ハロウィン前の一杯
きり
庇の下のノスフェラトゥ
吸血鬼に大蒜は大敵である。それでも血の衝動の如く、なお喰わずにいられないのが人ならざる者の性なのだ。
町中華と書かれた油ぎって色褪せた庇に、建付けの悪さを脂で誤魔化す扉。ちゃんと拭かれているはずなのに、どこか油脂を残すテーブルと破けてスポンジが露出した椅子。ベールのように隠す茹で上げた麺から立ち込める湯気。年季を重ねているのに衰退しないその店に、男は座っていた。幽霊のような白い肌に、ポマードで固めた遊びのないオールバックヘア。口から除く鋭い犬歯。首から上は、絵に描いたドラキュラ伯爵そのものだ。黒いシャツにチノパンという、他の客とも違和感の無い格好をしていたが、却ってそれが世界の闇に隠れる住民たらしめていた。
ここは街でも評判の食堂。伯爵がなんでこんなところにいるのかという問自体、無粋なのだ。血だけを主食にするという偏見は、我々が米しか食わないと決めつけることと同一である。狼男の素性を隠した奴だの、飯が食える幽霊だの、こうして闇の住人が時折訪れるのだ。尤も、今は昼時である。初来店と思わしき伯爵は人が少ないとはいえ列をこの陽の光の元ここで待って食券を買ったのだ。それは、我々の卓上にも奇妙な秩序を齎した。少なくとも換気扇が、風を運んだ。
繰り返す、吸血鬼に大蒜は大敵である。だというのに、彼はそれを大量に用いたスープの輝きに目を通していた。鶏ガラをベースに豚骨を併せ、昆布やどんこ椎茸も根底にある出汁。香味野菜と醤油で味付けたシンプルなスープに中細の中華麺が泳ぐ。店でこっくりと味を染み込ませた豚バラの
箸を割ると伯爵は麺を掻き込んだ。どことなく西洋人じみた風貌であったが、啜るという行為に抵抗はなかったようだ。香りが鼻腔を駆ける。湯気が店内を漂う。蓮華で汁を掬えば、広がる多次元の深みを持つ旨味が血の渇きよりも彼の喉を満たした。生き血よりも余程旨い。大蒜や葱の、背脂や塩の身体に毒という警鐘を通り越して甘美な悦楽を齎す。生きていないのに、生命を謳歌する。唯只管、麺と対話する。それが彼の儀式であった。
「ああ、今度は餃子セットも試してみるか」
「ウチはニンニクきついんで頼むときは除けますよ」
いや、そのままが一番だろうと伯爵。獲物を喰らった後、次を望むのは自然であった。伯爵は壁の掲示に目を通す。退治屋の黙示録かもしれない。しかし、彼は処女の血ではなくこの醤油スープの虜になっていたのだ。大蒜の副作用がそのうち彼を襲うかもしれない。にも関わらずだ。
また相まみえようとカウンターにあった薄荷の飴を持ち帰った伯爵は、マントこそ持っていなかったが十分に店員が顔を覚えただろう。ハロウィン前の秋口の日。
ハロウィン前の一杯 きり @kirigami
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