剣術名家の五男は魔法を極めたい

ぜあゆし

第1話 追放

 この大陸で剣を語るなら、誰もがまずアルヴァーナ家の名を挙げるだろう。

 剣聖を五人輩出し、五百年の歴史を持つ名門。

 大陸一の名家として知られる、誇り高き一族。


『剣こそが至高。魔法は怠惰なる者の逃げ道』

『剣は血を磨き、血は剣を継ぐ』

『剣なき者は誇りを失い、誇りなき者は死と同義』


 それがアルヴァーナ家、五百年続く血の掟だった。


 だが、そんな名家の五男として生まれた俺、レオン・アルヴァーナは物心ついた頃から魔法が好きだった。


 炎が花のように咲き、風が言葉のように囁く。

 幼い頃に一度だけ見た旅の魔法使いの姿が、ずっと脳裏から離れなかった。

 けれど、それは家の中では絶対に口にしてはいけない願いだった。

 俺は剣士の家に生まれ、剣士として死ぬことを宿命づけられた存在。

 それなのに、剣を持つたびに心が冷めていく。

 どれだけ稽古を重ねても、俺の心は剣を拒んでいた。



「また、レオン様が稽古を抜け出したそうです」

「まったく……剣士の家に生まれておきながら、木剣ひとつまともに振れぬとは」

「アルヴァーナ家の恥さらしですわ」


 廊下の影でメイドや執事たちの囁き声が聞こえる。

 耳を塞いでも、届く。

 俺が歩けば皆が距離を取り、視線を逸らす。


 ――出来損ない。


 そう呼ばれるのにも慣れた。

 今日も、稽古場に出るのが嫌で、庭の片隅に腰を下ろす。

 空を見上げると、陽光が剣士像の刃に反射して眩しい。

 俺の家は世界でいちばん剣を愛している。

 けれど、俺はそんな剣が嫌いだ。


 (だって、面白くないんだ)

 (鉄の塊を振るだけで、誇りだの勝ち負けだの言われても何も楽しくない)


 誰にも言えない思いを胸に抱いたまま、俺は今日も木剣を手に取らない。


「レオン」


 低く響く声に振り返る。

 父でありアルヴァーナ家当主、アーロン・アルヴァーナ。

 大陸最強の剣士と呼ばれ、数々の戦で名を轟かせた男。


「……稽古の時間だ。なぜ来ぬ」

「少し……体調が」

「嘘をつくな」


 その声は静かで、冷たい。

 鍛え上げられた体から放たれる威圧感が、まるで刃のように空気を裂く。


「お前は剣を恐れている。剣を恐れる者に、我が家の名を名乗る資格はない」


 俺は黙って俯いた。

 いつか理解してくれると思っていた。

 魔法という新しい道を追うことを、笑って許してくれる日が来るかもとほんの少しだけ、期待していた。

 けれど、その希望は当の昔に粉々に砕かれていた。



 その日の夜、屋敷に残っている七男であり末っ子のカインが俺の部屋に来た。


「兄上、父上が言ってたよ。お前に失望したって」

「そうか」

「ねえ、なんで稽古しないの? 僕、兄上の剣を見たことないんだけど」

「見ても面白くないよ」


 笑ってごまかす俺に、カインは首を傾げた。

 五歳下の十一歳のカインは、剣を握ることを誇りに思っている。

 純粋でまっすぐで、だからこそ残酷だ。

 弟に限らず、この一家の者は剣以外を知らない。

 剣以外を知ってはならず、一生剣を握ってなければならない。

 それ以外の生き方が許されないのだ。


「じゃあ、僕と勝負してよ。僕が勝ったら、兄上も稽古真面目にやるって約束」


 正直俺は断りたかった。

 けど、ここで断ったところで一生カインは声をかけてくるだろう。

 それであればさっさと戦って弟を納得させた方が楽かもしれない。


 「分かった。一本だけだからな」



 中庭に出ると、夜風が冷たかった。

 屋敷の使用人たちが集まり、俺たちの模擬戦を見守っている。

 誰もが俺に期待していない。

 五つも歳が下のカインに俺が負けることを皆が望んでいるのだろう。


「始めっ!」


 カインが構えを取る。

 小柄だが、筋肉の動きは正確で剣筋は父譲り。

 その刃が、音もなく俺の喉元を狙う。


 ――速い。


 瞬間、自分の体が勝手に動いた。

 一歩だけ強く踏み込み、木剣を軽く振る。


 ドン、と音が鳴り、カインの剣が宙に舞った。


「え?」


 次の瞬間には、カインが地面に仰向けに倒れていた。

 静まり返る中、俺は剣を下ろす。


「……ごめんな、カイン。こんなお兄ちゃんで」


 周囲がざわついた。

 驚きではない。呆れだ。


「どうしてそれほどの動きができて、稽古を怠るんだ」

「才能を腐らせるとは、このことですな」

「努力すればマルクス様にも刃が届いたかもしれないのに」


 剣が嫌いだから。

 俺は答えは何年も前から決まっている。



 その後、皆が寝静まった頃に俺は稽古場の裏にある納屋に忍び込み、埃をかぶった魔術書を取り出す。

 昔、俺が幼い頃に、とある魔術師が置いていったものだ。

 俺はこうして夜中になるとそれを一人でこっそり読ん込んでいる。

 ページをめくると、そこには見たこともない文字と陣が描かれていた。

 読み解けないが、何百、何千と同じ一冊を読み込んだおかげか、なぜか感覚で分かる。

 指先に意識を集中させると、淡い炎がポッと灯る。


「おぉ……」


 たった小さな炎がついただけ。

 たったそれだけで、胸が熱くなる。


「やっぱり魔法は綺麗だなぁ」


 誰にも褒められない。

 けれど、この光だけが俺の生きている証のように思えた。



 それから数日後、事件は起きた。


「レオン」


 稽古場に呼び出された俺の前に、父と兄たちが並んでいた。

 兄たちが屋敷に帰ってきているのは珍しい。

 長兄のマルクスは二十五歳で剣聖に最も近い男。

 次兄と三兄はすでに国の騎士団に仕え、四兄は他家に婿入りして剣術指南役を務めている。 

 そんな兄たちは既に屋敷を出ているため、帰ってくるのは稀だった。

 兄たちが一気に帰ってくるほどの何かがあったんだろうか。

 そんなことを思っていると父上は一つの書物を机の上に出した。


「これはなんだ」


 それは俺が隠していた魔導書だった。

 父上の低く響く声に、空気が凍る。


「……本です」

「魔術書だ。剣士の家で魔法を学ぶとは、禁忌と知らぬか」


 父上の視線を見るに俺がこの本を所持しており、夜中に読み込んでいたのは知っているのだろう。

 兄たちまで呼んでいるということは確信があるはず。

 どう誤魔化したところで流れは変わらないと考え、俺は正直に答えた。


「俺は……魔法が好きなんです」


 一瞬の沈黙。

 次に響いたのは、乾いた音だった。

 父の手が俺の頬を打つ。


「好きか嫌いかではない。剣士の家に生まれた以上、剣と共にあれ。それが我らの誇りだ」


 ひりひりと頬が痛む。

 けどそんな痛み、これまで耐えてきた痛みに比べればどうってことない。

 俺はこの瞬間、初めて心の奥底で抑えていた感情をあらわにする。 


「誇り誇りって、なんなんだよ!」


 その俺の叫び声に父の目が驚きに揺れる。

 けれど、俺は止まらなかった。


「俺は剣なんて嫌いだ! 血だの名誉だのそんな古臭いもののために生きたくない!」


 兄たちが息を呑む。

 屋敷の空気が、一瞬で変わった。


「俺は魔法が好きだ! 見たこともない景色を生み出せる。火を灯し、風を操り、世界を変えられる、そんな力に憧れたんだ!」

「なにを言っている!」


 俺の言葉を遮るように父の怒声が轟いた。

 壁に飾られた剣がびり、と震えるほどの怒気だった。


「魔法だと? そんな軟弱な道を口にするとは、アルヴァーナ家の恥だ!」

「恥で結構だ! 俺は兄さんたちみたいに、剣だけの決まった道を歩くことは出来ない!」


 兄たちの顔が険しく歪む。

 長男は静かに何を考えているか分からない表情で俺を見る。

 次男は俺に興味すらないようで別の場所を見ていた。

 そして三男と四男は吐き捨てるように言った。


「……やっぱり、お前は出来損ないだな」

「剣を捨てた瞬間、俺たちとは無関係だ。二度とアルヴァーナを名乗るな」


 父は一歩、俺に近づき冷たく告げる。


「今この瞬間をもってレオン、お前をアルヴァーナ家から追放する。我が家に魔法を語る愚か者は不要だ」


 背筋が凍るほどの沈黙のあと、俺は笑った。


「……そうか、なら俺はこの世界で一番、魔法を極めてやる」

「「「――ッ!?」」」

 

 父や兄たちの表情が驚きに染まる。

 本気で俺が追放を受け入れるとは思っていなかったのだろう。

 けれど俺は幼少期から既に覚悟を決めていた。

 俺は机の上に置かれた魔術書を奪い取る。


「お前らが間違ってるって証明できるぐらい強い魔術師になってやるよ!」


 俺はそう言い捨てて当主の部屋を後にした。

 背後から父上の怒号や兄たちの罵倒が聞こえるが知ったことではない。

 俺はそのまま荷物をまとめて屋敷を出た。


 持ち出せたのは魔術書と自分が愛用していた短剣一本、そして非常食と少しずつ貯めていたお小遣いぐらい。

 門を出るとき、振り返った屋敷の窓にはまだ明かりが灯っていた。

 その灯は、もう二度と俺を照らさない。


 それでも、胸の奥は不思議と軽かった。


「……これで、やっと自由だ」


 空を見上げる。

 月が白く輝き、風が頬を撫でる。

 剣を捨てた出来損ないの五男――レオン・アルヴァーナ。

 魔法の道を歩む最初の夜だった。


「よし。これから自由に魔法を極めるぞ!」


 その声は夜風に溶け、星々が一瞬だけ光を強めた。


◆◆◆

あとがき

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