第3話 ご飯よりもお風呂よりもあたしでしゅよね♡

 高校1年。

 腐れ縁幼馴染の白水しらみずいのり。


 茶色がかった髪を2つに結んだ、クリッとした瞳の童顔少女は、まるでどこかの姫君のように、スカイブルーのエプロンドレスの裾を摘まみ、俺の城に立っていた。


「……なんでいのりがここにいる」

「ご飯できてましゅよ♡ もちろんお皿も洗ってま~しゅ」

「それはありがと──じゃなくて! そもそもどうやって中に」

「あ、ご飯よりもお風呂が先でしゅか?」


 残念ながら、まともに会話する気はないらしい。

 まじでどうやって入ったんだ……? 俺は一人暮らしだし、合鍵も実家にしか置いてない。まさかピッキングしたわけじゃあるまいし。


「それとも~。別の欲求が溜まってましゅ?」


 いのりが俺の下半身に視線を落とす。

 こいつ……。


「別に何も溜まってねえよ」

「え~。ほんとでしゅか~」


 ……そういう気持ちがまったくない、と言えば嘘になる。エプロンドレスは丈が短く、太ももの大半が露わになっており、その白く滑らかな素肌には、どうしても目が吸い寄せられてしまう。

 でもそれより──その喋り方、どうにかなりません? 語尾に”しゅ”は小学1年生でも許されないと思うんだ。いくらいのりが童顔と言えども。


「それにしても。一人暮らしでも相変わらずのオタク部屋でしゅね~」


 勝手にいのりは部屋のドアを開けると、壁に掛けられたタペストリーをじろじろ見始めた。正月の一番くじでラストワン賞まで粘ったやつだ。


「別にいいだろ。あとそのあだ名やめろ」

「え~、なんででしゅか? オタクだからたっくん。あたしだけの呼び名でしゅよ?」

「そんな特別はいらない」


 天宮あまみや星波せなという名前に”た”はないが、いのりはオタクな俺を昔からたっくんと呼ぶ。それだけでなく、中学で俺は必死にオタクを隠してたのに、いのりが入学した途端にオタバレして──とにかく、彼女と絡んで碌なことはなかった。


「それにしても。な~んでこの女の子たちは、み~んな下着みたいなお洋服なんでしゅか?」

「ぬぐっ」

「しかも自分で着たくせに、わざとらしく顔を赤らめてるし。痴女なんでしゅかね?」

「冷静に分析しないで……」


 正論が常に正しさであるとは限らない。偽りを信じる正しさだってある。

 だから安易な正論で俺の心を殺すのはやめて欲しい。俺の嫁は痴女じゃないもん。


「……でもたっくんは、こういう女の子が好きなのか」

「いや、まあ。うん」


 俺の嫁をこういうで括られるのは癪だが、この衣装を迎え入れるのにお年玉の8割を費やしたのは事実なので、否定はできない。


「ふーん」

「な、なんだよ」

「それならあたしが一肌脱いであげましゅ♡」

「えっ?」


 脱ぐってまさか……いやいやいや。これはただの慣用句で、本当に下着になるわけでは──


「お風呂でもご飯でもなくあたしでしゅよね?」

「い、いや普通にご飯で!」


 こいつならまじで脱ぎかねない。



 リビングのテーブルには、顔ほどの大きさの巨大ハンバーグが乗せられていた。しかもケチャップで大きなハートが描かれている。


「さすがにでかすぎないか……?」


 怖くてハートに突っ込むことはできなかった。

 見るに冷蔵庫にある特大のひき肉をすべて使ったらしい。一応3日分のつもりで買ったんだけど……この大きさのハンバーグ、よくうちのフライパンで作れたな。


「たっくんは育ちざかりでしゅからね~。いっぱい食べて大きくなってくだしゃい!」

「いや。俺の成長は中学で止まってる」


 身長169.3cm。自己紹介ではいつも170cmと言ってるけど、サバ読みがバレないかいつもひやひやしてる。誰か0.7cm分けて欲しい。


「そんなこと知ってましゅよ♡ 幼稚園の時からたっくんを見てるんでしゅからね~」

「なら言うなよ」

「あ。ついでに残ったハンバーグでお弁当も作りました! 冷蔵庫に入れたので~、明日持っていってくだしゃ~い」

「それは……ちょっとありがたいかも」


 最近は自炊の気力が沸かなくて、お昼は菓子パンで済ませてたもんな。多少申し訳なさはあるけど、お弁当は素直に嬉しい。


「当然でしゅよ~。あたしとたっくん、最近噂になってましゅからね~」

「ゲホッゲホッ! ……ま、まじで?」

「まじまじのまじで~しゅ♡ 今日友だちにも『朝一緒にいたの彼氏?』って聞かれちゃいました~」


 誤解しているのは深冬だけじゃなかったのか……これは面倒なことになってしまった。


「あれ~、顔が赤くないでしゅか?」

「いやそんなこと」

「もしかして期待してましゅ? あたしと付き合いたいでしゅ???」


 いのりはニヤニヤと煽るように俺の顔を覗き込む。

 ……言うまでもなく。俺は二次元にしか興味がないし、いのりと付き合いたい気持ちもないし、面倒ごとも避けたい。

 だけどそれ以上に。


「──そもそも、いのりは男嫌いだろ」

「……はぁ」


 俺の言葉に、いのりは深くため息をついた。

 そして近くの椅子にドンッと腰を降ろして足を組む。


「当たり前じゃないですか。男なんてクズしかいないんですから」


 声が一オクターブ低くなり、謎の語尾が飛んでいく。


「そんなことはないだろ」

「そんなことはありますね。あんな恥ずかしいものを股間にぶらぶらさせた種族が、まともなわけがない」

「いや言い方……俺も一応男なんだけど」

「たっくんは別でしゅよ♡」

「はぁ」


 この極度の男嫌いこそ、いのりの本性だ。しかも普段は偏った思想を周到に隠しているため、男女問わず友だちが多いのが余計にたちが悪い。

 おかげで勘違いした男がよくいのりに告白するのだが、その度に彼女は豹変し、「性欲に支配された猿め」「お前と交際するメリットが見当たらない」「せめて私を養えるようになってから物を言え」と罵るのだ。そのせいで恋愛がトラウマになった男も数知れず……。


 変に期待を持たせるよりはましだが、それなら異性への安易なボディータッチもやめて欲しい。だってすぐ手とか髪とか触るんだもん。純真無垢な男子が好きになっても責められない。


「あたし、たっくんになら全部あげちゃいましゅ」

「……はい?」

「たっくんが望むなら、キスも……その先だって♡」


 柄にもなく伏し目がちに顔を赤らめるいのり。そしてゆっくり肩紐を解くと、エプロンドレスは足元にバサリと落ちて──


「ダメダメダメダメ!!!」


 俺は瞬時に後ろを向いた。

 視界の端に映ったいのりのスポブラが、頭にこびりついて離れない。まじで何を考えてるの……。


「(たっくんはこういう女の子が好きでしゅもんね♡)」

「ち、違う」


 いのりはバックハグをしながら俺に囁く。

 胸が控えめだからこそ、密着感がすごい。いのりの鼓動を直に感じる。


「(今度こそ。ご飯よりもお風呂よりもあたしでしゅよね♡)」

「ふ、ふふ、普通にお風呂で……お願いします」

「ぶ~。つまんないの~」


 いのりの身体が離れるが、俺の乱れた呼吸は戻らない。

 なんでホイホイみんな脱いだり抱いたりしちゃうわけ……?


「……大人しくあたしに落ちればいいのに」

「な、何か言った?」

「なんでもないで~しゅ。あ、服着たのでもうこっち見ていいでしゅよ」


 恐る恐る前を向くと、いのりは一応エプロンドレスを着直していた。

 ……まあ。これはこれで露出が多いんだけどね。スカートの丈は言わずもがな、脇とか肩もノーガードだし。でも下着よりはましだ。


「ま、今日のところは大人しく帰りましゅ」

「その格好で?」

「はい。家は近いので大丈夫で~しゅ」


 いくら近くても、そのコスプレみたいな服で帰るのは……。

 それに外はもう暗いし、女性を一人で返すのは心配だ。いのりはいろいろ危なっかしいとこもあるし。


「本当に大丈夫か?」

「も~、心配しすぎでしゅよ。

「でも──え? 隣?」

「それじゃたっくん。いい夢を見てくだしゃい♡」


 そうして玄関を出たいのりは、隣の部屋へと消えていったのだった。

 ──まじ?

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