第29話 総理、家族サービスする
十一月のある休日の朝。
その日の東京は、雲ひとつない秋晴れの青空に包まれていた。
そんな絶好の行楽日和に、迅一郎もまた娘のあかりを車に乗せて、都内の
「パパ、はやくっ! はやくいこうよー!」
人目から隠れるためにかけた色眼鏡の向こう側——
迅一郎の前を一人娘のあかりが弾むような足取りで駆けていく。
その小さな背中に背負ったピンク色のリュックが上下に揺れていた。
放っておけば、どこまでも小さくなってしまうその背中に向かって、迅一郎は少し慌てて声をかける。
「あかり、待ちなさい! 一人でそんなに遠くに行くんじゃない」
迅一郎の掛け声も、あかりの耳には届いていない様子だ。
けれど、それも仕方のないことだった。
あかりを連れて訪れたのは、子供向けの遊園地。
ゲートの向こうでは、カラフルなアーチが陽光を受けてきらめき、その脇では風船を抱えた着ぐるみのキャラクターが、子どもたちに手を振っている。
遠くでは、観覧車がゆっくりと回り、あちこちのアトラクションから流れる楽しげな音楽が、子供たちの笑い声とともに風に乗って聞こえてきた。
親子連れであふれる通路では、誰もが穏やかな表情を浮かべ、今日という日を目一杯楽しもうとしている。
子供にとってはまさに夢のようなその光景を前に、あかりは目を輝かせるばかりだ。そして、ぱっと振り返ると、満面の笑みで両手を大きく振った。
「おそいよパパ!
その声を受けて、少し遅れて迅一郎の隣へ並んだのは結月だった。
普段は首相秘書官として常に迅一郎の傍らに立つ彼女。
しかし、今日はいつものスーツではなく、柔らかな印象の私服姿だ。
白のカットソーにアイボリーのカーディガン。
ズボンはシンプルなデニムを合わせて、背中には大きめのリュックを背負っている。
秋のやわらかな陽気に溶け込むような、落ち着いたカジュアルスタイル。
動きやすさを重視しつつも、どこか品のある装いだった。
当然ながら、休日の今日、彼女は仕事でこの場所に来たわけではない。
迅一郎から、この週末にあかりを連れて遊園地に行くことを聞き、自ら同行を頼み込んだのであった。
「ねーえ、はやくのりものにのろーよー! ゆっくりしてると、ゆーえんち、おわっちゃうよー!?」
「あかりちゃん、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。たっぷり時間あるからね」
結月は穏やかに笑いながら声をかけ、ふと迅一郎のほうに視線を向けた。
互いの表情に小さな笑みが浮かぶ。
「先輩、行きましょうか」
「そうだね」
あかりの小さな背を追い、二人も歩き出す。
手を振るあかりの笑顔に誘われるように、二人の歩幅が自然と重なった。
***
「メリゴーランド! メリゴーランドがいーなー!」
あかりが最初に選んだのは、入口近くの広場にあるクラシックなメリーゴーランドだった。
真っ白な馬たちは金の装飾で飾られ、天井にはステンドグラスのような照明がきらきらと輝いている。
軽やかなオルゴールの旋律が流れ、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。
「よし、パパと一緒のお馬に乗ろう」
「えーやだー。あかりひとりでおうまにのりたい!」
「え、一人で? 大丈夫か?」
「だいじょうぶです! あかりはおねえさんなのですから」
あかりは小さな胸を張って、得意げな笑顔を見せる。
迅一郎は微笑ましく思いながらも、どうしたものかと一瞬考え込む。
「先輩、大人が隣に立っていれば、子供一人でも乗れるみたいですよ」
結月が案内サインを指さして、そう言った。
「じゃあ、あかり。一人でしっかりお馬さんにつかまれるかい?」
「おまかせください」
「ふふっ、せっかくだから私、動画を撮りますね」
あかりと並んで列に加わる迅一郎。
受付で係員にチケットを渡してから、あかりを白馬に乗せ、自分はその傍らに立った。
柵の向こうで、結月がスマートフォンを構えながら、二人に向かって穏やかに手を振る。
やがて、発射のベルが鳴り響き、軽やかな音楽とともにメリーゴーランドが回りだした。
あかりが跨った白馬が上下にゆっくりと動く。そのたびにあかりは顔をきらめかせながら、楽しそうに笑い声をあげた。
迅一郎はその横顔を見つめながら、胸の奥に温かいものが広がるのを感じていた。
やがて回転が緩み、音楽が終わる。
メリーゴーランドが完全に止まると、迅一郎はそっと腕を伸ばし、あかりを抱き上げて馬から降ろした。
「どうだった、あかり」
「うん! さいこー!」
「そうか、それは何よりだ」
「パパ、パパ! つぎ! つぎいこー!」
降りるやいなや、父の手を引っ張るあかり。
迅一郎は半分引きずられるようにして、後をついていく。
その後も、あかりのリクエストに合わせて、三人は次々とアトラクションを巡った。
「次はどこへ行くのかな?」
「コーヒーカップがいい!」
あかりの指さした先には、カラフルなカップがくるくると回転している。
三人はさっそく列に並び、空いたカップに乗り込んだ。
「それそれー!」
「ちょ、あかり! 回しすぎだ! 酔うだろ!」
「きゃははは! もっともっとー!」
あかりは全力でハンドルを回し、カップはどんどん速度を上げていく。
目の前の景色が溶けるように流れ、風が頬をかすめた。
迅一郎は酔いに顔をこわばらせながらも目を細めて必死に笑い、結月は体をすくめて手すりを握る。
そんな二人の様子がおかしいのか、あかりの笑い声はますます弾んだ。
「つぎはあれがいい! おそらでくるくるまわるやつー!」
次にあかりが指名したのは空中ブランコだった。
今度は結月とあかりが並んで乗り込み、迅一郎は地上からカメラを構えた。
「パパー! しっかりとってねー!」
「ああ、任せろ!」
軽やかな音楽とともに、ブランコがゆっくりと動き出す。
回転が速くなるにつれ、二人の体が遠心力で外へ引かれていった。
笑い声が弾み、二人の姿が空に描かれるようだった。
「うわあ〜! パパ、飛んでるみたい〜!」
あかりは嬉しそうに手を振った。
リボンで二つ結びにした栗色の髪がふわりとたなびき、陽光を受けてきらめく。
その横で結月も少し照れたように笑いながら、控えめに手を振っていた。
迅一郎はカメラを向けたまま、そんな二人に向かって大きく手を振り返した。
「あ、おばけやしきだ! おばけやしき、いきたい!」
空中ブランコを終えて、しばらく園内を散策したあかりが、次に指さしたのはお化け屋敷だった。
その指が指す方向には、古びた日本家屋を模した建物が佇む。
軒下には、おどろおどろしい字体で「おばけやしき」と書かれた看板が掲げられ、どこからともなく低い唸り声のようなBGMが聞こえてきた。
「あかり大丈夫か? 怖くないか?」
「ううん、こわくないよ! いってみたい!」
迅一郎が声をかけると、あかりは元気よく返事をする。
小さな手が自然と迅一郎の手を握り、二人は並んで入口へ向かった。
しかし——
「あれ、ゆづちゃん?」
振り返ったあかりの視線の先で、結月は足を止めていた。
彼女はこわばった顔つきで、じっと建物を見つめている。
「どしたの?」
「あ、あかりちゃん。おばけやしきはまだ早いんじゃないかな〜。夜眠れなくなってもしらないよ〜?」
「へーきだよ? だって、あかり、カッパさんも、のっぺらぼうさんも、ぬりかべさんも、だいすきだもん」
結月の引きつった笑顔に、あかりは小さな指を一本ずつ立てながら言葉を返した。
「最近あかりのヤツ、妖怪の絵本にハマっててね」
「そ、そうなんですか……うう……」
結月はこわばった表情のまま、お化け屋敷の入口をじっと見つめていた。
「もしかして、ゆづちゃん……おばけこわいの?」
その言葉に、結月は肩をすくめるようにビクッと体を震わせた。
「ななななにを、あかりちゃん……! こ、怖いわけないじゃない!」
声があからさまに裏返り、思わず自分でもハッとした様子を見せる。
必死に平静を装うが、落ち着かない視線は右へ左へと泳いでいた。
あかりはそんな結月の様子をじっと見つめ、それからぱっと顔を輝かせた。
「そうだ!」
思いついたように手を叩き、勢いよく迅一郎の手をつかむと、そのまま結月の方へ引っ張っていく。
驚く間もなく、二人の手が重なった。
「こーすれば、こわくないよ!」
「……えっ!?」
「パパ、ゆづちゃんのこと、おばけから守ってあげてね」
「ゆ、ゆづちゃん……」
予想だにしていなかった事態に、結月は一瞬で固まり、頬を真っ赤に染めた。
迅一郎は、娘なりの思いやりにあふれた行動に、微笑みながら頷く。
「ああ、任せろ。悪いおばけが出たらお父さんが守ってやる」
「せ、先輩……」
「すまないね、結月。嫌じゃなければ、しばらくこのままで」
「……は、はい」
結月はうつむきがちに答えながらも、そっと握った手に力を込めた。
小さく震える指先を、迅一郎は受け止める。
そのやり取りを、あかりは嬉しそうに見上げていた。
おばけ屋敷の入り口をくぐると、薄暗い通路に冷たい空気が流れ込んできた。
あかりは胸を張り、一行の先頭に立つ。
「あかりは おばけ、ぜーんぜんこわくないよ!」
「す、すごいんだね、あかりちゃん……」
あかりは小さな足で、勇ましく奥へと進む。
その背を追いながら、結月は怯えたように迅一郎のそばを離れず、一歩ごとに肩をすくめていた。
そんな結月ん様子に、迅一郎は思わず苦笑する。
「意外だったよ。君がこんなに幽霊が苦手なんて」
「うう……すいません」
「謝ることじゃないさ。それにしても、よく恐山ダンジョンでは平気だったね。子供向けのお化け屋敷よりも、よっぽど恐ろしい場所だったと思うが……」
「だってダンジョンに出るのは所詮モンスターですから。おばけじゃありません! でもお化け屋敷に出るのは、本物のおばけなんですよ!」
「本物のおばけって……く、くくく……」
「笑わないでくださいよ……」
いつもの冷静沈着な彼女からは想像もつかない反応に、迅一郎は思わず口元を緩めた。
しばらく暗闇の中を進むと、通路の先に曲がり角が現れた。
曲がり角に足を踏み入れた瞬間——壁の影から突然、白い手が突き出てきた。
「わっ!」
「きゃあっ!?」
あかりが驚いて迅一郎に飛びつく。
同時に、結月も悲鳴を上げ、反射的に彼の腕をつかんだ。
「……ははは」
両側から抱きつかれた迅一郎は、身動きが取れずに立ち尽くし、困ったように笑うしかなかった。
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