同じ匂いにはならない

石田空

香水瓶が重たくて

「どこのブランドの香水使ってるんですか?」


 いつも仕事でやってくる営業の人。通り過ぎるたびに、スパイシーで華やかな匂いがする。その匂いにうっとりしていたら、その人に名前を覚えられてしまったのだ。


「立川さんも香水使うんですか?」

「……受付ですと、いろんな方がおられますから、迷惑にならない程度に使っています」


 実際に受付は業務上本当にいろんな人を案内する。企業訪問に来た学生、一緒に仕事に来た同業者、取材に来たマスメディア……。

 その人々をそれぞれの場所に案内すべく、制汗剤で汗を塞き止めたあと、石鹸の匂いに限りなく近いコロンを使っていた。スズランの匂いを元に調香した結果、ほとんど市販の牛乳石鹸と変わらない匂いになってしまったそれは、多分香水に興味がなかったらわからないものだろう。

 営業でやってくる渡部さんは、それに「ハハハ」と笑った。

 軽くスマホをタップすると、メーカーサイトを教えてくれた。


「ここの六番」

「はあ……ありがとうございます。わざわざ」

「うん」


 そこは男性用オーデコロンの店だった。私は帰り、その店に寄ることにした。


****


 男性用オーデコロンの店は、仕事のために邪魔にならない程度に香水を求めに来た人に加え、家族や伴侶、パートナーのために買いに来たらしい女性たちで溢れていた。私は教えてもらった番号を探す。


「六番……六番……あった」


 試し用のボトルからちょこっと匂いを手首の裏に付けさせてもらい、その匂いを嗅ぐ。


「……あれ?」


 どうも同じ匂いにはならなかった。

 からかわれたんだろうか。私はドキドキしながら、その香水を買った。安くない値段だったけれど、気になってしまったのだ。

 家に帰り、香水に使われているものを確認する。

 トップノートはミント、スペアミント、レモングラス。ミドルはゼラニウムにグリーンノート。ラストはサンダルウッドにアンバーウッド……。スパイシーに感じた匂いは明らかにこれなのに、何度私の手首に付けても、同じ匂いにはならなかった。

 清涼感があって、優しくて、ほのかに残るスパイシーな香り。なのに、彼の匂いにならない。

 何度やっても同じ匂いにならないことに、だんだん気恥ずかしくなってきた。

 やっていることがストーカーじみている。それか行き過ぎた推し活だ。最近はアイドルやアーティストが調香した香水がメーカーから販売されているらしいけれど、本人に使っている香水聞いて買いに行くとか、厚かましいにも程があるし、同じ匂いにならないと落ち込む自分もどうかしている。


「……やめよ。なんだかすっごく恥ずかしい」


 でも香水はまだまだ余裕があるし、紙に吸わせて捨ててしまうのも値段を思うとやってられない。結局私は、香水瓶を窓辺に飾ることしかできなかったのだ。

 男物の香水を飾っている私には、空しさしか残っていない。


****


 次の日、渡部さんに出会った。


「おや、こんにちは」

「こんにちは……」


 香水買ったんですよ。でも同じ匂いにはならなかったんですよ。そう言いたかったものの、言葉にならなかった。

 渡部さんは「おや?」と私の服を見ていた。


「今日寒いですか?」

「私冷え性なんで……今日は冷房がきつめなので」


 私は薄いカーディガンを羽織って仕事をしていた。一方外から来たばかりの渡部さんは、ジャケットを脱いでいた。そして「少し手を触っても大丈夫ですか?」と尋ねられた。


「え、ええっと……どうしてですか?」

「いえ。今一瞬爪先が青かったんで心配になったんです」

「あ……」


 今日は爪を塗っていなかった。いつもは目立たない程度に透明のマニキュアを塗っているのに。おかげで血色の悪さが悪目立ちしていた。


「すみません不愉快にさせてしまって」

「いえ。むしろ心配なんですが……冷たっ」


 私の末端冷え性のせいで、渡部さんはびっくりしたように顔をしかめた。一方私は、渡部さんの子供体温に驚いて目を見開いた。


「……手、あったかいですね?」

「そうですねえ。ああ、そういえば。前に伺った香水なんですけど。あれ、体温で匂いが変わるんですよ」

「あれ?」


 そういえば。渡部さんは今日もあの素敵な匂いを纏わせていた。

 渡部さんは困ったように続けた。


「ですから、これだけ体温が違ったら匂いが変わるかもしれません。すみません」

「あ、あの。私が冷え性だとどうして気付いて……」

「前、たまたま受付内にあったペットボトル見たら、もうだいぶ温かくなったのに、ホット用のペットボトルを用意してたので」

「あ……」

「あとちらりと見えた椅子。膝掛けがあったので。春先でこれだと、冬場は相当大変だったんだなあと」


 そこまで見られてたなんてと、急激に恥ずかしくなった。


「すみませ……」

「いえ。いえ……でも低体温には低体温に優しい匂いがありますから。もし香水が欲しいんでしたら他にも店紹介しますよ?」


 そう言われて、私は「じゃあ店の名前を……」と言うと、渡部さんに頭を下げられた。


「いえ……直接試しに行こうかと」


 これは、ナンパでは?

 そう気付いたものの、私はすぐさま「いつ行きましょうか?」と尋ねていた。

 現金にも程がある。


<了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

同じ匂いにはならない 石田空 @soraisida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画