黒い炎のアンナ ~マッチポンプ売りの少女~

クソプライベート

第一話:強欲市長と錆びついた消火栓

 煤けたレンガ造りの街、ブリッツェン。その石畳を刺す北風の中、アンナは路地裏から広場へ向かう人々の流れを見ていた。誰もが俯き、その顔には諦めと疲労が刻まれている。

「…良い薪になりそうな街ね」

 ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞こえない。彼女の紫色の瞳は、ダイヤモンドのように冷たく、この街の欺瞞を値踏みしていた。

 標的は、市長のゲオルグ・ホルバイン。市民税を搾り上げては私腹を肥やし、自らの銅像を建てることに熱を上げる俗物だ。アンナは数日で、街の消防設備がただの飾りであるという確証を得ていた。

 安宿のベッドの上、アンナはおばあちゃん特製の通信機『エコー・ミラー』を起動する。

『首尾はどうだい、アンナ。カモは丸々と太っていたようだね』

「ええ、おばあちゃん。想像以上に。自分の銅像の除幕式で『我が市の防災は鉄壁だ』と演説するんですって。これ以上ない舞台だわ」

『クックックッ…喜劇役者には、盛大なスポットライトを当ててやらなきゃな。発火装置は"サイレント・スパーク"でいこう。音も煙も出さずに、ビロードの幕を確実に燃やす芸術品さ』

「完璧よ。最高の舞台にしてあげる」

 除幕式当日。ホルバイン市長は演台の上で、己の功績を並べ立てていた。

「諸君!私が市長である限り、いかなる災厄も恐るるに足らず!この銅像こそが、我が市の永遠の安全の象徴なのであります!」

 その言葉が虚しく響き渡り、巨大な幕が下ろされようとした、まさにその瞬間。幕の裾から、音もなく真紅の炎が立ち上った。それはまるで巨大な獣が舌なめずりするかのように、瞬く間に幕を飲み込んでいく。

「火事だ!」

 悲鳴と怒号。パニックに陥る広場。市の消防団員が駆けつけるが、錆びついた消火栓のバルブはびくともしない。腰を抜かした市長が醜態を晒すその光景こそ、アンナが描いた通りの喜劇だった。

 混乱の中、静かに進み出る一人の少女。アンナだ。

「皆様、お静かに。火事とは準備が万全であれば、恐るるに足りませんわ」

 凛とした声が不思議と広場に響き渡る。彼女は背負っていた金属筒『アイス・ブレス』を構えると、躊躇なくレバーを引いた。圧縮された化学薬剤の混合物が、白い冷気の竜となって炎に襲いかかり、魔法のように鎮火させた。

 アンナは市長に向き直る。「市長。これがあなたの言う『鉄壁の備え』ですか?言葉だけの安全では市民は守れません。本当に必要なのは、本物の備え…例えば、この『アイス・ブレス』のような」

 彼女は群衆に聞こえるように続け、法外な値段の契約書にサインさせた。市民の突き刺すような視線の中、市長に否はなかった。

 数日後、ブリッツェンを去るアンナは、街の孤児院の前にいた。分厚い金の入った封筒をそっと玄関先に置く。偽善だと自分でも思う。だが、かつて雪の中で凍え、空腹に泣いた自分自身の記憶が、そうさせずにはいられなかった。

「これも必要経費よ」

 そう呟き、彼女は振り返ることなく歩き出した。

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