神の子よ、我が蛮行を許し給え

@Akatsuki971

第1話

――気がつけば、そこは駅の中だった。


灰色の床、人気のない改札。時計の針は動いているのに、誰一人としていない。


(……ここで、何をしていたんだ?)


頭を探っても答えは出てこない。放課後どこを歩き、誰と話し、どうやってここに来たのか。いや、それ以前の記憶すら霞がかっている。思い出せるのは自分の名前――久遠 明(くおん あきら)、それだけだ。


制服のポケットに手を入れてみても、生徒手帳も財布もない。見慣れたようで見知らぬ空間に取り残された孤独感が胸を締めつけた。


おそるおそる改札を抜け、駅前の広場に足を踏み出した瞬間――空気が張り詰めた。


視線の先で、黒い樹木が暴れていた。


幹の形は歪み、枝は鎌のように鋭く伸び、地面を薙ぎ払う。木の皮の隙間からどす黒い靄が噴き出し、それに触れた街路樹が腐り落ちていく。


「退けぇッ!」


声が響き、武器を構えた人影が躍り出た。


長大なハルバードを振りかざす男――逃途 朔夜。瘴気派(オブスキュラ)として、彼は黒く渦巻く瘴気を刃に纏いながら、低く唱えた。


「マラキア、タル・ノクス、我が敵を滅せよ。混沌に帰れ、闇の支配者よ!」


もう一人は、棒を操り、枝を受け流しながら間合いを詰める――杭全 破月。同じく瘴気派で、呪文は聖書文を逆にした文言を低く唱え、枝を弾き返す。


そして式神を放ち、仲間を守る籠目 命護。陰陽師としての祝詞を静かに唱える。


「天御柱よ、八百万の神々の御前に祓え、禍を鎮めよ」


式神が地を這い、枝の進撃を押し返す。


後方には二人。祈りを長く唱え、奇跡を具現化する深雹 戻花と、冷静な眼差しで仲間を指揮するジュード。彼らはルミナ(聖典派)で、十字架を掲げ、ラテン語の祈祷文を日本語訳で唱える。


「主よ、御力をもって悪を鎮め給え。汝の御名にて裁きを下せ!」


それは戦闘――。人間ではない黒い獣と、祓魔師たちの死闘。


明は声も出せず、ただ立ち尽くす。



「はぁぁっ!」


朔夜が大地を蹴る。ハルバードの刃が枝を裂き、黒い液体が飛び散った。枝は無数に再生しながら襲い掛かるが、命護の式神が盾となって受け止める。


破月の棒術が次々と枝を弾き、僅かな隙を作る。


「今だ、朔夜ッ!」

「分かってるッ!」


刃が幹に深々と突き刺さる。黒い靄が爆ぜ、断末魔のような咆哮が響いた。


数瞬の後、木型の怪物はひしゃげ、萎れるように倒れた。


靄が晴れると――そこには一人の男が倒れていた。スーツ姿の、普通の中年男性。気を失っているが呼吸はある。


(人間……? あれが……そうだったのか……?)


明は足がすくむ。



しかし安堵の暇はなかった。


「……ッ、上だ!」


破月の声に全員が顔を上げる。


暗い空を切り裂いて影が舞い降りてきた。鳥のような姿。しかし翼は異様に大きく、羽毛の間からは黒い靄が滴り落ちている。


鉤爪が明の腕を掴み、身体が宙に引き上げられる。


「う、わあああッ!」


頭が真っ白になった。記憶も、状況も、何も分からない。ただ恐怖だけが胸を満たす。



「逃がすなッ!」


破月が棒を投げ、命護の式神が結界符を展開し、空中の鳥型アペティアの動きを封じる。朔夜のハルバードが突き刺さり、黒い靄が弾ける。


鳥型アペティアの体が弾け、明は空中に投げ出された。


結界の光が走り、明を優しく受け止める。


地面が迫る中、朔夜が駆け寄り、落下の衝撃を最小限に抑えた。


「民間人保護、完了だ」



鳥型アペティアもまた崩れ去り、その中から少女の姿が現れた。制服姿のまま、意識を失って倒れている。


祓魔師たちは静かに見守る。


「救助完了だ」


久遠は震えながらその場に立ち尽くす。



「おい、君。立てるか?」


朔夜が支える。

「すまない、怖い思いをさせたな。だがもう大丈夫だ」


「……あれは、何なんですか」

「説明は後だ。まずは支部に連れていく」


こうして久遠 明は、日本支部へと連れて行かれることになった。自分の記憶も、そしてこの世界の真実も知らぬままに――。

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