第1話 塗り替えられた等級

埃っぽい路地裏で、少年――後に『天眼の賢者』と呼ばれることになる男は、うずくまっていた。腹の虫が苦痛の音を立てる。今日もまた、まともな食事にはありつけそうになかった。彼のスキルレベルはE級。《微細な視力向上》。日常生活でほんの少しだけ遠くの物が見える、それだけの能力が、このスキル至上主義の世界で何の役に立つというのか。周囲の人間は、彼を見るたびに嘲笑を漏らした。「役立たず」「無能」。その言葉は、少年の心を深く抉った。

その日、少年の住むスラム地区が、突如として暴徒に襲われた。上位スキルの力を持つ者たちが、下位スキルしか持たない住民たちを一方的に蹂躙していく。炎が上がり、悲鳴が響き渡る。少年は、ただ震えて見ていることしかできなかった。目の前で、幼い子供が、B級の炎を操る男によって焼き尽くされる。その瞬間、少年の瞳に、信じられない光景が映った。燃え盛る炎の中で、子供の魂のようなものが、断末魔の叫びと共に消えていく。一瞬の出来事だったが、少年の脳裏に、その光景が鮮明に焼き付いた。一人目。

逃げ惑う人々の中で、少年は足を滑らせ、瓦礫の下敷きになった。重いコンクリート片が胸を圧迫し、息ができない。意識が遠のいていく中、彼は必死にもがいた。目の前には、崩れ落ちた建物の隙間から見える、夕焼け空。その赤色が、次第に黒に染まっていく。鼓動がゆっくりと、しかし確実に弱くなっていくのを感じた。ああ、ここで終わるのか。その時、彼の意識は完全に途絶えた。だが、ほんの一瞬後、彼は再び息を吸い込んだ。心臓が、止まっていた時間を取り戻すように、激しく脈打ち始める。自身の死を、文字通り体験した瞬間だった。

数日後、世界の片隅で、別の男が静かに息を引き取った。その男――後に『虚無の創造者』と呼ばれることになる男は、A級の物質創造スキルを持っていた。しかし、研究中に事故が発生し、制御不能となったエネルギーによって脳が損傷。医師たちは、彼の脳機能は完全に停止したと診断した。生命維持装置だけが、彼の肉体を繋ぎ止めていた。だが、臨終の瞬間、彼の意識は、まるで深淵を覗き込んだかのような、純粋な「無」を体験した。そして、蘇生措置が施される直前、彼は再び意識を取り戻した。脳が停止した、その刹那の経験が、彼の奥底に眠る力を呼び覚ました。

また別の場所では、一人の屈強な男が、深い絶望の中にいた。彼の村は、強大な力を持つ敵によって滅ぼされ、愛する家族も全て失った。A級の強力な格闘スキルを持っていた彼だが、敵の圧倒的な力の前に為す術がなかった。復讐を誓い、彼は独り荒野を彷徨っていた。ある夜、飢えと疲労で倒れた彼の目の前で、一匹の狼が、別の動物に喉を掻き切られる瞬間を目撃した。鮮血が飛び散り、生温かい命が、彼の目の前で静かに終わりを迎える。その光景を、彼はただ茫然と見つめていた。二人目。

さらに時が流れ、とある大都市の病院の一室。心臓病を患っていた男――後に『時の支配者』と呼ばれることになる男は、医師たちに見守られながら、最後の時を迎えようとしていた。心電図の波形が、徐々に緩やかになり、そして完全に停止する。モニターには、無情な直線が映し出された。だが、その数秒後、奇跡が起きた。心臓が、再び微かに鼓動を始めたのだ。それは、死の淵を覗き、時間の流れの狭間を見た、一瞬の出来事だった。

そして、広大な森林の中で、狩猟を生業とする男――後に『魂の絶対王』と呼ばれることになる男は、罠にかかった獣を仕留めようとしていた。しかし、現れたのは、彼の村を襲撃した上位スキルの使い手だった。圧倒的な力の差に、男は為す術もなく追い詰められ、致命傷を負う。意識が朦朧とする中、彼は、自分の命を奪った男が、さらに別の村人を無慈悲に殺害する瞬間を目撃した。三度目。その光景が、彼の魂に深く刻まれた時、彼の内に眠っていた異質な力が目を覚ました。

その頃、路地裏で意識を取り戻した少年は、自身の体に異変を感じていた。頭の中に、まるで無数の未来が流れ込んでくるような感覚。そして、信じられないことに、彼は、目の前の壊れた瓦礫が、次にどのように崩れ落ちるのか、明確に「見て」いた。それは、単なる予測ではなかった。まるで、未来の映像が、彼の目に映し出されているかのようだった。E級。《微細な視力向上》。そんなものが、こんな力を持つはずがない。これは一体……?

少年の瞳には、今までとは違う、強い光が宿っていた。彼はまだ、自分が何を手に入れたのか、理解できていない。だが、彼の運命は、この瞬間から大きく動き始めていた。E級の少年は、世界を変える力を持つ『五天将』の一人――『天眼の賢者』へと、その道を歩み始めたのだ。

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