妖祓師~高円広夜~

☆白兎☆

第1話

 時は聖武天皇しょうむてんのうの時代、高円広夜たかまどのひろや妖祓師あやかしはらいしとして、まだ一人であやかし退治をしていた頃だった。


 さくの夜、川で人を襲っていた妖を退治し、一人の男を助け出した。


「お前、私に何をしたのだ!」

 気を取り戻した男が広夜ひろやに向かって怒鳴ると、

「何をしたか? 見ての通りだ。案ずるな、妖は退治した」

 と広夜が答えた。

「私の服はどこだ!」

 男は広夜の言葉を聞いてもなお警戒を解く気は無いように睨んで言った。

夜鬼よき

 広夜が夜鬼に声をかけると、

『お前の服はここだ』

 と無表情で男に服を差し出すと、川の水で濡れていたはずの服は、夜鬼の術によって、すっかり乾いていた。

「ところでお前、どこの誰だ? 家まで送ってやろう」

 広夜が言うと、

「お前こそどこの誰だ! 私をこのように辱めた責任、どう取るつもりか⁉」

 と男が言葉を返した。

「私は高円広夜たかまどのひろや。水に潜む妖を退治したところ、川底に沈んでいたお前を救い出したのだ。私が責任を取る道理は無い」

 と広夜が答えた。

「そうか、お前はあの有名な妖退治の高円広夜か。だとしても、今回の件はまた別だ。妖を退治した事は褒めてやろう。私を救った事には感謝もしよう。だが、私を凌辱した事だけは責任を取ってもらう」

 と男はそこだけは引き下がらなかった。そして、服を着ると立ち上がり歩き出した。しかし、足に力が入らず、よろけて倒れるところを、すかさず広夜が支えて、

「お前は妖に霊力を吸い取られている。まだまともに歩けぬだろう? だから、家まで送ろうと言っているのだ。まずは名前を教えてくれ」

 広夜が言うと、

「ふんっ」

 と男は不満そうに鼻を鳴らして、

橘真娜瑪たちばなのまなめ、私の家は都にあるたちばな家だ。お前が知らぬはずはないだろう?」

 と答えた。

「うむ。橘家なら知っている。送ってやろう」

 広夜はそう答えて、真娜瑪まなめを抱きかかえると、

「やめろ! 下ろせ!」

 と彼は喚いて暴れた。

「お前は歩けぬのに、どうやって帰るつもりだ?」

 と広夜が聞くと、

「男に抱きかかえられるなどみっともない。そんな恥を晒すくらいなら歩けるまでここで休む。お前はとっとと帰ればいいだろう!」

 と真娜瑪は言葉を返した。

「そう言われてもな。お前を置いて行けば、また妖に襲われて、私の仕事が増えるだけだ」

 広夜はそう言ったあと、

「それなら私の気を分けてやろう。そうすれば己の足で歩いて帰れるぞ」

 と言葉を続けた。

「なんだ、そんな方法があるなら先に言え。ほら、さっさと私にお前の気を寄こせ」

 と真娜瑪は傲慢な態度で言った。これには、いつも無表情の夜鬼も、眉間に皺を寄せて不服そうな表情を浮かべ、何か言いたげにしている。それを見て広夜は夜鬼に笑みを向けて、

(そんな顔をするな。私は気にしていない)

 と思念で伝えた。それから、

「では、早速」

 そう言って広夜は抱きかかえていた真娜瑪の顔に己の顔を近付けた。

「おい、何をする気だ⁉」

 と真娜瑪は両手で広夜の顔を押し返す。

「何をするかは、先ほど伝えたではないか。私の気を分けてやろうとしていたのだが?」

 広夜が何を今さら聞くのかと眉を上げて答えた。

「では聞くが、気を分け与えるとはどうするのだ?」

「お前の様に霊力も弱く、修行を積んでいない者に気を送り込むには、口からが一番容易いのだ。お前が早く気を分けろと言ったから、そうしようとしたまでだ」

 と広夜が答えると、

「お前! 再び私に口付けをする気だったのか? ふざけるのも大概にしろ! もういい! このままでいいから早く家まで送れ」

 真娜瑪はむすっとした不満顔で言うと広夜は、

「まったく我儘な奴だな?」

 と呆れ顔で言って、夜鬼の腰を抱き、縮地しゅくちの術で都まで移動した。

 たちばなの屋敷の門前に着くと、広夜は門を叩き、

「夜分に失礼するが、橘真娜瑪たちばなのまなめ殿を送り届けに参った。門を開けてもらえるだろうか?」

 と声をかけると、すぐに家人から、

「かような時間に、どのような方が参られたのか、名をお教え頂きたい」

 と返事があり、

高円広夜たかまどのひろやと申す」

 と広夜が答えた。そして、

「おい、早くここを開けろ。私は橘真娜瑪だぞ!」

 と真娜瑪が怒鳴った。

「真娜瑪様、大変失礼致しました」

 家人が真娜瑪の声を聞くと、慌てて門を開き、彼らを招き入れた。そして、広夜に抱きかかえられた真娜瑪の姿を見て、

「真娜瑪様、いかがなさいましたか?」

 家人は驚きの表情で聞く。


 橘真娜瑪は橘家の四男で、歳はまだ十五歳で、朝廷に仕えて間もないのだと、真娜瑪の父が広夜に話した。

「なるほど」

 広夜が思っていたよりも真娜瑪は幼いという事を知った。

「高円様、此度は我が子をお救い頂き、感謝の言葉を尽くしても足りない程です。このお礼は、後日改めてさせて頂きます」

 と真娜瑪の父が深く頭を垂れて謝辞を述べた。

「いやいや、私は職務を遂行したまで。これにて失礼します」

 と広夜は謙遜して、橘家をあとにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る