第11話 精巧な砂時計

「……これが、精巧な砂時計、ですか」


 とある部屋の前に置かれた砂時計を見つめ、思わず息を呑んだ。

 昨夜目にした巨大な時計とは違い、そこにあったのは──人の背丈ほどの水晶のように透き通った筒。

 その内部を、淡く光る砂が沈殿しながらわずかに流れている。


「昔は、これこそがドルナーグの中心でした」

 隣でデステルが淡々と告げる。

 

「大砂時計のように上下を返すのではなく、幾重もの分岐を砂が通り抜けることで、一刻、さらに半刻……と細やかな時間を刻んだ。仕組みとしては、流れ落ちる水で時を測る“漏刻”に近いでしょう」


 覗き込むと、筒の奥に幾層もの仕切りが組み込まれているのが見えた。

 砂が通るたびに、かすかな光が瞬き、淡く揺れる。──だが、いくつもの層で砂の流れが滞り、光が途絶えていた。


「仕切りが欠け、溝が潰れてしまったのです。修復できる者がいなくなり……今ではこんな所に追いやられてしまった」

 デステルは肩をすくめる。その声音に悔恨はなく、ただ冷徹に事実を述べているだけ。


 けれど、僕の胸はざわついていた。


(……これなら、直せるかもしれない。仕組みは天文台で使った漏刻や、天球儀の歯車と似ている……!)


 目を凝らすと、欠けた仕切りの縁に小さな刻みが残っているのに気づく。

 本来はそこに部品がはめ込まれていたのだろう。だが奥まった部分は歪んでいて、よく見えなかった。


「……この光る砂は、何で出来ているんですか?」

 問いかけると、デステルの眼鏡の奥で淡い光が揺れた。


「おそらくは鉱石を砕き、粉にしたものではないかと。摩擦で淡く発光する性質がある。流れが止まれば光も消えるので、昔は“時の炎”とも呼ばれましたが、実際のところは何でできているかも分からない。」


「時の炎……」

 僕は無意識に、欠けた仕切りへ手を伸ばしていた。


(ここを修理できれば……きっと動き出す)


「……部品が残っている、と仰ってましたよね?」


「はい。こちらへ」


 ◇◇


「ここは、四百年前に知の国ナランサスから来た者が使っていた部屋です」


 案内されたのは、洞窟の奥に作られた小さな実験室のような空間だった。

 壁に埋め込まれた鉱石が、かすかに青白い光を投げている。


「暗すぎて作業には向かないと思うでしょう? ですが我らは光を嫌うため、どこもかしこもこの暗さだ。なのに、彼らは精巧な砂時計を作ってみせた。一体、ここでどのように作業していたのかも、いまだに謎なのです」


 僕は棚に近づき、暗がりに手を伸ばした。

 指先に触れる道具は驚くほどきれいなままだ。埃も、朽ちた跡もない。


(……これなら、すぐにでも使えそうだ)


 金属の枠、磨かれた水晶板、歯車のようなもの──暗くて奥は見えないが、指先が確かな感触を捉えた。


「……これ、かもしれない」


 顔に近づける。けれど光は弱く、細部までは見えなかった。


(どうして……こんな暗さで作業できたんだろう? まさか、手元を見ずに勘を頼りに? それとも──別の仕組みがあったのか?)


 胸の奥がざわめく。

 ここには、まだ知らない秘密が眠っているのだろうか。


 そう思いながらも、部品を手にデステルと砂時計の前に戻った。


「やはり……この部品で合っていそうですね。あとは溝を掘り直せば──でもこれは単純に削ればいいという問題じゃないですよね?」


「どうして、そのように思われるのです?」


「この砂時計の器は案外と脆そうだ。無闇に削れば割れてしまいそうで」


 そう言うと、デステルは思わず身を乗り出した。

 僕の手ごと仕切りを握り込み、早口にまくしたてる。


「やはり知の国ナランサスの血を継ぐ者ですね! その通り、この水晶の器は亀裂を起こしやすいことで知られている。無闇に削っては駄目なのです。溝に詰まった砂を掻き出し、線を復活させるのが唯一の方法──そう、私は常々そう考えていたのです! それにこの短時間で気づくなど……話が通じる相手がいるのは、実に嬉しい!」


 普段は淡々としているはずの彼の声音に熱が宿る。

 僕の胸も高鳴っていた。


(……こんなに喜んでくれるなんて。ここに来てよかったかもしれない)


 そのとき。


「……ずいぶん楽しそうだな」


 低い声が、背後から降ってきた。


 振り返れば、扉口にダランが立っていた。

 灰色の瞳は穏やかに見えるのに、どこか射抜くような鋭さを帯びている。


「デステル……俺の妻の手に触れているのは、何故だ?」


 低く落ちた声に、僕はびくりと肩を揺らした。

 扉口に立つダランの灰色の瞳は、一見穏やかそうに見えるのに──射抜くような鋭さが宿っている。


「ダ、ダラン! これは、その……深い意味は!」

 慌てて言葉を探す僕の横で、デステルが興奮気味にまくしたてる。


「高妃殿下が仕切りの欠損に気づかれたのです!しかも修復の可能性まで即座に理解され……私にとってはまさに──」


「そうか」

 ダランの声がぴしゃりと遮った。


 その声音に怒気はなかった。けれど、不思議と背筋が冷える。

 デステルも思わず言葉を飲み込んだように口を閉じる。


 ゆっくりと歩み寄ったダランが、僕とデステルの間に立つ。

 灰色の瞳は彼に向けられることなく、ただ僕を見据えていた。


「……午後からは妻にも政務がある。今日の見学はここまでにしよう」


「あ……、はい……」


「──行こう」

 短く切るような声音に、胸の奥がぎゅっと詰まった。


 結局、そのまま砂時計から引き離されるようにして、城へ戻ることになった。


(……怒ってる?)


 隣を歩くダランの横顔を盗み見ても、何を考えているのかは分からなかった。

 ただ──彼の歩幅はいつもよりわずかに速く、僕の手を包む掌の温度が、普段よりも熱い気がしてならなかった。

 

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