素晴らしき平凡な世界
松岡清志郎
第1話 神川鎬と波田雫
世界は思ったよりうまく出来ているな、と思う瞬間がある。
大学でボールペンなくしたと思ったら、街中で配っているチラシにボールペンが付いていたり。スクラッチで二千円当てたら、お気に入りの服汚してクリーニング代で飛んだり。
幸福の総量、みたいなことを言うつもりはないが、何かが起きたらそれを補完する力が働いているように感じてしまう。まるでなにかのバランスをとるように。
例えば、中学の時も。
『しのちゃーん! ごっめんね、ママまだ全然帰れそうにないの!』
「大丈夫だって。それよりまた無理してない? ちゃんとそっちで休む時間とりなよ?」
『はぁぁんっ! 聞いた!? ねえ
「声デッカ。すみません、さーじ? さん。どっかで通信抜いてる人も。ウチの母がやかましくて。……それで、今どのあたりにいるの?」
『えっと今はねぇ、ジャングル! の、高地なんだけど……あっ、ちょっと待ってここやばいわ。ごめんねしのちゃーん! 一回切る! 風邪ひかないようにね! テスト……とかどう……いいけど……かくして寝て、火の元も……ガッ』
「……切れた」
母親からの爆音交じりの電話が切れた後、テーブルの上には全教科平均ぴったりのテスト、評価オール3の通知表。
その時からか。平凡の中の平凡な自分と、特別の中の特別な母。
鷹がトンビを……などと卑下するつもりはない。どちらかと言えば、大嵐が凪を産んだとでも言うのだろう。
いずれにせよ、世界はうまく出来ているなと思った。
「……のぎ」
自分が退屈な人間過ぎる、と言ってしまえばそれまでなのだが。
とはいえ我が退屈性を差し引いても、俺の周りにいるのは濃い人間ばかりだな、と思う。これは客観的に見てもそうだろう。
平凡極まった人間の周りに、インパクトの強い人間が集まる。これもバランスか。
「ちょ、……しの……」
もちろん、類は友を呼ぶ、なんて言葉もある。だがそうすると、俺のような穏やかな人間が集まった村と、母を含めた周りの人々のような……とんでもない輩が集まった村ができてしまうわけで。そうなったらもう、えらいことになっていたはずだ。
とりあえず、現状はそうなっていないのでなによ……。
「しのぎ!」
「うぉっ! びっくりした……!」
自己という深淵に潜っていたら、鼓膜に直接俺という存在を示す記号をたたきつけられて正気に戻った。
そうだ俺は
「もうっ、なにぼーっとしてんのよっ! とっくに講義終わったわよ!」
まったくもうっ! ていう擬音をイメージ化したらこうなるんだろうな、って感じでやってきたのは、やはりというかこいつだ。
「あ、ありがとう、
前のめりに腰を曲げて左手は腰に、右手は前に突き出して人差し指を立てている。
俺が整体師だったら腰を心配して、漫画家だったら時代遅れを心配するようなポーズだ。
ちなみに右人差し指が指す先には、大学の古い天井以外何も無いよ。……あ、蜘蛛の巣。
「わ、私の格好なんてどうでもいいでしょ! そんなことより……まぁた、ぼーっと話聞いてたでしょ! 講義中ずっと見てたんだから! ……まったく、姉として恥ずかしいわよ」
今度は頬を膨らませた! 意図的にやらんと膨らまないぞ、頬は。
あと、ずっと見るなよ。ちゃんと先生の話聞いたほうがいいよ? ……などと思ったが、怒られるので言わない。
それにしても、相も変わらず元気な子だ。バイ、バタ? あの……バイ、タリティ? にあふれている。……バイタリティでいいんだっけ? あれ?
「ちょっと、聞いてるの!?」
「聞いてる聞いてる。……ところでさ『バイタリティ』って言葉、あるよね? ていうか、バイタリティにあふれてるって言い方する?」
「な、なによいきなり。生命力とか、活力的な意味でしょ? バイタリティにあふれてるって言い方もするわよ」
さすがに優秀な雫さん。いつものことながら頼りになる。
……あれ? なんかおかしくね?
「……え、ちょっと待って。そんじゃ、活力にあふれてるって言う方が短くない?」
「え? えっと、まぁ……そうね?」
マジかよ、俺は今までなんて無駄な時間を……。
「いやでも、音のニュアンスとかもあるし……って、鎬! また話逸らそうとして! 講義をちゃんと聞きなさいって話でしょ!」
そこからはもう、いつもの流れですよね。授業態度から始まって、生活習慣やらなんやら。
……朝はまずカーテン開けろとか、ベッドから出ずにスマホ触るのやめろとか言われたけど、それはなんで知ってんの?
「まったく、本当にまったく! アンタは……もうちょっとちゃんとしてくれたら、私だって……その。少しは見直すっていうか」
さらっさらの黒髪をくるくるともてあそびながら、雫がそっぽを向いて言った。最後の方はボソッと。でも聞こえたぞちゃんと。
マジかよ、もうちょっとちゃんとすれば見直してくれるって……。
俺は、ちゃんとしてなかったのか? そして、見損なわれていたのか?
「そらぁ、雫さんほどちゃんとはしてないけどもよぉ! それでも……それでも俺は俺なりに頑張っ……たり頑張らなかったりしてるんだけどなぁ!」
「わ、わかった! ごめんごめんっ! あんた頑張ってるの知ってるから! 教室で出す声量じゃないから!」
「ごめんな……俺さ、頑張るから。もうちょっとましな人間になれるように……」
「今度は泣かないで……ッ! いやいやいや! アンタは本当に大したもんよ! すごい! 鎬はすごいって! 優しいし、努力家だし、カッコいいし、本当カンペキだから! 自慢の弟よ! だから泣かないで……!」
「まぁそうだよな。俺は優しいし、努力家だし、カッコいいし、カンペキだもんな。はぁー、大したもん大したもん」
「……チッ」
おおハッキリとした舌打ち。すっごい冷たい視線。もともとハッキリした目元だからより怖いぜ。
「はい。もう終わり終わり。さっさと荷物まとめて帰んなさい。今日はバイトもないんでしょ? お家でゆっくりしたらいいじゃない、この愚弟」
めちゃくちゃキレてらぁ。ウケる。ごめんね。
……なんでバイト無いこと把握されてんだろう?
「ちなみに雫さんは今日バイトあんの? 暇なら飯とか行く?」
お詫びにおご……らないけど、セルフの水とかは取ってくるよ?
「え! 一緒にごはん!? い、行く! 絶対い……あ、私はバイトだ……え、なんで? まっじでこれ……ありえん」
もっとキレてらぁ。でもしょうがないよバイトは。
そこら中に電話かけたりメッセージ送りまくってるけど、急病でもないのに当日キャンセルは厳しくない? 何のバイトしてるか知らんけど。
「じゃ、じゃあ明日! 明日は……アンタバイトか。土曜! 土曜の昼ならバイト無いでしょ? そこでご飯行きましょうよ!」
「おっけー。了解しました。なんか食べたいもんとかあったら連絡頂戴」
調整に失敗し、肩を落としながらバイトに向かう雫さんを見送って、帰路につく。
高2の時から同じクラスの友人だが、こいつを表す言葉には悩まされる。
天才。才色兼備。学校を振った女。教師の進路相談をする女。まぁ、肩書には困らないタイプだ。
いずれの称号も誇張なく事実。
まさか大学でも同じ専攻になるとは思わなかったが、志望理由を聞いたら「姉は弟と同じ大学に通うでしょ普通」と言われた。
普通じゃないと思うんだけど。本当の姉弟だとしても。
……さて、ここまででお分かりいただけただろうか。
この波田雫さん。別に俺の姉ではない。
血もつながってないし、なんなら高校で初めて会ったし、どうやら隠し子とかでもないっぽい。
ただ、姉を名乗っている。いつの間にか。
怖いでしょ。俺も最初は怖かった。でも意外と慣れるもんですよ? ていうか、気にしてもしょうがないからそのままにしている。
これが、俺の周りのインパクト強い奴、その一だ。
……良い奴ではあるんだけどなぁ。
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