episódio.26 生還したとある人種

 ルンブラン公国のコンセントリック・キャッスルたるカーテンウォールは、万里の長城のごとくである。


 しののめ、鬼門にあたる搦手からめての楼閣に、フードをかぶった小柄な地侍じざむらいらしきなにがしかが訪ねてきた。

 盤石ばんじゃくとして封ぜられた門扉の片隅にて衛視している数名の番卒ばんそつがうかがうに、その地侍の面貌は、かんむるフードによる逆光のせいでよく視認できない。


 いよいよ不審に思った番卒の一人が、討捨(うちすて)にかかろうとしたとき、地侍がに手をかけてフードを脱ぐ。

 さすれば、この素顔たるやあの失踪せしキドンであったので、番卒はあわてて納刀した。


 あやうく切捨御免きりすてごめんの被害に遭うところであったキドンの、いかにも釈然としない狐目にたいそう睨まれた番卒は、ただただひたすらに腰を折って陳謝する。

 むろん、それを笑って許すキドンではない。キドンは、叩頭することはなはだしく、ひいては切腹しかねない番卒を、石仏のようにスルーした。


 ともかくして、門扉の内側より、上部切妻造きりづまづくりの屋根裏の滑車から巻き取った鉄鎖を、大型の手動式ボビンで引き回してもらわねば、この落とし格子はひらかない。

 キドンは、いくえにわたる平謝りの番卒の尻を足で小突き、開門合図の銅鐸を鳴らすようせかした。番卒はそそくさと走っていき、銅鐸のクラッパーを揺らす。


 するに、鐘鳴を聞きつけた夜警の隊士およそ二十人が集合し、急いでボビンの槓杆こうかんを回転させて落とし格子をまくり上げた。

 かくも暮夜の明けようとする時間になにごとぞと迷惑千万に思う隊士に十人であるが、開扉先にての将帥の立ち姿を見るなり一転してみなともども仰天するのだった。

 うち一人が都心のカンパニーレへ激走し、吊鐘を三度ほど、間をあけてもう三度ほど音色を街中に響かせる。帰洛せし福音の告知である。


 これにまっさきに機微なる衝迫で反応鋭敏に寝覚めて両目を剥いたのは、キドン蒸発以来の近頃夢寐むびの浅きにかねがね気苦労の絶えなかった国王タイラントであった。


 タイラント国王はシルクローブのナイトウェアのまま、羽毛布団を蹴り飛ばして跳ね起きると、臥房がぼうの板戸も施錠された鍵なんぞを右ねじに回す手間さえ惜しんでちからずくでこじ破って開け放つ。

 そうして、大理石の階段を駆け降りること全力疾走、城閣を抜け出してカンパニーレへ向かった。


 すると同じく、入城してカンパニーレにて待機していたと思われるキドンの様子が遠目ながらに目視できるが、すでにその周囲は隊士数十人でひしめき合っており、さらに一層重ねて街中の野次馬が殺到中の大混雑を極めるありさまであった。

 タイラント国王は、さような雑踏をかき分け押し越し、キドンのもとへとひた走る。


 そしてついに恋焦がれたキドンと対面するや、その面相をよくよく確認せずして、間髪もなくその身をしがみつくようにして抱きしめるのだった。


「よくぞ戻った!」


 タイラント国王の随喜の涙に常時ながらなんの応答も返って来ぬあたり、このキドンたる地侍は本物のキドンであること明瞭にいなむべからざる。

 タイラント国王は、この無言静粛なるキドンのにどれほど未練の尾を引いたかわからない。今かようにして再会を果たすは父なる神のおぼし召しなるばかりと思いて、当夜こそは日頃しぶしぶと浄財を捧げている司祭へ感謝の念に染み入るタイラント国王であった。


 一方、隊士の大半は、一国のすこぶる重要な即戦力たるキドンの生還せし今宵を、ことさら愁眉しゅうびをひらいて喜び合った。

 されにしも、キドンという一人の人間の生存に対して万歳を掲げているよりは、一戦に不可欠な手楯を再取得できたことに関しての愉楽にひたっているように見える。

 

 キドンが一個人の尊厳をあまり配慮されないのは、一刀の凶刃として消耗品にすぎない忠節国士隊の一員だからというには、いささか解せぬ断片もある。

 だが、それも一理あるからして、ややはらわたに残りしわだかまりはきっぱりと閑却かんきゃくするのだった。


 また、キドンの帰着に素直に歓喜する野次馬の中には、それをまがまがしく鼻を曲げる白人主義者なども混じっていた。そやつらは、キドンの耳にうすらぼんやり届く程度で、罵詈雑言のブーイングを、つばを飛ばして吐き散らすのだった。

 そのメンツといえば、黄肌のキドンが忠節国士隊の将帥に陞任しょうにんしたときにも、亜州あしゅうの外来種ごときがなんたる下剋上なるよの反吐が出るわと誹謗したやからでもあった。キドンの若干乾燥気味な生肌の、黄色おうしょくなることになにぞや恨み申す宿縁しゅくえんでもあるのだろうか。


 猛獣にしてトラの啸風子でも滞在を許容してくれたシェメッシュ小邦に反し、ルンブラン公国では同類の人間でさえ肌色ひとつ異なるだけで受け入れてもらえない。

 もっとも、タイラント国王はさようにケチ臭きにあらず、キドンとふたたびあいまみえたことには涕泣ていきゅうするほど切実に感慨無量といったところではあるが。タイラント国王の御高庇なるにそれが潔白であることこそ確実なりて、これに関してはいくばくか安堵するキドンであった。


 シェメッシュ小邦にて公明正大に安逸をむさぼり誰しもに愛されて暮らしたぶん、ルンブラン公国における露骨辛辣な排外的差別視がより浮き彫りになって垣間見える。

 普段であれば馬耳東風と聞き流すはずのささいな悪口とて、本日に限ってはキドンの自尊心にいくばくかのダメージをうがたせた。


 ただ少々首筋に寒気を覚えたのは、どうして行方不明になったのかというキドンへの単純な疑問を、タイラント国王含めみなして誰も唱えずいぶかしがりすらしなかったということだ。

 もしやすれば、この城市全体は、なにかの拍子にどこぞから漏出したキドン失踪の理由を、暗黙のうちに知っているのかもしれない。はたまた、単に興味がないだけなのだろうか。


 ともかく、啸風子の呪縛から解放され、こうして故郷に帰って来られたのだから、これ以上に喜ばしき吉事はない。

 キドンは、ときおりのところどころで悶々としながらも、帰郷の欣幸きんこうに専念するのであった。


 それからのちのち聞くに、モーティナ王妃はすでにまかり去られていた。

 小耳に挟んだ限りでは、その死因は首吊り自殺であったという。キドンが啸風子の呪いをかけられた翌日のことで、遺書はなかった。


 当日のモーティナ王妃は、夫タイラントに改まって永劫変わらぬ愛の告白をしたという。しかし、タイラント国王はさように健気な皇后の思いの丈を無下にあしらい、加うるには「ドブねずみの赤子はまだかね」と冷笑したのだった。モーティナ王妃の首吊り自殺に至った要因は、疑う余地なく明白であろう。

 おそらくモーティナ王妃は、タイラント国王の寵愛するキドンさえ葬れば、その慕情は一身に自分が受けるものと思っていたに違いあるまい。しかしその見当が外れたので、みずから命を絶ったわけだ。かかる一連に、タイラント国王はさも後悔をにじませるように、のちほど粛々とおこなわれた妻の葬祭には涙を流して憂いたという。啸風子のまじないは、モーティナ王が土葬されたのを機として解けたのであろう。


 まこと、悲劇なことである。

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