文化財:城機兵ヤマトロス

課長

第1話 城が立つ

 令和十八年十月三日、奈良県鷺ノ郡にある国宝、鷺ノ丸城が、午後十時三十四分ごろ、立ち上がったという内容の動画がアップされた。


 防衛省の発表によると、地震および地盤変動による一時的な錯覚の可能性が高く、城そのものが移動した形跡は確認されていないという。しかし、現地で撮影されたという当該映像には、石垣が分割して伸長し、天守が雲を貫く様子が明瞭に映っていた。


 映像配信サイトに投稿された当該映像は、同日三時にはすべて削除された。投稿者のアカウントは凍結され、本人の所在は確認されていない。


 鷺ノ郡役場は「特に異常はない」とコメントを発表した。しかしながら、町内では家屋の半壊および地割れが報告されている。また、城の立ち上がり前に、上空にて発光体が観測されたとの証言もある。


 なお、気象庁および防衛省は「そのような現象は観測されていない」としており、発光体の存在を否定している。


 以上、事実関係は不明。


(鷺ノ郡通信 十月三日付)


****


 文化庁史跡保護課の中堅職員、鷹野スバルは、新聞を三度読み返しても理解できなかった。

 いや、文字の意味はわかる。「城が立った」と書いてある。だが問題は、それがどういう状態を指すのか、まるでイメージできない点であった。


 トーストをかじり、目玉焼きに胡椒を振る。そのどちらの動作も、記事を読んでいる間じゅう一度も止まらなかった。目玉焼きがやたら塩っぱい。


 昨日、午後五時まで現場にいたのだ。保存修復工事の主任として、あの石垣の一つ一つを確認してきた。だからこそ、あれが立つわけがない。


 「……立ち上がったって、なにがどう立つのさ。あほくさ。」


 独り言を呟いても、返事はない。部屋には、魚の骨のような静けさが漂っていた。


 テレビをつけると、キャスターが妙に明るい声で言った。


 「えー、続いてのニュースです。ネット上で拡散していた城が立ち上がったというデマ動画についてですが、防衛省によりますと、そのような現象は観測されておりませんとのことです。」


 画面の中では、昨日と同じ天気図。昨日と同じ笑顔。「秋晴れが続くでしょう。」安っぽくて嘘くさい笑顔だ。


 スバルはスマホを手に取り、SNSの検索窓に鷺ノ丸城と入力した。


 一致する結果は見つかりませんでした。


 「は?」


 ページを更新する。それでも何も出てこない。


 その瞬間、部屋の電灯が一度だけ明滅した。外ではカラスが、妙に低い声で鳴いた。


 スバルは新聞をくしゃりと握った。朝日が射し込む。世界は、今日も平穏に見えた。


 だが、地平線の向こうで、何かが、確かに動いている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る