにお弁当作ってもらえんやん。
これだけで会社来る価値あるやん。
俯いたままの顔を上げて
「社長」
真っ直ぐ見つめると
「なんや?」
「病名は分かってんねん」
打ち明ける準備を整える。
社長の目、ちょっと糸目で小さいけどよく見たら可愛い。
「そうなんか?」
「うん、恋の病やねん」
「…お前ぶっ飛ばすぞ」
可愛い目が急に凶暴になった。
お腹を抱えて笑い出す莉兎に社長は深い深い溜め息。
更には前屈みで親身になって聞いてくれていた姿勢をだらけさせて
「しょーもな!」
叫ばれたけど、それは心外。
「失礼やろ。謝れ」
「相手誰やねん、どんな男?」
「男ちゃうわ」
そう言った後、ハッと気付く。
この流れってさらっとやん?
え、初めて会社で言う相手って社長?
疑問符が浮かぶけど、まぁいいか。
「女?」
「ひよ」
「ひよ?」
「越智ひより」
フルネームを言う事がないから何か胸が…。
ぎゅうっとなってニヤニヤしてしまう。
社長は唖然とした後でまた溜め息。
あれ?社内恋愛禁止じゃないよな?
他に社内恋愛してる奴らを何人も知ってるし、問題ないはず。
それにしてもこの静かな空間での溜め息ってこんなにもクリアに聞こえるんだと感心する。
「莉兎…見る目あるな」
「どういう事?」
「俺も越智はいい女って思ってた」
は?
今度、こっちの番?
こっちのターン?
凶暴化するで?
喧嘩売ってる?
ニヤニヤしてた表情が一気に萎んで真顔になって。
更には鋭く睨んだ後
「殺すぞ」
気付けば低い声でマジに言ってた。
雇い主で尚且つ憧れてる社長に対して。
握ってたボールペン。
凶器はこれだけか、くそ。
そこまで考えてたら社長は
「やめろ、本気で怖いから」
普通にビビっててキャスター付きの椅子をカラカラと引いて莉兎と距離を置く。
「従業員をそういう目で見るな。きっしょいな!」
「違うて。手ぇ出すわけないけど越智のいい所は知ってる」
「莉兎のもんやからな!」
「分かったから!とりあえずボールペン放せ」
仕方なくボールペンを手放すと社長は安心している。
でも今後の社長の発言次第で再び握る事になると思う。
まぁ、ひよのいい所を社長が分かってくれてる事は有難い。
ひよの影の努力が報われてて嬉しい。
見てる人は見てる、それが社長というのが嬉しい。
「で?越智が好きすぎて病気なん?」
「うん。今まで仕事ばっかしてきたけど今は違う」
「なるほどな」
「だから展示会の責任者は無理やねん」
「…分かった」
社長は立ち上がってドアの方へ行く。
やっと分かってくれたみたいで何より。
責任者はマリコがいいと思う。
みんな慕ってるし頼りにしてるし引っ張っていく力もある。
欠伸を漏らして大きく筋を伸ばしていると
「越智!ちょっときて」
責任者の変更じゃなくて何故かひよを呼ぶ社長に驚いて椅子から転けそうになった。
何故だかビクビクしてしまっている間にひよは会議室にやって来た。
「どうしたんですか?」
「莉兎が病気らしい」
「…病気?」
待て。
社長と莉兎との間で繰り広げたバカバカしい話をするな。
ちゃうねん!
待って!
あのな…と口を挟もうとしても二人は聞いてない。
一通り話を聞きながら段々ひよは耳が赤くなってくる。
それから
「本当にすみません!」
社長に謝った後、莉兎の元に来たかと思えばバシン!と頭を叩いた。
「い、った!」
「アホな事言うな!」
「ちゃうって…!」
「社長、展示会の責任者は変わらず降矢でよろしくお願いします」
「勝手な事言うなや」
降矢って呼ばれるの新鮮…とか感じてる隙間もなく。
社長に頭を下げっ放しのひよは
「降矢なら必ず次の展示会の成果も上げるはずです」
真っ直ぐに言った言葉に心臓が震えた。
仕事上で恋人にそんなにも信頼されてるなんて。
今までの莉兎がわがままで駄々っ子みたい。
子供やったなと反省。
ひよの言葉に社長は頷いていて
「莉兎どうする?」
こっちに視線を送ってきたから
「やる」
返したのは一言だけ。
でも続けて
「わがまま言うてごめんなさい。頑張ります」
立ち上がってぺこりと頭を下げた。
その姿勢に社長は笑いながら
「これからもっと二人がこの会社を支えてくれるのを期待してる」
そんな事を言うせいでひよは何だか恥ずかしそうだった。
莉兎は莉兎で「社長らしい事言うてんな」くらいだったけど。
ひよと会議室から出て行こうとした時
「並んだらよぉ似合ってる」
社長はニヤニヤ笑って茶化してきた。
「せやろ?」
ふふんと機嫌良く言う莉兎とは正反対の照れたひよ。
会議室から抜け出した後
「アホうさぎ」
今まで照れてたはずのひよは呆れた顔で耳打ち。
アホうさぎて…とんでもない悪口を平気で言うよな。
むすっとするけど何も言えない。
だって朝っぱらからひよに迷惑をかけたし。
それに初めて言った相手が社長っていうのも何か悪いし。
無言で立ち止まる莉兎にひよは溜め息を吐いた後、さらっと頭を撫でた。
「なにこれ」
「何となく」
「もっと撫でていいで」
「調子に乗るな」
パッと莉兎の頭から手を離して自分のデスクに戻っていくひよ。
その後ろ姿を見ながら感じる。
仕事中のお姉さんという雰囲気のひよもやっぱり好きやな、なんて。
もちろん私生活の甘ったれな可愛さ溢れるひよも大好きやけど。
結局午前中は展示会に関しての事務作業で外へ出れなかった。
資料を作成してまとめたりメンバーに打ち合わせの日程を伝達したり。
こうやって会社に引き篭もるのは好きじゃない。
本当はパッと外へ飛び出して違う空気を吸いたい。
だから営業が好き。
全く違う人と話せるし気分転換に車の運転もできる。
営業に対して怖さはない。
寧ろ楽しいけど、それを営業担当の後輩に言えば
「コミュ力おばけですね」
驚きながら言われた言葉に笑えてきた。
社内にいるからこそ、たっぷり仕事中のひよをチラチラ見る事もできてよかったかも。
午後からは営業の予定。
ちょうど電話でアポが取れたおかげ。
でもとりあえず目先の目標は展示会の成功。
トラブルなく頑張ろうと思う。
ふわふわ考えていると十二時、お昼の時間。
やっときた…この時間が。
「ごはん!」
勢い良く立ち上がる莉兎に周りは驚いている。
みんな気付いてない、先週までの莉兎と違う事を。
このトートバッグを見よ。
お弁当というものが入ってるのだ。
ルンルンしてオープンスペースに行こうとする莉兎を制した声はひよだった。
「デスク片付けてから行けや」
「ええやん」
「風吹いて書類飛んで失ったらどうすんの?」
うわ、めっちゃ細かい事言うやん。
ひよの口答えは許さんスタイルを見たけどやりたくなさそうな顔を浮かべたら
「片付けなさい」
まるでおかんみたいに言われて渋々片付ける。
ボールペンやマーカーを直して。
書類をまとめてその上にタブレットを重石として乗せておいた。
これでイタズラな風が吹いても飛ばされないはず。
いそいそと黙って片付ける莉兎の隣の席にいるのは吉野信哉。
莉兎より年上、32歳のお調子者。
いつもイライラする事を言う空気の読めない男。
まず身なりからして好きじゃない。
パーマのかかった髪、そして黒縁の丸メガネに口元の緩さ。
身長は高いけど細すぎてひょろひょろ。
言葉も行動も軽いし見てて腹立たしい事ばかり。
冷たく辛辣に接して当たりが強いはずなのに何故だか懐かれている。
名前が「信哉」だから「のぶ吉」と呼んでるけど、そう呼んでるのは莉兎だけ。
「降矢さん、越智さんの言う事は素直に従うんすね」
「うっさい。こっちは急いでんねん」
「やっぱり降矢さんも越智さんが怖いんすか?」
「莉兎は何言われてもへこたれへんお前のメンタルの方がよっぽど怖いわ」
早口に言って片付けを終えるとトートバッグを持つ。
のぶ吉に気付かれても鬱陶しいだけやなと思って早々と離れた。
ひよもさえとこれからお昼らしい。
オープンスペースに行く為、事務所を出ようとしたらちょうど一緒になった。
目が合ったけどお互い笑い合うだけ…かと思いきや
「ちゃんとデスク片付けてええ子」
頭をポンっとして子供扱い。
それでも嬉しいとか思ってしまう、悔しい。
「当たり前やろ」
「その当たり前をやらんとご飯食べようとしてたんは誰やねん」
「忘れた」
いひひ、と笑って事務所を抜け出す。
エレベーターは待ってる人がいたから階段で。
ダッシュして階段を駆け下りながらもお弁当を傾けないように。
それにしても…莉兎とひよを見つめるさえの目はなんやろう。
何か温かく見守ってるような…変な感じ。
そんな事を思いながらオープンスペースに到着。
お昼ご飯を食べる時だけ開放されたスペース。
椅子と机がいくつかあって既にお昼休憩に突入している人がご飯を食べ始めている。
莉兎もお昼ご飯を食べる時、ここを利用する。
もちろん公園で食べたり何なら車の中で食べる事もあるけれど、会社から出ずに済むのは楽。
窓際の四人席にマリコがいた。
へへっと笑いながらすぐさまマリコの向かいに座る。
別にいつも決まって誰かと食べるわけじゃない、お互いに。
莉兎もマリコもふらふらと回遊魚みたいな存在。
ひよとさえみたいに固定の誰かがいないし一人で食べる時も全然ある。
「お疲れ」
「お疲れ…あれ?今日お弁当?」
すぐさま気付いてくれるなんて流石。
マリコはコンビニのサンドイッチとフルーツ、そしてレモンティー。
莉兎にとってそれは間食レベル。
サンドイッチは合間に食べるもの。
フルーツはおやつに食べるもの。
マリコの食の細さにはいつも驚かされる。
食べる事に執着がないらしい。
何なら食べなくてもいいって言う時があるらしいけど、信じられない。
「せやねん」
わっくわくしながらトートバッグの中をやっと見たらメモ用紙。
取り出して読んでみる、可愛い文字。
『初めてのお弁当。
全部食べてくれたら嬉しい。
お互い一日頑張ろうな。
莉兎愛してます(文字で書いたら恥ずかしい)』
「…マリコ」
「ん?」
フルーツのキウイを食べながらマリコは見つめている。
はぁぁ、と俯いてから顔を上げて
「幸せは一瞬かな?」
気付けば真剣に問いかけていた。
他人にご飯を作ってもらった事がない。
親でさえ…なのに。
親の手料理で印象深かったものとかそういう話題になるとついていけない。
母親は普段から料理なんてしなかったし。
夜の仕事に行く為、菓子パンを与えられていた。
あと昼間に男を連れ込んでセックスしたいが為に五百円を握らされて夜まで帰ってくんなと言われてた。
その五百円で何を食べようと必死にスーパーで計算した事を覚えている。
唯一、記憶にあるのは味噌汁だ。
でもわかめと豆腐くらいしか入ってないシンプルな味噌汁。
それを何日も食べ続けた、ご飯にかけて。
ド貧乏というか被虐待児だったけど、律は作ってくれた。
初めて律が作ってくれたたまご焼きは上手く巻けず、ぐしゃぐしゃ。
味も薄かったけど美味しいと感じたし何より嬉しくてたまらなかった。
そんな莉兎が今、ひよの作ってくれた温かいご飯を食べている。
これが幸せじゃないと言うなら何なんだろう。
当たり前とか普通と言われたら頭が混乱してしまう。
恋人が作ってくれたご飯やで。
それも一緒に食べてる時間があるんやで。
美味しい!と言ったらめっちゃ嬉しそうにしてくれるんやで。
莉兎にとったら幸せすぎる。
更にはお弁当まで。
そしてそこに添えられたラブレター。
おそらく今抱いてる幸せは一生思い出すだろう。
あの時、ほんまに嬉しかってん。
何年経ってもひよに言い続けたい、何回だって。
マリコはキウイを飲み込んで
「お互いの努力で一瞬じゃなくなると思うけど?」
ふっと笑う。
きっと全部分かってる顔。
このお弁当は誰が作ってくれたものなのか。
そしてこのラブレターは誰が書いてくれたものなのか。
続々とオープンスペースに人が入ってくる。
一気に騒がしくなる中で溜め息を漏らして
「ちゃんと努力して生きる」
そんな決意をしながらお弁当箱を取り出す。
パカっと開けてひたすらにニヨニヨ。
ほっぺたが緩みすぎてもうやばい。
「こういうのって宝石箱やー言うたらええんかな」
「言いたいんやろ」
「宝石箱やー!」
「ウザイねん」
莉兎の後頭部をコツンと小突いたのはひよだった。
振り向けば、さえと一緒にやって来て
「マリコ、かまん?」
「どうぞー」
四人席が綺麗に埋まった。
目の前にマリコ、斜めにさえ。
莉兎の横にはもちろんひよが座る。
「お茶忘れたから」
ほい、とくれたペットボトル。
わざわざ自販機で買ってくれたんだろう。
「ありがとう」
改めてお弁当を見る。
キラキラと星のような輝き。
ハンバーグにプチトマト、ブロッコリー。
赤ウインナーとたまご焼き、そして
「ちくわやんな?」
ひよを見れば頷きながらお茶を一口飲んで
「そう。ちくわとハムとチーズ巻いたやつ」
それを聞いてテンションが上がる。
好物ばかりだったから。
「嬉しそうやな」
「莉兎ちゃん食べてみたら?」
マリコとさえに見守られながら
「愛妻弁当いただきまーす」
お箸を手に取って言えば、スパン!と頭を叩かれた。
なぁ、今日何回目?
頭叩きすぎじゃない?
睨みながら
「何すんねん」
ぼやいたらひよは恥ずかしそうに
「いただきますだけでええねん!」
大声で言われてしまった。
でも…言いたかったんやもん。
愛妻弁当とかええやん。
このフレーズ自体、夢やん。
そう思いながらも「いただきます」と言い直して食べる。
「うまい!」と食べ尽くしていく、お弁当に一点集中する莉兎にみんな呆れている。
「二人共幸せそうで何より」
マリコは微笑んで呟く。
ひよを見れば同じようにこっちを見ていて目が合った。
「「幸せやよ」」
その後告げた言葉は綺麗にハモった。
それに笑ったのはさえでマリコもやれやれ…という雰囲気満載。
「ひよが言うから展示会の責任者になったもーん」
「ほんまあれは説教案件やからな」
「ちゃんと反省したから許して」
同じお弁当を食べながら喋る莉兎とひよ。
赤ウインナー…いただきます。
ぱくっと食べておいひい。
そして最後にたまご焼き。
ぱくっと食べて思う事はやっぱりおいひい。
ハンバーグは真っ先に食べ終えてしまっていた。
お弁当用だったからサイズは小さめなのがもどかしい。
ハンバーグだけをお腹いっぱい食べたい気分。
とりあえず…ひよの作るものは全部美味しすぎて幸せ。
ニコニコの莉兎を見てひよは溜め息。
でも呆れた感じじゃなくて口角が上がっていた。
こうして隣同士で座っているとひよのソファに座っている時みたい。
だからべたっとくっつきたくなるけど我慢我慢。
完全オフモードになったらきっとガチでひよに怒られる。
楽しいお弁当タイムは終わり、二人で喫煙室。
先客が数人いたせいで煙草を吸っても癒しにならない。
二人きりならちょっとは違ったのにと思ったけど仕方ない。
黙ってスマートフォンを触りながら吸う女と二人で喋りながら煙草を吸う男達が邪魔。
くそ、と感じながら煙を吸い込んでいるとひよは
「夕飯何食べたい?」
普通に言うから驚いた。
周りを気にして黙ったままかと思ったのに。
めっちゃ日常的な会話を繰り広げようとしてる事に笑いながら
「オムライスー」
適当やけどほんまに食べたいものを挙げる。
「簡単なもんしか言わんやん」
「簡単とか難しいとかそんなん分からんもん」
「昨日親子丼やったのに」
「あかんの?」
「莉兎が食べたいならええけど」
「食べたい」
「ほんならええよ」
夕飯決定。
やったーと喜んでたらチラッと見られてる事に気付く。
普段あんまり絡む事がない社員達だからこそ不思議そうな顔。
ひよを窺うように見るけど全然気にする様子もなく平然と煙草を咥えていた。
こうやって段々「もしかして」と周りが気付くんかなぁ。
何気ない会話で生活感って出るし。
そんな事を考えていたら周りはいなくなった。
莉兎とひよがドアの近くにいたせいなのか分からないけど、しっかり最後まで視線を注がれながら。
「…見にくんなボケ」
「ひよ、お口悪いで」
「邪魔やってんもん」
「二人きりになりたかったん?」
キラキラと目を輝かせながら期待の眼差しを向けたけど、ひよは煙を吐きながら首をぐるぐる回す。
デスクワークのせいなのかひよがよくする仕草の一つ。
首を回したり左右に振ったり。
首こり?肩こり?
莉兎はそういう感覚を味わった事がないけど回す事によって和らぐのかもしれない。
「アホ。ドアの近くにおりたくなかっただけやし」
莉兎の隣から離れて喫煙室の角に陣取るひよは安心したような顔で吸い終わった煙草を捨てたけど、また一本取り出して吸い始める。
正直、莉兎よりもよく吸うと思う。
一本で満足せず二本目を吸う事が多い、チェーンスモーカー。
「離れたら寂しいやん」
近づこうとすれば
「知ってるよな?ここのガラス張り」
冷静に言われてうんうんと頷く。
どこの喫煙室もそうだし、最初は見世物小屋かと思った。
もしくは動物園に展示された動物にでもなった気分。
でもそれさえももう慣れたけど。
「そんなベタベタするわけないやん」
「吸い終わったんなら出てけや」
「もう一本吸うもん」
「はよ吸えや」
会社内のお姉さんモードのひよはつよつよ。
まるでメラニンスポンジみたいにしっかりしてる。
でもこんなひよが家では水分を含んだふにゃふにゃスポンジになるんだから、もう。
知ってるからこそへへーっと笑ってしまう。
煙草をセットして加熱待ちしながら中途半端な距離にいる莉兎とひよ。
「夕飯オムライスはガチよな?」
「ガチ」
「楽しみー」
やっと吸い始めた莉兎に対してひよはもう吸い終わりそう。
お互い煙を肺に入れてふーっと吐く、これだけでどれほどストレス発散できているのか。
体に悪いからと言われてもストレスを抱えて生きていく方が病気になると思う。
「昼から営業?」
「うん、アポ取ってるから」
「車の運転、気ぃつけや。雨降ってるし」
「ありがとう」
ひよが灰皿に煙草を捨てて莉兎の前を通り過ぎる。
何も言わずに出ていくのかと思いきや、振り返って
「オムライスに名前書いてあげるから」
そう言った顔はふにゃっとしていた。
ぽかん、と見つめる莉兎を置いてひよは喫煙室を出て行ってしまう。
ひよはよく莉兎の事をずるいって言うけど、十分そっちもずるいやん。
最後にそんな顔されたらやばいやん。
その上オムライスに名前って。
莉兎の喜びポイント、よぉ知ってるなと感じて思い切りニヤニヤしながら残りの煙草を吸った。
…やばい、午後からの営業はめちゃくちゃ流暢に喋って契約を勝ち取った。
微笑みながら取引先を飛び出して営業車に乗ってしばらく運転した後
「こわ。ひよこわ。もう全部こわ!」
一人で叫びながらルンルンだった。
こんなにも流暢に饒舌に喋るとは。
いつも比較的に緊張せず喋れる方だけど、頭の中でぽんぽんと言葉が溢れてきた。
その言葉に取引先の担当者が前向きになってくれた結果。
まるで油を飲んだかのように舌が綺麗に滑りまくった。
莉兎もすごいけど…それよりすごいのはひよ。
お弁当の力?
オムライスの力?
いや、全てはひよという存在の力。
それを痛感しながら帰って周りに褒められた一日。
「降矢さん流石っす」
真っ先に莉兎を褒めたのはのぶ吉だったけど…まぁ、ありがとう。
素直にそう言えるくらいだった。
いつもなら「お前も頑張れや」と返す所なのに。
気持ちよく一日が終わる。
続々と帰っていく周りに「お疲れ」を言いながらひよを気にする。
これまでは別々に出て車の中で待っているとひよがやって来るパターンだったけど、誘ってもいいのだろうか。
とりあえずまた同じ事を言われないようにちゃんとデスクを片付けて。
ジャケットを羽織ってお弁当トートを持って鞄も持って、ひよに近づくと片付け始めている。
パソコンはシャットダウンの真っ最中。
ひよのデスクはいつだって綺麗。
でも一つ気に入らないのはさえとお揃いの文房具が多い事。
どれだけ仲が良いんだか。
「ひよ、帰ろ」
声をかければ莉兎を見たけど
「先に帰ってええで」
思いもしなかった言葉に驚く。
「何で?もう終わったんやろ?」
「一緒に帰るん?」
「当たり前やん」
「どこに帰るん?」
「ひよの家」
「莉兎も?」
「もちろん」
座って見上げるひよは上目遣い、可愛すぎか。
これを他の奴らも当たり前に見てるのが許せん、くそ。
莉兎とひよの会話に隣にいるさえは笑いながら帰り支度。
そりゃそうやと思う。
当たり前の事を聞かれてるんやから莉兎の顔もきょとんとする。
…ひよのやつ、面白がってるなと勘づきながら
「オムライスは?」
それに付き合う事にする。
「ファミレスでもコンビニでもオムライスはあるで?」
「ひよが作ったオムライスがいいもん」
「なんで?」
「名前書いてくれるって言うたやん!」
ひよは笑って「はいはい」と言いながらやっと立ち上がる。
鞄を肩にかけて椅子をちゃんとデスクに入れると
「さえちゃん、お疲れ様」
さえにしっかり手を振ってニッコリ笑うけど
「はよ帰るでチビ」
莉兎の扱いは雑でお弁当トートで背中をバシバシ。
「暴力反対や」
「やかましい」
「さえ、お疲れ」
「お疲れ様。二人共仲良くやで」
さえは笑いながら言ってくれたけど大丈夫。
ひよが楽しんでいる事は十分伝わってるから。
行き交う人に「お疲れ」を言いながらエレベーター。
そして会社を出れば雨。
昼に出かけた時も降り続けていたし、結局止まないらしい。
でも憂鬱さを感じず雨さえも楽しむスタイル。
二人でダッシュして車に向かうと急いで乗り込む。
「結構濡れた」
「いきなり走ったから転けそうやってんけど」
お互い笑いながらやっと二人きり。
髪を気にしているひよの手を思わず掴む。
でもパッと振り放されてしまった。
「何でや」
「はよ帰ろ」
「ひよ」
「エンジンかけて」
仕方なくエンジンをかける。
前方に白いヘッドライト、車内に流れる音楽。
まだ仕事中のお姉さんモード?
それならば仕方ない、一刻も早く帰るしかない。
車を運転し始めて二人の間に流れる無言。
仕事の話もこの後の話もせずに黙ったまま。
内容の濃い一日だったけど大体分かってるからあえて話さなくてもいいのかも。
一つ言うなら。
契約をとった事、もちろんひよも知ってるのに何も言われてない。
結構大事な契約なのに。
企業自体は大きくないけどSNSで注目されている店舗。
そこに期間限定でウチのブランドの商品コーナーを作ってくれるらしい。
これはまた何か楽しい事が起こりそうな予感がする。
莉兎も実際お客さんとして覗きに行きたいと思っている。
そしてどんな年齢層の子達が立ち止まるのか、もしくは手に取ってくれるのかリサーチしたい。
考えを巡らせている間に早々とひよの家に着いた。
車から降りて少し雨に濡れての帰宅。
「そこで待ってて」
玄関先で待たされて何だろうと思っていたらわざわざタオルを持ってきてくれた。
自分の服や鞄より莉兎のジャケットや鞄の水滴を気にするひよに呆れてしまう。
「十分ひよも濡れてるからな?」
タオルを奪って代わりに拭いて上げようとしたけどひよは「いらん」と言った後
「お風呂沸かさんと」
忙しそうに洗面所。
「今日は先に入りや」
「莉兎が先ー」
いつもそう。
一番風呂ばっかりいただいて申し訳ない。
パンプスを脱いで上がると何もかも今朝のまま。
当たり前だけど昨日や一昨日の事全部が嘘じゃないんだと改めて思う。
ジャケットを脱いでハンガーにかけて。
そうしている間にひよがやってきた。
「今、お風呂溜めてるから入っておいで」
「ひよー」
「早く」
抱きつこうとしたけどまだお姉さんモード?
えぇ?もう家やのに。
「何か冷たいな」
「ええからはよ入ってこい」
ひよは着替えもせずフローリングに置いてたお弁当トートを持ってキッチンに行く。
お弁当くらい自分で洗おうと思ってたのに。
何もかも世話になりっ放しだと申し訳なく感じながら言う通りお風呂に入る準備を始める事にした。
お風呂から出るとひよはキッチンにいた。
さっさとオムライスを作ってくれていて本当に莉兎は子供みたいだと心底思う。
お風呂を済ませれば自分がリクエストした夕飯のオムライスが出来上がっている、なんて。
せめて何も言われないようにスキンケアをしてドライヤーで髪を乾かす。
部屋着は楽々。
Tシャツにショートパンツ、ひよの部屋着も似たような格好だけど。
全部終えてから何かする事ないかな?とキッチンに行こうとすればオムライスのお皿を持ったひよがやって来た。
「ごめん、先に食べててくれる?」
「待ってる」
「お風呂入ってくるから」
「待ってる」
頑なに言う莉兎に少し笑いながらひよはお風呂に。
何か冷たいんよな。
気のせいかなぁ。
もっと仕事が終わって二人きりになったらじゃれ合うものやと思ってたのに。
いや、じゃれつきたいと思ってたのは莉兎だけ?
莉兎だけかもしれないけど、それならばじゃれつかせてほしい。
「はいはい」って宥めてくれるだけでいいから。
あわよくば頭をぽんぽんとしてくれたら嬉しいけど。
見つめる先のオムライスはたまごがしっかりと巻かれていた。
まだ名前は書かれていない。
あれ?名前書いてあげるって言うてたのに「先食べてて」っておかしいやん。
ちゃんとひよが名前を書いてくれるまで食べんぞ。
決意しながらもオムライスのいいニオイ。
ケチャップのいいニオイ。
チキンライスのオレンジ、そしてたまごの黄色。
ふんわりと想像する色と絶対一緒。
そして想像する味と絶対一緒。
美味しいに決まってる。
頑なに待ち続けているとしばらくしてひよがやってきた。
「ほんまに食べてないん?」
「名前書いてないからどっちか分からんもん」
威張って言うとひよは笑っている。
「お風呂早いやん」
「悪いと思って。でも待ちきれず食べてると思ったのに」
「だから名前」
「分かったから」
スキンケアもせずにひよは冷蔵庫からケチャップを取り出して持ってくると名前を書いてくれた。
オムライスに描かれる名前、りと。
それからハートを一つ二つ三つ。
「愛やん」
そう呟いた自分の声は心底嬉しそうだと実感する。
「はい、どうぞ」
すぐに「いただきまーす!」をせずにとりあえず写真。
ちゃんと残しておきたいと撮影。
「これ、ホーム画面にしよ」
後で設定しよう。
ふふんと喜んでいる時、ひよが寄りかかってきた。
横を向けば莉兎のTシャツをぎゅっと掴む手が可愛い。
まるでしがみついてるみたい。
「なに?散々冷たかったくせに」
「ちゃうもん、ほんまはずっとこうしたかったもん」
思わずへらへらしながらひよをぎゅうっと抱きしめる。
お互いぎゅぎゅっとすれば幸せ。
もう一つ、幸せを感じたいと少し離れれば気持ちは同じ。
軽くキスをしてふにゃっと笑い合う。
「あたしがくっついたら莉兎のスーツにファンデつくし」
「そんなん気にしてたん?どうでもいいけど」
「良くない。雨に濡れてたから早くお風呂入ってほしかったし」
「めっちゃ濡れたわけじゃないのに」
「風邪引いたらあかんやん。展示会もあるし」
めっちゃ色んな気遣いをされすぎてただけ。
それを聞いて何か安心したけど、何も気にする事なんかない。
「ありがとう」
言いながら濡れたままのひよの髪を撫でる。
いつもならお風呂上がりは真っ先にスキンケアをするのに莉兎のわがままのせいでごめん。
早くドライヤーで髪を乾かしてあげたい。
そうしないとひよの方こそ風邪を引いてしまう。
「とりあえずスキンケアとドライヤーな」
「うん。莉兎は食べててええで」
「一緒に食べる」
言いながら離れようとしたけどひよが首を横に振ってくっついたまま。
まるで子供のイヤイヤみたい。
笑って一度ぎゅうっと強く抱きしめると
「はよ髪乾かそ。風邪引くから」
宥めればやっと離れたけど不服そう。
拗ねた顔も可愛い。
尖らせた唇にちゅっとキスすれば少しは直ったみたいでスキンケアをし始める。
その間にひよのオムライスに名前を書いた。
意外に難しい…ちゃんと曲線を描けないと思いながら「だいすき」も添えて。
「ずるいー」
「莉兎の方が愛強いもん」
「そんな事ないし」
くだらない張り合いをした所でひよを連れて洗面所へ。
ドライヤータイムのスタート。
段々とさらさらになっていくひよの綺麗な細い髪。
身長が足りない所は悔しいけど一生懸命背伸びしているとひよは笑いながらしゃがむ。
「そこまでチビちゃうわ!」
「てっぺん乾いてないもん」
「ほんま悔しい」
しゃがんだひよの髪全体をしっかり乾かしておしまい。
お互い髪は長いけど苦労する。
でもロングはロングの良さがあるし。
アレンジの仕方で変わったり大人っぽさだったり。
「ありがとう」
「オムライスターイム」
「スープくらい作ればよかった」
「そんなんええよ。はよ食べようや」
ソファに戻ってやっといただきます。
「あっためる?」
ひよの言葉よりも先にスプーンは進んでいて更には一口食べてた。
首を横に振って答えて出た言葉は案の定
「おいひい」
それだった。
ほっぺたを緩ませながら食べ進めていく。
チキンライス、玉ねぎにウインナーによく見るとピーマン。
莉兎の嫌いなコイツがいるのに全然分からない。
ひよは嫌いな食材を食べさせるのが上手。
まぁ、ほとんどが食わず嫌いだけど。
「美味しそうに食べてもらえてよかった」
「お弁当もめっちゃ美味しかったもん」
「愛妻弁当?」
「嫌がってたのに自分で言うん?」
いひひと笑いながら言えばひよは
「恥ずかしかっただけやし、」
呟いてもぐもぐとオムライスを食べている。
嫌というわけじゃなかったみたい。
「今日やって契約とった事みんなに褒められてたけど…あたしが一番祝福してたからな」
「言葉で聞いてないねんけど」
あの時周りからは「降矢さんすごい」って言われたけどひよは仕事をしながらチラッと見てただけ。
何か言うてくれるかな?って期待してたのに。
いつも「すごいやん」って褒めてくれてたのに。
そう思っていたけど…ひよを見れば
「ぎゅうしたかったんやもん。耐えてたん!」
子供みたいに言うから笑えてしまった。
残り少ないオムライスを置いてティッシュで口を拭いてひよの方に体を向けると
「今褒めて」
ねだればひよも同じようにティッシュで口を拭いてとびきりぎゅうっと抱きついてきた。
「ほんまにすごい。自慢の彼女」
「ひよが自慢に思うてくれるん?」
「当たり前やん!最高のスパダリ」
耳元で言われる言葉達がまた明日からの原動力になる。
莉兎が車だったらひよはガソリンという燃料。
惜しみなく注いでくれるからこそ頑張れる。
このまま展示会も頑張れそう。
褒めてもらえる事が本当に嬉しい。
営業成績という名声より手当というお金よりひよの言葉とぎゅうが一番嬉しい。
離れてキスを一度。
互いに濡れた瞳を見つめ合ってたら、何か…でも
「とりあえず、ご飯食べよ」
「…ん、」
黙々とオムライスを食べ始める。
思ってる事はきっと一緒なんだろうなぁ、なんて。
もっと触れたいとか延々とキスをしていたいとかそういう事。
あぁ、明日も仕事やけどきっとこの衝動は抑えられんと思う。
たっぷり愛し合って愛情の交換をしたいと願いながらオムライスの最後の一口をスプーンで掬った。
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