1章「日常」

 その日、彼は市内の市立校である市立九華高等学校の入学式を終え、帰路についていた。


 道路沿いの街路樹の桜が花を咲かせ、時折吹くあたたかい風に花びらを散らせている。


 背中に背負った鞄には、新しい学校の資料やら教材やらが詰め込まれていて、そこそこに重い。


 これから通学路になるであろう道を覚えつつ歩いていると、前を歩いていた一番小柄な少年が口を開いた。


「な、このあとどうする?」


 赤茶色の頭を見下ろしながら黙っていると、隣を歩いていた黒髪の少年がそれに答える。


「とりあえず、おれは一旦帰りたいかな~」


 彼は家の事情から朝が早い事もあってか、若干の疲れを滲ませながらそう言った。


 すると、


「そのあとだよ!」


 すかさず赤茶色の少年が振り向きながら返す。


 「早い時間に終わったのだから遊びに行きたい」と言葉にしなくとも顔に書いてある。


 時刻は昼を少し回った頃といったところで、確かにこのあとの予定を、何もせずに過ごすのは惜しい。が、


「俺は寝るぞ」


 彼はそう言って、わしわしと赤茶色の頭を撫で回した。


「わー!やーめーろー‼」


 頭を撫でられた少年は、間髪入れずその手をつかむと、よくもやったなと言わんばかりに彼のみぞおちめがけてアッパーを繰り出す。


「ごふっ!」


 小柄な体格を活かした下方からの、手加減無しの鋭い拳がいい具合にみぞおちに入り、思わずその場でうずくまった。


 自分と同じ量の荷物を持っているとは考えられない身軽さだ。


「康樹、ちょっとは、加減、しろ」

「人が朝セットした髪をしゃわしゃにするお前が悪い!」


 げふんごふんとむせながら訴えるが、彼より頭一つ分小さい少年、櫻井康樹さくらいこうきは、髪を直しながら鼻息も荒くそう返した。


 髪型には気を使っているらしい。


 それはさておき。


「荷物置いたあと駅前に集合でいいんじゃない?」


 二人のやり取りをサラリと無視して、前を歩いていた長身痩躯の少年、東奥充晶とうおうみつあきが言う。


「だから俺は——」

「オッケー!じゃあ、後で駅前集合な!」

「じゃ、僕こっちだから。またあとで」

「ほいほーい」

「………………」


 言うも虚しく、満場一致の流れに黙り込む。


「さて、じゃあおれたちも一旦帰りますか」

「なんで俺まで……」


 ここまでの一連の流れの中で、彼の発言がほぼ無視された形になり、思わずそうこぼした。


 彼ら二人とつるむようになってから、こんなやり取りは日常茶飯事ではあるが。


「とかなんとか言って、楽しいくせに」

「うっせーよ」


 楽しくないといえば嘘になる。


 しかしそれを素直に認められるほど大人にもなれず、彼は言ってそっぽを向いた。


「素直じゃないなぁ。じゃ、あとで迎えに行くから、待ってろよ?」

「ちっ……わかったよ」

「寝るなよー!」

「わかったっての!」


 一番付き合いの長い黒髪の少年にそう念を押されて、彼、柳谷清司やなぎやせいじは自宅へ足を向けた。



 自宅に着き、一息つく間もなく荷物を置き、私服へと着替える。


 自室から出てリビングに入ると、入学式から一足先に帰っていた母親が台所に立っていた。


「あら、出かけるの?」


 洗い物をしながら声をかけてくる。


「ああ。太壱達と足りないもん買ってくる」

「そ。あんまり遅くならないようにね」

「わかった」


 そんな会話をしていると玄関チャイムが鳴った。

 おそらく自分の迎えだろう。


「じゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 玄関を開けると案の定、黒髪の幼なじみ、水縹太壱みはなだたいちが立っていた。


「よっすー」

「ういーっす」


 軽く挨拶を交わし歩き出す。


「清司、今日はいつもよりいらついてね?」

「ああ?んなこたねぇよ。いつも通りだろ」

「そうか?それにしては眉間のシワ、ハンパねえけど?」

「いつもどおり嫌な予感しかしねーんだよ」

「あ、そーゆーやつね」


 終始眉間にシワがよっている理由を適当に言って、彼はため息をつく。


 帰り道の会話から、確かに嫌な予感はしていた。


 嫌な予感と言ってもよくあることなのだが、胸の辺りに何かがもたれている感覚が取れなくなることがある。


 そんな時は昔から、彼や彼の周りの人間に何かが起こった。


 もちろん、何が起こるかなど分かるはずもないし、ただの体調不良という時もあるにはある。


 が、これまでの経験上、今回は体調不良ではないという確信があるのだから困ったものだ。


「……何も無けりゃそれで良いんだけどな」

「まぁ……お前のそのカン、昔っから外れたこと無いもんな」


 太壱はそう言って、肩をすくめてみせた。


 お互いに「いつもの」ことだった。

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