episódio.15 姫君の沐浴

 翌朝払暁、兵舎にかげながら侵入する者がいた。


 カリーノ姫である。

 カリーノ姫は、ほか騎士団員がこんこんと爆睡している具合を横目に、轅門えんもん付近の一角で船を漕いでいる啸風子を軽く小突きささやいて覚醒をうながした。

 起き抜けの啸風子がねぼけまなこでカリーノ姫の姿を見とめるに、「かような野郎だらけのすすけた場所に皇女がいったいなんのご用か」と怪訝して眉根を寄せる。


 すると、カリーノ姫は今から深山みやまの湖沢へ沐浴をしに出かけたいと言うのである。

 聞くに、過保護で口やかましい侍婢かまたちなどには、本日の外出を内密にして知られたくないらしい。反面、用心棒として騎士数名をしたがえても、汗臭い紳士の目前で丸裸になれば淫意いんいの爪が伸びてきそうで怖いという。

 ゆえにこそ、猛々しい啸風子を護衛役に任命したいとおおせられたのだった。


 啸風子は、一国の姫君がすっぽんぽんで水浴びなど、極まりなしと思いて一度は難色を示したものの、カリーノ姫に「どうしても」と要求される。

 ほならその仕事とやらを引き受けるべしとしぶしぶ承諾する啸風子であったが、傾城の乙女にお声をかけられて内心やぶさかでもないのであった。


 さて、深山といえどもさほど遠方ではない。一里ほど離れた林野の中にある、清冽せいれつとした湖沢である。


 そこへ到着したカリーノ姫は、湖畔にて、啸風子をわきにはべらせておきながら、その虎視など念頭にもあらず臆面なきままにパジャマの貫頭衣かんとういをかなぐり捨てた。

 真横に座する啸風子は、到底このかた女人の裸体を目に映した過去とて絶無、方今ほうこんは方今で誤っても姫君の恥部を盗視するまいと含羞がんしゅうにさいなまれながら一心になってあさっての方角を向いている。さようなもんでは護衛なんぞつとまらぬ、さあれども啸風子の顔面はじかに裸女を拝見したわけでもないのに赤々ともみじが散っていた。


 ほどなく、脱衣したカリーノ姫は、一歩を進ませて入水する。まこと、あえかなるセルリアンの美しい岩清水であった。

 この玉泉にししむらをくぐらせる姫君は、「たいへん極楽極楽」と口ずさんで全身を撫でさすり、柔肌にこびりつくいまわしい鱗屑アカを洗い流す。ときどき明鏡止水めいきょうしすいをすくってははね散らせ、糠雨ぬかあめのようなしぶきを浴びては童子どうじのように鈴の笑声を転がして児戯じぎを謳歌した。


 ともすれば、その水飛沫が啸風子の背筋にまで飛んで垂るる。


 これには特段わるびれもしない姫君で、一句の詫び言どころか濡れた啸風子をまったく気にも留めない。おまけに、どこに焦点を合わせるでもないあらぬ上端を見通している啸風子へ、「あっち向いてないで、こちらへおいでなさいよ」と小悪魔的な誘惑を忌憚なく放吟するのである。

 カリーノ姫としては、もふもふの野獣とたわむれたかったのであろう。いち野獣として、常人であればさすがにたまりかねる。


 しかし、啸風子の自制は尋常ではなかった。カリーノ姫がどれほど魔性の猫なで声を荒げようとも、啸風子は断固として湖沢にそむいたままであった。

 あえて白状するならば、背後に踊る裸婦のフォルムを想像するに、どうしても下心のあぶりでることはいなめない。


 やがて、沐浴するに満足したカリーノ姫は、しとどに湿った豊麗な柳腰やなぎごしを揺らしながら湖畔に上がる。

 ところが即今、姫君はけしからぬ失態に気がついた。濡れ身をあらぶきするための、大判のボディタオルを持参するのをさっぱり忘れていたのだ。かくもぬれそぼれた満身に貫頭衣をまとおうものなら、しつこくぬらついてうっとうしいに相違ない。ではいかなる方法にして肢体の水気をぬぐうのか、寸秒思案したカリーノ姫がひらめいたのは実に過激な奇策であった。


 しかるに姫君は、いきなり啸風子の武骨したたかなる脊柱せきちゅうへのしかかるように抱きついた。椀型わんがたのたわわなる乳房をこすりつけるは、このトラの毛皮の吸水性を利用せんがためである。

 目下の啸風子は姫君の水びたしなる潤肌をぬぐい差し上げる、うつしみのボディタオルとなったのだ。


 当の啸風子は、カリーノ姫による打ち抜き的なアクションに対し、当然心臓が咽頭まで飛び跳ねた。

 とばかりに上体をひねるが、姫君の抱擁する握力がこれまた強靭で、啸風子にまとわりつくことなかなか剥がれぬわの筋金入りで、肌身を離さない。

 むしろ、本願であったもふもふの野獣とたわむれることの夢想が成就したにより、衷心より若鮎わかあゆみたく楽しみおもしろいがっているのだろう。


 啸風子にとっては、を上げたくなるほどシャレにならぬ珍事件である。

 被毛から浸透する水滴はまだしも、しがみつくカリーノ姫の赤裸あかはだかの感触をもろに体認して悪寒が走る。

 悪寒が走るというのは、異性の小手先安直なスキンシップに対する忌避感から生じる恐怖心である。啸風子は直感的に、オスたる自分に婦人との関与交際はしょうに合わぬと知覚して心が折れた。本来ならば怪漢なるもの女人との接触は非常に鼻下長としてめでたい吉事であろうに、啸風子の場合は無念ながらそうではなかった。


 さておき、もうしばらく密着して潤沢の玉膚ぎょくふをなすりつけているあいだ、猛烈な羞恥心にかろうじで耐える啸風子は終始蒼昊をあおいでのけぞり、まぶたをかたく閉じていた。

 のちにようやく満悦したらしい姫君は、やっと啸風子にからませる両腕をほどきて、もはや用無しと言わんばかりにトラを突き放した。


 ついに干渉の執拗なるカリーノ姫から解放された啸風子は、すっかり小鼻をふくらませて息も絶え絶えであった。

 啸風子が思うに、カリーノ姫の婀娜あだ性は確実である。ただ、父君の前ではさほどにもしおらしかった姫君が、実際にはかくしも肝玉であったとは。以上の次第で、誓ってふしだらではないにしても、ハレンチに慚愧ざんきのない大胆なおてんば娘には、もうまっぴらな啸風子であった。

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