光の名を呼ぶ夜

淡路結波

光の名を呼ぶ夜

 ぴぴっ、ぴぴっ、ぴりりりっ、目覚ましが鳴る。

 外からは、小鳥のさえずり。

 カーテンの隙間から強烈な光の筋が射しこんでくる。

 目覚ましの音のうるささと、光線の熱で無理やり起こされた気分。正直、目覚めが悪く不機嫌。そんなのがいつもの毎日だ。とりあえずアラームをとめてようといつも通り手を伸ばしたが、なぜか手は空を切る。


「あれぇ?」


 少し疑問に思ったけど、寝ぼけただけかと思って、身を乗り出して止めた。なんだかいつもよりも重心が前にあるように感じたが、気のせいだろうか。


「なんか体の調子がおかしいな」


 そういって体を布団から起こすと、頬をさらさらとした髪の毛が撫でてくる。少しくすぐったいし、こんなに長くなかったはずだ。そういえば、さっきのセリフも妙に声が高くなってたような……。体のあちらこちらが変な感じがするので、いったん確認したい。スマホスマホ、っとスマホを見ると見覚えのない色で、知らない子がホーム画面に映っている。


「持ち物が変わっているということは……?」


 不安ながら部屋の様子を見渡してみると、知らない鏡台と姿見が置いてあった。


 せっかくの機会だから――と、姿見の前に立って姿を確認してみる。すると目の前には知らない女がいた。夢だと思いたくて、首を傾けたり、頬をひっぱたりした。でも鏡の前の女は自分の動きに合わせて左右に動くし、頬も痛い。

 何も怖くはない。ただ、何もかもが気がした。

 この小さな体でこれからどうしようと思っていたら、コンコンとノック音が聞こえた。


明梨あかり、早く支度しなさい。学校に遅れるわよ」


 母の声だ。


「わかったよ。少し待って!」


 とりあえず、返事をしておいた。

 ここでふと気づく。そういえば、


「いま、お母さんって言った?」


 明梨って誰だよ。昨日までは――全然違ったはずなのに。もしかしてここは、俺が最初から女子だった世界なのかもしれない。支度しないといけないので、確認がてらクローゼットの制服を確認してみると、セーラー服だった。


 やはりこの世界の俺はらしい。


 制服を着るのに四苦八苦して、なんとなく雰囲気で整える。リビングに行って家族に挨拶したけれど、誰一人、違和感を持っていなかった。現実が「最初からそうだった」ように塗り替えられている。


 現実は非情だ。こんな良くわからない世界に連れてこられても、学校には行かないといけないらしい。いや当たり前なんだよ。最初から明梨だったことにされてるから、男だったのにって主張しても無味滑稽でしかない。

 そう内心でぶつくさ言いながら学校に向かう。着慣れない女子制服のスカートの裾が落ち着かないのだ。ひらひらとした裾が太股や膝を撫でたと思えば、やめたりする。スラックスにはなかった感覚だ。布に焦らされるのがどこか鬱陶しい。


 そうこうしてるうちに学校に着いた。現実ごと改変されてるだろうから、周囲から見れば当たり前に見えるだろう。でも、俺からすると初めての空間だから緊張する。ボロを出さないように気を付けよう、意を決してクラスの扉を開いた。


 ――ガラガラッ


「おはよう、明梨」


 クラスのみんなが自然に声をかけてくる。


「おはよう~」


 とりあえず挨拶は返した。昨日まではこう気軽に挨拶された試しがあまりないせいで、違和感しかない。昨日までの俺と今日からの私はクラスの立場が違うのかな……。扱いの違いに思考を巡らせながら自分の席を探すと、これはいつも通りのところにあった。ようやく変わらない居場所を見つけて安堵した。この机だけは仲間なんだ。無機物に想いをはせるくらいには疲れていたらしい。


 少し時間が過ぎて心が落ち着いた。周囲を見渡してみても、親友である彩人がいない。代わりに隣の席に見知らぬ女子――彩月さつきが当然のようにいる。親友と似た名前だけど、どこか雰囲気は異なってる。なんとなくでしか表現できないような違いだ。でも周囲は


「明梨と彩月はずっと仲良しだよね」


 って笑ってる。彩月もなんか笑ってた。こうやって、世界は俺の知らない方向に上書きされていくと実感した。それにしても、さっきの彩月の反応ちょっとどこか違和感あるような気がした。愛想笑いみたいな空気を纏ってた。気のせいかもしれないけどさ。


 放課後、彩月に声をかけてみた。


「少し、話せる?」



 ***



 カラン、カラン。帰り道、ふたりでカフェにやってきた。多分昨日までの親友である彩人――いまは彩月か、を誘って。でも正直なところ誰かわからない。クラスメイトが言うには、私と彩月は以前からの仲良しらしいし、勢いで連れ出してみた。多分、この世界の私の行動からは逸脱してないはず……。ちょっと不安だけどね。


「とりあえず、注文何にする?」

「私は明梨ちゃんと同じでいいよ」

「じゃあ、カフェ・オレ頼むね」


 店員さんを呼んで、二人分の注文を済ませる。

 飲み物が届くまでの、このシーンとした、ぎこちない間がつらい。彩月の方から話しかけてくれたら楽なのに……。もしかして相手も距離をはかってるのか……? お互いに何とも言えない笑みを浮かべながら向かい合っていると、


「お待たせしました。カフェ・オレ二つです。ご注文の品はお揃いでしょうか?」


 注文の品が届いた。


「「はい、揃ってます」」


 返事がハモった。やっぱり親友なのかもしれない。なんとなくそう思った。


「彩月ちゃん、一つ聞きたいころがあるの。ちょっと変な質問かもしれないけど」

「なぁに? 明梨ちゃん。その変な質問って」

「単刀直入に聞くけど、あなたって誰……なの?」


 ぞわっとした間が生まれる、店内の落ち着いたBGMのみが聞こえる、静寂で、少しぴりりっとした空間。体に空気がまとわりつくような、ほんの少しの重みも覚える。その空気を割って逃げ口を作るように、彩月が口を開いた。


「……もしかして、明梨ちゃんも、きのうを覚えているの?」


 また少し間がひらく。

 この反応、彩月も前の世界の住民だと確信できる。やっぱり彩人だったんだ。ほっとして、呼吸を整えてから


「……うん、そうだよ」


 と返事した。


「私も今朝起きてからいろいろ変だと感じてたの。

 親友の代わりに明梨がいて。

 クラスのみんなは、明梨と彩月って親友だよねって言ってきてたし。

 友達にこんなにかわいい女の子はいなかったのに、って」

「そんな、かわいいだなんて……。

 急にそんなこと、言わないでよっ」


 彩月の独白を聞いていたら、急に褒められてしまって顔が赤くなる。心臓に悪いからやめてほしい。確かに鏡見たときに可愛いとはほんの少し思ったけど、そんな余裕なかったよ。


「そういう恥じらった様子を見ると、ますます可愛がりたくなっちゃうのに。もしかして女の子初心者?」

「そういう彩月も、私と一緒だったでしょ!」

「ははっ、そうだね。そうなちゃったもんね……」

「私たち、二人っきりだけでね」


 同じ境遇のクセに揶揄われてしまった。解せない。でもこういうやりとりができるってのが安心にもなる。昨日までと一緒だなって。


 変わった世界の中で例外二人。今朝のぎこちない空気から、以前のような親密さが戻ってきた。ひと段落ついて、安心しているとあることに気が付いた。


 ふと、昨日の放課後に話したことを思い出した。


 ――「理想の女の子って、どんな子?」


 あのとき冗談めかして語り合った理想像。

 目の前の彩月が、それにそっくりだった。


「ねぇ彩月。もしかしてさ……お互い、あのとき言ってたの姿になってない?」

「……言われてみれば、そうかもね。

 だから明梨がこんなにかわいいんだ。納得しちゃったよ」

「だから、すぐにさらっと褒めるな! 心臓に悪いからやめて……!」

「せっかく理想の女の子が目の前にいるんだから、これくらい言わせてよ」

「彩月も女の子になってるんだからね。

 自分のことは棚に上げて、私ばっかり……。

 そうやってずっと褒められ続けたら、戻れなくてもいいって思っちゃいそうだよ」

「戻らなくてもいいんじゃない? ずっと可愛がってあげるから」


 外の光が夕焼けに変わる。窓に映る二人の横顔が、どこか似ているように感じた。



 ***



 カラン、カランカラン。ふたりで外にでた。太陽はいつの間にか沈みかけていた。

 話してる感触からして、そんなに時間がたってないような気がしたけど、なんだかんだ話し込んでいたらしい。仲良しって話が弾むからね。

 なんとなくお互いに手をつなぐ。昨日までは大きくて少し硬かったのに、そんな面影はもうどこにもない。小さくて柔らかい掌を、ギュっと握りしめた。こうやって手をつなぐのも小学生以来か。どこか懐かしく感じたのはそのせいだった。

 夕陽を背にしてふたりで歩く。


「ねぇ、彩月」

「なに? 明梨」

「私たちってさ、昨日までよりも近い気がするの」

「ふふっ、前よりもお互いにになれたから、かもね」


 そのとき伸びる影がそっと近づいた。心の隙間もほんのり縮んだのかもしれない。

 夕暮れの空、月が朧に浮かぶ。


「この世界も、悪くないのかもしれない」


 明梨は空を見上げて、そっと呟いた。



 ――光と月が並ぶ、初めての夜。きっとこれからも照らし続ける。

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