第2話 神川鎬とミスカ・リ・ギルガミルガ1
「おかえり。先に始めてしまっているぞ、少年!」
バイトに赴く雫さんを見送ってアパートに帰ると……ドアの前で女性が酒を飲んでいた。
かなり大柄な女性だ。整った容姿に金髪と金の瞳……当然目立つのだが、さらに頭頂部から踵まで鉄骨が通っているような、まっすぐな立ち姿が際立たせている。
夕方から人ん家の前でパカスカ酒飲んでる人とは思えないほどの姿勢の良さだ。そのうえビジネススーツだし。
酒が無ければ海外の激仕事出来る人みたいなのにね。酒がね、激量あるから。結果、堅気に見えない。マフィアの女ボスみたい。
「先に始めてるって量じゃないでしょ、ミスカさん」
「なにおぅ? この程度では酒と呼ばん! ただの水分補給だこんなもの!」
荒々しく言い放つ、我が城、コーポ鳴海203号室の親愛なる隣人。
お名前はミスカ・リ……ちょっと覚えられない響きだ。名前からも見た目からもおそらく海外出身なんだろうが、めちゃくちゃに流暢な日本語を話す凄い人。
あとアルコール入ってるので、あなたが飲んだそれは酒と呼びます。
「あーあー、もう。雑なのか几帳面なのか……」
「はっは、すまないな少年。迷惑をかける」
古いアパートの外廊下、錆が浮いた手すりには空のビール缶が六本。几帳面にピラミッド状に並べられていた。俺が片付けるんでしょうね。これはね。
そして口では謝りながらも、パンパカ口元に酒を運ぶ手は止めない。器用なお口でよろしおすなぁ。謝罪するならそっちに集中しはったら?
ていうか、両腕にぶら下げてるバカでかいビニール袋にはギチギチに酒入ってるし。そのまま飲み干して空き缶並べて飲み干して……すっごいね、腕力。
腕になんか……その、井戸とか掘る……重機のパワー? が宿ってんのかい!
「ほら、さっさと鍵を開けてくれ。中でゆっくり楽しもうじゃないか」
「おお、ドアがちゃんと付いてるじゃないですか。えらいえらいでちゅね~」
「はっは! おちょくられているんだろうが、こちとらそういう嗜好も無くはないぞ!」
あけすけが過ぎないか? いや、仕掛けたのは俺だが。
ミスカさんが指さす先は、俺の部屋……ではなく、その隣の自分の部屋。
まだね? 俺の部屋で飲もうよ、鍵を開けてくれ、って言うならわかるよ?
でもご自身の部屋の鍵を、俺に開けてくれって言うの、なんかおかしくない?
「はいはい。……ヤバいですって本当。いい加減どうにかした方がいいですよ」
「はっは! このミスカ・リ・ギルガミルガ、そんな小さなものを始終持ち歩くなどできはしない。我は勇者だし」
もう酔ってんなこの人。
仮に勇者だとしても持ち歩けよ鍵。
まあね? ミスカさんはここに住み始めてから、鍵の紛失を2回、ドアの破壊を同じく2回しでかしているからね?
いや、俺は別に良いんだけどね? 大家さんがね? 泣きついてくるからね?
本人は施錠の必要ないとかいうんだけど、女性の一人暮らしじゃん、ってことで、なぜか俺が鍵管理。
俺が家出るとき、ミスカさんが不在だったら一応となりの鍵も閉めてる。
だから基本的に、こうして俺が帰ると、外で締め出されているのだ。……朝早く夜も早い生活っぽいから何とかなってんですよアナタ。
異常ですね。こんなにも空は晴れているのに。
まぁ、名前も聞き馴染みないし、防犯意識の無い国から来たのかもしれない。
「いや、でも鍵はちゃんと自分で管理した方がいいですって」
「無理だ。何しろ一所に住処を定めるのが初めて。これまでは旅また旅の暮らしで経験が無い」
「そうだとしてもですね……って、また楽器増えてません?」
合鍵……じゃない。なぜか俺が管理している本鍵で部屋を開けると、六畳一間には足の踏み場もないほどの楽器。
さすがにグランドピアノレベルは無いが、ギターやドラムのような見覚えのあるものから、ボンゴ? のような民族楽器、トランペットもあるし、あっちには雅楽の笙? まで。一見ただの箱や筒にしか見えないものもあるが、楽器なんだろうな。
誇張なく、ミスカさんが横になる幅の床以外楽器で埋まってる。
布団も無い。倉庫。
「いやぁ、実は普段通っている店の店主から、面白い楽器を扱っている店があると聞いてな。行ってみるとこれがなかなか……」
楽しそうで何よりだけども。
不思議なのが、どれもかなり使い込んだ形跡があるのに、隣の部屋の俺には何一つ聞こえてこないことだ。
たいして厚い壁でもないし、ぱっと見防音処理もしていないにもかかわらずだ。
ミスカさんの七不思議のひとつ……いや違うな。この人の不思議は七つどころじゃないわ。
「さて……なんかつまみでも作りましょうか?」
「いや、今日は総菜を買ってきている。これを食べようじゃないか」
そう言って二人で空いた床にどかっと座る。座布団もない。机も当然ない。酒もつまみも全部床置き。
楽器屋さんが本気でサボるときみたいなシチュエーションだ……。
ていうか、総菜全部駅ビルのデパ地下じゃん。すげーミスカさん。……たっか!
いやぁ、いいんですかい? ご相伴にあずかっても、ありがてえ、ありがてえなぁ。
なんですかい、こりゃあ……テンペゴレン風フムスサモサ? 何を言ってんだ。
この人はすべての価値判断が音だからな。食いもんだろうがなんだろうが、タイトル買いするんだよな。……これは美味いからいいけど。
「相変わらずよく食ってよく飲みますね」
「少年が食わなすぎなんだ。もっと食え。飲め。なんだかよくわからんが美味いぞ」
そう言って、食いかけの肉の塊を箸で突き出してくるミスカさん。それをありがたくいただいて、酒をぐいっとあおる。へへえ、たまんねえなこりゃ。
先日晴れて二十歳になりましたからね。お酒が美味しいんですわ。へっへ。
アルコール2%のチューハイですけど。
一方、ミスカさんは瓶の凄そうな酒をぐいぐい煽っている。俺のために毎回チューハイ買ってもらって申し訳ない。
「さて、少年。今日の一日はどうだった?」
「いやぁ、特に何もなく。穏やかな一日でしたよ? 朝は……」
ミスカさんとは週に二、三回こうして飲む。その時は基本的に俺がとりとめのない話をして、ミスカさんがそれを黙って聞いている。
あまりにも普通のことしか話せないので申し訳ないのだが、ミスカさんはそれでいいらしい。
以前、話を盛りに盛ったら怒られたし。
でも町で野良猫を見た、はあまりにもつまんないって思ったから……だから商店街でライオンが昼寝してて~って言ったら、一瞬でばれて怒られた。
「……つまらんでしょう? なんか申し訳ないですね」
「いや? 大変面白い。私は来たばかりでこの世界のことがまだよくわかっていないし、なにより少年。君からはとてもいい音がする。これは本当に素晴らしいことだぞ」
ミスカさんはいつものようにそう言って、柔らかく微笑んだ。
ぽつりぽつりと俺の話に相槌を打ちながら、酒瓶を傾ける。時に無言の時間もあるけれど、それもまた嫌いではない。
ミスカ・リ・ギルガミルガさん。
ある日、突然ぼろぼろの恰好で現れた謎の女性。
彼女はなぜか目が合った俺の元にまっすぐやってきて、この世界のことを教えてくれと言ってきた。自分を勇者と称し、魔王を倒すために来たと言う。
ヤべえ奴だと思ったが、まぁそういう奴は俺の周りにそこそこいるからいいかと、住居、仕事に生活と、あれよあれよと面倒を見てしまった。
それから、少しおかしなご近所付き合いは、割と楽しく続いている。
「小物の楽器も増えてきましたけど、棚とか買わないんですか? さすがにごちゃついてません?」
「ふむ、確かにそういったものがあってもいいか。ならば少年。今度それらをそろえに行こう。もちろん僅かばかりだが礼はする」
「いいですよ。暇なときに声かけてください」
ていうか、ミスカさんに俺が紹介したバイトは、顔なじみの八百屋なんだが……。なんかこの人、やたら金回り良くないですか。俺が八百屋でバイトすればよかった。野菜好きだし。野菜もきっと俺のこと好きだし。
なんか不法滞在系とか法的にヤバいのかとも思ったが、大家の爺ちゃんとか八百屋の若旦那とか、市役所の手続きとかもスルーしたのでたぶん問題ないんだろう。
もちろん本当に勇者なら面白いんだけど。
俺はどっかの有名音楽家あたりが、お忍びで長期滞在しているのではないかと踏んでいる。
それかマジでやばい人か。
まぁ、出自はどうでもいいか。
この人はいい人だし。
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