第8話

インターホンが鳴って、ドアを開ける。

そこに立っていた蒼は、コンビニの袋を手に持っていた。


「……どうしたの、本当に」

「なんか、元気なさそうだったから」


彼はそう言って、私の部屋にずかずかと入ってくる。

そして、袋の中から、アイスやゼリー、スポーツドリンクなんかを取り出した。


「ちゃんと、食べてる?」

「……別に、食欲ないし」

「ダメだよ、それじゃ」


彼は、当たり前のようにキッチンに立つと、小さめの鍋に水を入れた。


「え、何してんの」

「おかゆ。病人には、これだろ」


その手つきは、少しぎこちなかったけど、迷いはなかった。

コトコトと、鍋が静かな音を立てる。

だしのいい匂いが、部屋に広がっていく。


私は、何も言えずに、ただその後ろ姿を見ていた。


今まで、誰も、私のためにこんなことしてくれた人はいなかった。

熱を出しても、一人で耐えるのが当たり前だった。

寂しくても、悲しくても、一人で手首を切るのが、当たり前だった。


なのに。

この人は。


「……なんで、こんなことしてくれるの」

声が、震えた。


蒼は、手を止めずに、背中を向けたまま答える。

「好きな子に、何かしてあげたいって思うのは、普通だろ」


「……え」


好き?

誰が、誰を?


蒼は、火を止めて、ゆっくりとこちらを振り向いた。

その目は、今まで見たことがないくらい、真剣だった。


「莉愛が好きだ」


「…………っ」


「インスタの中の、キラキラした莉愛ちゃんじゃない。嘘つくのが下手で、一人で泣いてて、でも、本当はすごく優しい、君が好きだ」


時間が、止まった。

心臓の音が、耳元で鳴り響く。


「だから、もう、あんなことしなくていい」

蒼は、ゆっくりと私に近づいて、私の左腕を、そっと取った。

いつもブレスレットで隠している、手首。


彼は、その傷跡だらけの手首に、自分の唇を、優しく押し当てた。


「……っ、や……」


涙が、溢れて止まらなかった。

嗚咽が漏れる。

化粧なんてしてない、ぐちゃぐちゃの顔。

隠してきた、一番醜い部分。


蒼は、そんな私を、ただ、強く抱きしめてくれた。


「もう、一人で泣かなくていい」


その腕の中で、私は、子供みたいに声を上げて泣いた。

大丈夫、大丈夫、と。

彼は、何度も私の背中をさすってくれた。


この温もりを、ずっと知っていた気がした。

私が本当に欲しかったのは、ブランド品でも、お金でもなかった。


ただ、この温もりだったんだ。

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