一夜の星空

柿市杮

一夜の星空

 男は懐中電灯の電源を切り、草の生えた地面に寝転がった。そして光に慣れた目を闇へと慣らしながら、星空を見上げた。

 そこは通の中で「最高の星が見える」ことで有名なスポットだった。さらにこの日の天気は澄み切った快晴。新月なので星を邪魔する月の光も存在しない。そんな絶好の機会だったため、男の頭上にはまるで宝石を空に埋め込んだような星空が広がっていたのだが……


「違う、こうじゃない。俺が見た星空はもっと輝いていて……星たちが俺の目の前で煌めいているようだった」


 男は静かにため息をついた。男の住む土地から遠く離れたこの山にまで来ても、男が見たかったものは得られなかったのだ。


 男は、昔からある星空を探していた。

 それは、男が五歳ほどの子供だった頃の記憶だ。ある日、男は「最高の星空」を見た。二十数年も前のことになるので、その光景や状況をはっきりと覚えているわけではない。男が覚えているのはせいぜい、目を開けた瞬間に眼前に星空が広がった、という漠然とした体験ぐらいだった。だがそれを、その身が打ち震えるような感動をもう一度感じたくて、男はこうしてさまざまな星見スポットを渡り歩いていた。

 

 ◇◆◇


「これで十八スポット目……。クソ、季節が違うのか……?」


 男は下山している最中、車の中で悪態をついた。

 季節が問題だ、のように男は言っているが、実際のところはそうではない。男はぼんやりとした星空の中に、夏の大三角があったということをなんとなく覚えていた。だから男は夏になると様々なスポットに行くのだが、その行動は正しい。男が見た星空はまさに夏のものだった。

 それを心の中で確信しているからこそ、季節を言い訳にできない男はこうもいらつきを溜め込んでいる。


 男は一度落ち着こうと思い、道端に現れたコンビニに一度車を停めた。深夜のため店は空いていないが、駐車場は空いている。

 そして休憩のほかにもう一つ車を停めたことで、彼は電話をかけられるようになった。

 男は車から降り、友人に電話をかけた。健康な人間なら起きていてもなんらおかしくない時刻だが、友人はすぐに電話に出た。男が今日に星を見に行くこと、そして星を見おわったたびに男が電話をかけることを知っていたからだ。


『……すまん。言いづらいんだが、今回のもダメだった。お前が教えてくれたのに』

 

 男は申し訳なさそうに言った。実際、申し訳なかった。男がこれまでに行ってきたスポットの半数以上は、星マニアである友人の勧めによるものだった。


『んー、またか……。何度も聞いてるけど、場所とかもわからないんだろ?』


『……ああ』


 友人は電話の向こうでリアクションした。期待がはずれて、そして友人に申し訳なくなってやや暗めの男の声とは対照的に、友人の声は明るかった。


『まあまあ、元気出せよ。一つ可能性を潰せたとしたら十分成果だし。そういえば、流石に外国ってことはないよな? 実はヨットの上から見ましたなんて話だったら太刀打ちできないぜ』


『それはない』


 男は高校生になるまで一度も海外に行ったことがなかった。


『さいですか。……それじゃあ、また色々と候補を見繕ってくるから、気を落とさずにいてくれよ』


 それじゃ、と男は電話を切ろうとした。その時、友人の声が『通話終了』を押す指を遮った。


『それはそうとしてさ、いっそ親に聞いたらいいんじゃないの? 疎遠だとは聞いてるけどさ』


 男はうーん、と頭を捻った。そのアイデア自体は思いついたことはあった。だが男はここ十年弱、親とだいぶ疎遠な関係にあり、そもそもに十年以上前のことなんて覚えてないだろう、という考えも働き、結局連絡を取ることをやめている。


「親ってのは、子供以上に子供が子供だった時のことを覚えてるもんだぜ。絶対に聞いたほうがいい。じゃあ、またな」


 友人は電話を切った。男は悩みながら車を運転し下山した。


 ◇◆◇


 星を見た次の日の朝、男はまだ悩んでいた。そして働いている最中も、風呂に入っている時も、寝る直前までも。もちろん議題は「親に連絡を取るべきか否か」だ。

 今さら連絡をとったところでて……という考えが頭に何度も浮かんだ。だが最終的に男を突き動かしたのは「またあの光景を見たい」という二十年余り来の想いだった。


「……よし、かけるぞ」


 妙に緊張した心持ちで、男は『通話』のボタンを押した。


『母さん、おれおれ』


『……詐欺かい? 私はそんな古臭い手口に引っかかるほどバカじゃありませんけど?』


 明らかに警戒感を出している、男の母の声がした。


『いや違うって! 風邪も引いてないし、事故を起こして示談金を取られそうにもなってないし、そもそも番号変わってないから! 確認してくれよ!』


『やあねえ、声でわかるわよ。だいぶ久々の電話だから、ちょっとからかってやろうと思っただけ。まったく、正月にも顔を出さないんだから』


 それはごめんな、と男は謝った。


『それより本題を話すから。俺が五歳の頃、どこか旅行に行かなかったか? 夏の大三角、って言葉もつけて考えてくれると嬉しい』


 うーん、と考える声が電話の向こうから微かにした。


『それなら、東京に行った時じゃないかい? ああそうだ! あの時だよ!』


『東京?』


 男は聞き返した。星の話でまさかそんな都会が出てくるとは思ってもいなかったからだ。もしかしたら、東京の山で見たのだろうか?


『あの時はあんたも小さかったし、暗かったからね。すぐ寝ちゃったんだよ。まあその後起きて、その時ちょうど大三角の話をしてたんだ。あんたが五歳の時だったから多分その時だよ』


 男は歓喜した。大三角の記憶は正しかったし、星空は存在した。これで、またあの感動を体験できるのか、と思いガッツポーズまで決めた。


『それで、俺はどこでそれを見てたんだ?』


『いやあ、綺麗だったわよね。あのプラネタリウム。あんたまともに星も見たことがなかったから、起きた時とっても興奮してたわよ』


 男は即座に電話を切り、ほとんど無意識のままに電話を投げ捨てた。

 その目にはうっすら涙すら浮かんでいた。自分の愚かさに天を仰ぎたくなったが、星に顔向けできず、男はただ俯いた。

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一夜の星空 柿市杮 @kakiichi-kokera

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