第32話 教え子に懐かれるオッサン

 俺がボルトを殴り飛ばした直後、隠れてこの戦いを見ていたフロスティナが、物陰から飛び出してきた。


「お姉様ッ!」


「わっ! ティナ!? 何でこんなところに」


「あっ、……う、……、……!」


 セイラがポカンとして聞くのに、フロスティナは固まって答えられなかった。


 セイラの方では勝手に許して水に流してしまった過去も、フロスティナはまだそうできないままでいるのだろう。


 人を許す、許されるというのは、それだけ難しいのだ。本人から許されていても、自分が自分を許していなければ意味がない。


 俺は答えられないフロスティナに変わって、セイラに説明する。


「フロスティナが、教えてくれたんだ。セイラが攫われたって。だから、すぐ助けに来られた」


「……そうだったの?」


 俺はそっと、フロスティナの背中を押す。フロスティナは俺に怯えた目を向け、それからセイラの方を見た。


「わ、わたっ、ワタシ……!」


 フロスティナは、ポロポロと涙をこぼし始める。


「こ、怖く、って。お、お姉様は、ゆる、許してくれた、のに。わ、ワタシ、お姉様にどう話しかけていいか、全然分から、なくて。な、なのにボルトが、お姉様を、攫、って」


 えぐえぐとしゃくりあげながら、フロスティナは両腕で涙を拭う。


「ワタシ、また、お姉様とちゃんと話たかった、のに……! 仲直り、して、昔みたいに、楽しくおしゃべり出来、たらって。でも、あのままだと、できなくなっちゃう、って……!」


「……そっか」


 フロスティナの話を聞いて、肩の力を抜くように、セイラは微笑んだ。


「先生があたしを助けてくれたのと同じで、ティナも勇気を振り絞ってくれたのね。ありがとう、ティナ」


「お、お姉、様……!」


「ほら、そんなところで突っ立ってないで。おいで?」


 セイラが両手を広げると、フロスティナは躊躇いがちに近づき、セイラを抱きしめた。


「―――良かった。お姉様が、ボルトにひどい目に遭わされなくて、本当に良かったよぉ……!」


 ティナはそう言って、わんわんと声を上げて泣き始めた。セイラは、その頭を「はいはい、よしよし」と撫でている。


 そうしながら、セイラは俺を見た。


「先生も、ありがと。助けられるどころか、妹と仲直りまでさせてもらっちゃった」


「アフターケアも中々でしょ。これでも十年以上、先生をやってるからね」


「うふふっ。得意になってる先生なんて珍しい。いつもどこか自信なさげなのに」


「あはは……。性分でね」


 過去の失敗は、ずっと俺の胸の奥に刻まれている。それらが拭い去られる日は、きっと訪れない。


 でも、と俺はそこに伸びているボルトを見た。


 間違い続けたまま大人になり、そのまま最悪の結果に辿り着いてしまう。そういうことは、そう珍しくない。


 ボルトは、その一例に過ぎない。兄だの何だのと言っていたが……恐らくボルトにも、セイラとフロスティナのような、複雑な兄弟関係があったのだ。


 だが、セイラとフロスティナは、きっとこうならない。セイラは成長したし、フロスティナも「セイラに許されること」を自分に許すことができた。


 そして、曲がりなりにもこういう結末に落ち着けるための一助となれたのなら、俺も少しは、自信をもっても……なんて。


「そんな易々とは、俺は俺を認められないけれど」


 少なくとも、今日は夢見の悪い夜にはならないだろう。


 もうオッサンの俺には、それで十分なのだった。











 その日の夜、セイラは寝付くことができなかった。


「う、うぅ、うぅぅううう……!」


 やっと仲直りできたフロスティナに招かれた、学園通学用の邸宅。その客室で布団を被りながら、セイラは身もだえしていた。


 思い出すのは、クローリーのことばかり。


「うぅぅうううう……!」


 自分がちゃんと魔法を使えるようになるまで、教え導いてくれたクローリー。


 クラス対抗戦で負けないように、お守りを作って渡してくれたクローリー。


 ピンチになってもセイラを信じて、見守ってくれたクローリー。


 そして……ボルトに攫われ、命の危機にあったセイラを助け出してくれた、クローリー。


「うぅぅうううううう、うぅぅううううううう……!」


 セイラは、真っ赤な顔でベッドの上を転がった。


 最初は、情けない笑みを浮かべる中年だと思っていた。


 実力を示されてからも、しばらくは心を開かなかった。でも優しい魔法だってあると教えられて、信じてみようと思った。


 教えられながら毎日接して、クローリーが本当に善人なのだと少しずつ理解した。とにかく献身的で、生徒思いで、優しい人。


 だから、セイラも信頼できた。大人で唯一、セイラがちょっと好きな人。何だか二人目の父のように、いつしか思い始めていた。


 でも、今は違う。


「うぅ……!」


 助け出された時。ボルトに手も足も出させずに無力化した時。セイラは、気付いてしまったのだ。


 圧倒的な魔法使い。次元の違う大魔導士。そんな人が、セイラを全身全霊で守ってくれる。


 そんな姿に、セイラは大きな年の差の恋をしてしまったのだと。


「……もー……! もぉおおおお……!」


 それを自覚してから、セイラにはもう、クローリーがずっと輝いて見えていた。


 あの後ボルト引き渡しとか、特待生クラスのみんなと合流とか、警吏に連絡とか、色々あったように思うのだが、全部セイラの記憶に残っていない。


 覚えているのは、そういった諸々をスマートに済ませるクローリーが、格好良かったことだけ。


「クローリー先生……♡」


 目を閉じれば、浮かぶのはクローリーのことばかり。


 セイラの、眠れない夜は更けていく。

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