episódio.14 大君のマフィン
黄昏時の城内警備には、アルコに随伴して啸風子も便乗していた。
アルコから「きみは勝手にほっつき歩くな」と忠告されていたふしもあるが、ついでに
なお、アルコがトラの
まこと、けばけばしいルックスのわりには、内面はずいぶんと律儀である。
さて、地下の
ちょうど、すでに蒸しあがった出来立てのマフィンプレートが、シンク横のカウンターに取り置かれている。
そのマフィン一粒を、味見がてらあんばいを確かめるようにつまみ食いする今人がいた。
アプリコットのステハリに白色刺繍のオラリをまとっている、合金のミトラをかぶったナイスミドルである。帝冠を着用している時点で、このジェントルマンがまぎれもなくシェメッシュ小邦の
まだ湯気立つマフィンを二個三個と口に押し込むあたり、ただの味見とはいえ、つまりは小腹が空いていただけであろう。
「陛下。ご夕食前の間食はお控えなされませ」
かくて
啸風子自身も自国にて心当たりがないわけではなかったので、ここでは大君の悪戯をあまり憎めない。
さてもさても、今日の大君は、横手にとあるたおやかな小町をともなっていた。
紅毛の大君とは似ても似つかぬエキゾチックな面相で、三つ編みの茶髪に、肌色は日に焼けたように浅黒かった。いわく、彼女は本当に大君の姫娘と示唆するのだからおどろきだ。
大君はドゥルキス、娘はカリーノと言った。
「トラがいるが、なにごとじゃ」
ドゥルキス大君は、アルコにまとわりつくする啸風子を直覧するなり、鷹揚なビジュアルにそぐわずいささか重々しく声を荒げて実態の追求を施行する。
一面、辛辣じみたシビアなイメージが浮くが、ドゥルキス大君がのたまうに、啸風子へのなさけ無用なる調伏ではなくして、この猛虎が
かような質疑にアルコが事情を答えようとしたところを、ドゥルキス大君は片手を胸前にかかげて制し、説明を断った。
そして直接に、啸風子に語りかけたのである。
「そなた、マフィンは好きか?」
我が身の上についていったいいかなる圧迫的な面接をなされるのかと腹をくくっておれば、ドゥルキス大君の第一声は「マフィン」であった。まるで、肩透かしをくらったようである。
とまれ、マフィンの好悪を問われた啸風子だが、しかし日常腐ったコッペパンばかりを食べていたこのトラはマフィンというスイートな洋菓子の存在を知らない。それゆえに返答しかねて、小首をかしげる。
すると、ドゥルキス大君はそれを理解したかのようにふくよかに微笑した。
おおよそ、
だが、ドゥルキス大君にはなにぞやの意図があるようで、まずもってプレートのマフィンをひとつ手に取った。
さすればそれを、啸風子の口元へ差し出すのであった。
「ほれ、食うてみよ」
トラの、人間社会への適応の可不可を見極めようとしているのだろうか。
あなどることなかれ、啸風子の正体はルンブラン公国忠節国士隊の将帥である。
まさしく今朝、人間同等に美味なるポトフを食べたばかりだ。姿態こそみにくいトラなれども素顔はヒューマンなりて、世間との共存にはなんら支障はないはずである。
啸風子は、得意満面に猫背を伸ばし、進呈されしマフィンを壺口でつつましやかにかじった。
ドゥルキス大君は、さような危険性の含意をも承知の上であったのであろうか。
結果としては啸風子の配慮により大牙の接触する事態にはいたらなかったが、それをドゥルキス大君はこのトラの利口なる性格には納得してくれただろう。
ともかくマフィンを一口食べた啸風子は、ご多分に漏れず、てきめんとして黒目に光輝を宿らせた。
このマフィン、実に嘉美ではないか。シェメッシュ人民の一日三食は、いったいどうしたはずみで滋味食材にありふれているのだろう。
啸風子は、一口目をじっくり舌で転がして、のどを鳴らしながら飲み込むに、案にたがわず二口目をせがむ。口を大きく開けっぱなしにして、マフィンの御入来を待つのだった。
ご覧のありさまに、ドゥルキス大君は、このトラにマフィンを授けた甲斐があったと冥利が萌えづりて、思わず呵呵と高笑いした。そうして、のこり半分のマフィンを、啸風子の口内へと運んであげた。啸風子はそれを、またたくまにたいらげる。
そのいかにもほほえましい情景を眺めながら、またしても哄笑するドゥルキス大君であった。
「ういやつではないか」
アルコは啸風子にかわいげがないと査定したが、ドゥルキス大君の評価によると、果たせるかなこのトラにはよくよく愛嬌を感じるという。
人間だったころの啸風子は一笑した経験すらないような堅物であったにもかかわらず、やはり猫科のトラともなると獣的脅威はさておきチャーミング性がにじみ出るのであろうか。もっとも、啸風子の融和的なるを好評したドゥルキス大君と比べ、真反対の見解を秘めるアルコはあたかもラブリーにあらずと言いたげに
さるにても、トラに呪われて急追にどこぞへ落ち延びるほかに天命のなかった落武者を、
以後、啸風子にまつわる駄弁をまじえつつ、ドゥルキス大君とアルコの二人がたわいのない談笑を満喫した終盤ほど、かたわらのカリーノ姫が「そろそろ」と父君のスリーブを引っ張る。
当人の会話中、目立って口のひとつも挟まずにひたすら黙って凝然と佇んでいた彼女であるが、むしろぞんざいに度外視されていたようにも見える。
ただ、ドゥルキス大君との閑話に花を咲かせていたアルコの視線は、しきりに泳いでカリーノ姫をたびたび一瞥していた。
時下の啸風子には、さようなアルコの挙動不審なるしぐさの趣意は、なかなかはかりえなかった。
終局、ドゥルキス大君は啸風子をかくのごとく称賛した。
———知性のあるトラ。
シェメッシュ小邦では、超自然の万物に神々が降臨憑依すると信じられている。波長の合うこのトラもまた一神の化身、
そう格言を残したドゥルキス大君は、カリーノ姫に尻を叩かれながら庖廚を去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます