第4話 生還への秘策
「時間が惜しい。手短に話すぞ」
早朝の『ルラの牙』の作戦指揮室に、301飛行隊の4人と、ルラの牙のメンバー、それに通信班や管制官など20人以上が集まっていた。
立錐の余地もない作戦指揮室に、エステラの声が響く。
「午前は高高度からの垂直降下アプローチ、午後は超低空飛行での進入を試す。
垂直降下は午前に2本、超低空侵入は午後に3本の予定だ」
マルコが手を上げて発言した。
「できれば、午前に3本目の垂直降下を入れたい。技術的に難しいのは垂直降下だが、可能性を感じるのも垂直降下だ。
できるだけ本数を飛んで、可能性を突き詰めたい」
エステラがうなずく。
「わかるわ。
ただ、垂直降下は一度高高度へ上がるから、体への負担が大きい。
リスボアに侵入するときは一発勝負だからいいけれど、一日に何本試せるか、4人の体調を見ながら判断しましょう。
医療班。頼むわよ?」
「ああ、任せろ」
「ルラの牙は、仮想グラナダ空軍を務めるわ。
イリサは海岸線付近の哨戒機を想定して、アラマンタ川上空で待機。
アントンはロスカーナ付近で高高度への迎撃を試行。
ダロとサンティアゴは、ロスカーナ上空で遊撃体制。
いいわね?」
「了!」「了解」「わかったぜ」
「私は、301と一緒に飛びます。
私をひとつの目安にしてほしいの。
私は、事前の検証飛行で何度も垂直降下で降りてみたから、だいたいの感覚はつかめてる。
もちろん、空力には個人差があるから、無理は禁物よ。
でも、301に選ばれるぐらいのエースなら、私の空力とそう差は無いと信じているわ。
垂直降下は、ひとつ間違えば地上に激突。
くれぐれも慎重に」
「了!」「了!」
マルコが、エステラを見つめて言った。
「エステラさん。頼みます。」
一瞬、部屋の空気が凍り付いた。
エステラはそれを無視して、ブリーフィングの締めの言葉を口にした。
「何か質問、確認事項はない?」
声は上がらない。
「なければ、以上だ。
直ちに発進準備に掛かれ!
解散っ!」
全員が席を立ち、部屋の中は喧噪に包まれた。
渋い顔をしたサンティアゴが、エステラに近づいてくる。
「おい。なんなんだよ、あの色男。
ブリーフィングで『エステラさん』はねえだろう?
ふざけてんのか?
真面目にやれって、言ってやれよ」
エステラは、今まで見たことのないような、慈愛に満ちた笑顔を浮かべて、サンティアゴに答えた。
「あれが、彼の『真面目』なの。
マルコなら、大丈夫よ」
◆
301特別飛空小隊と『ルラの牙』は、すぐに空へと舞い上がった。
基地内は、市民の立ち入り禁止が徹底されて平穏を保っていたが、フェンスの外にはロスカーナ市民に加えて、近隣からも集まった人たちが黒山の人だかりを作っていた。
上昇していく戦闘飛空機を、市民たちは地鳴りのような歓声で見送った。
これは、ただの訓練ではない。
この絶望的なミッションから、生きて帰れる道を示す旅。
すでに死を覚悟している301小隊の飛空士たちに、生きて帰れと説得するための訓練だ。
301特別飛空小隊と、随伴のエステラ機は、商都バルナデールの上空まで飛んだあと、編隊をダイヤモンドに組みなおし、反転してロスカーナ基地を目指して飛行した。
高度は3000。
目印であるアラマンタ川を越えたところで、4機は同時に、ほぼ垂直に機首を上げ、急激に高度をかせいでいった。エステラがそれに続く。
4000、5000、6000
「ルラの牙」5番機のイリサ・ノルテ・アグニスは、彼らが急上昇することを知っていたのに、即応できなかった。
301の来訪をまったく予期していないはずのアルバ空軍が、この機動についていくのはまず無理だろう。
イリサは、無線に叫んだ。
『
いいですね。全然ついていけません!
徐々に高度を上げるより、このやり方のほうが絶対に迎撃は難しいですよ!』
しかし急上昇していく301小隊には、女性教官イリサの無線に応える余裕はなかった。
6500、7000、7500
『くそっ! 空力の消費が……』
8000、8250
『アラマンタ河畔の観測所だ。301小隊の捕捉に失敗』
朗報だ。
8400、8500、8550
『3番機、限界です! だめだ…… 1万までは、上がれ、ない……』
『2番機……同じく』
『
『
『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……く、苦しい……息が、息が……』
『地上第5観測所より報告。まったく見えん。どこにいるんだ?』
『こちらロスカーナ。各機落ち着いて呼吸しろ。無理はするな。いつでも高度を下げていい』
『3番機……離脱します…… すみません……4000まで降ります』
『
『ま、まだ行けます……』
『こちらロスカーナ管制、
『こちら
◇
『
ここからが訓練の本番よ。
私が降りる速度で、301の各員も降りられるはず。
ついてきて!』
『了』『了解。お手柔らかに』『ふぅ!緊張してきたぜ』
『ルラの牙各員は、これを全力で阻止して。
いいわね?』
『
数分間、無線は沈黙を保ったままだ。
無駄口をたたく者はいなかった。
まるで実戦のような緊張感が漂っている。
『ルラの牙』の各機は、301の機影を探して必死に空を見あげた。
だが、ロスカーナに向かって飛んでいるとわかっていても、高度8000の超高高度を飛ぶ301の機影はあまりに小さく、見つけることが出来なかった。
関係者全員がしびれを切らしかけたとき、無線から叫び声が飛び込んできた。
『いたっ! 見つけたぞっ!』
一瞬の沈黙。
『
『
『
『
『あいよぉ!』
2つの機影が軽やかに上昇していった。
その先に白い点がいくつかあるような気もするが、それが301特別飛空小隊だとはっきりわかる者はいないだろう。
もう少しで、3番機サンティアゴ、4番機リナレスがその白い小さな点に近づけるかと思ったその時……
『
『はっ!こりゃあすげえ』
『隊長、検証飛行の時より気合い入ってんなあ』
『いきなりこれじゃ、301の連中、眼を回すぞ』
◇
全力で急降下しながら、エステラは心の中で叫んでいた。
—— 怖いでしょう?
普段とはまったく違う勢いで、地上がどんどん近づいてくるものね。
空力は、物体を宙に浮かべるために、下向きに発生させるもの。
空力を上向きに発生させることなんて、ほとんどないわ。
ましてや、これほど長時間、これほど大量の空力を上向きに吐くなんて……
誰だって怖いに決まってる——
『4番機! 遅れているわよ!
勇気を出して、空に向かって空力を思い切り吹きなさい!!』
『1本目からこれかよ!』
『高度計、すごい勢いで回ってる! これ、ぶっ壊れない!?』
『
無理は禁物。
でも、勇気を持って降りなきゃダメ!』
『了』『了!』
『うわあ! ダメだあ! もう加速できねえよ!』
『まだまだ! ここから!』
エステラの機体が、さらに加速してグンッと伸び、301を引き離していく。
『おぉおおい!! あのおばさん、バケモンか!!?』
『すげえな……! あれが、『ルラの牙』の隊長ってやつか!』
エステラに、さらに引き離されていく301。
その中から、1機、エステラについてきた。
『エステラさん、限界まで行こう!
ギリギリのところまで、あなたに付き合いますよ!』
『マルコ!
無理はダメって言ってるでしょう?』
『無理なんかしてません。
あなたが知っている限界を、僕にも見せてほしいんです』
『怖くないの?』
『ええ。あなたを信用していますから』
『言ったわね?
最後まで、ついてこれるのかしら?』
『最後までついていけたら、食事、付き合ってもらいますよ!』
「あなたが、生きていたらねっ!!」
◇
「どこだよ?」
「見えねえなあ!」
「あ、あれじゃない?」
「鳥だろ?」
「そうかな?」
「いたっ!!!!」
「見えたっ!」「来たっ!」
「来たぞ! 301だっ!」
「いや、1機はルラの牙の機体じゃないか?」
「すげえ! 2機とも、すごい勢いで落ちてくるぞ!」
小さな芥子粒のように見えた機体が、見る間に大きくなっていく。
その落下速度に興奮していた人々は、すぐに心配をしはじめた。
2機が、そのまま地上へ激突する危険を思い出したのだ。
「うわあああああ!やばい、やばいって!」
「頼む!止まれっ!!」
「堕ちるな!」
地上にいる者も、上空にいる者も、全員が固唾をのんで見守った。
地上に激突する2機を想像して、目を閉じる者もいた。
機体が粉々になって破片が飛んでくるのを恐れ、フェンスから逃げ出す人もいた。
もう、ダメだ。
2機とも墜ちる!!
誰もがそう思った瞬間、エステラとマルコの機体がはかったように、同時にふわっと機首を上げ、そして、全力で減速しはじめた。
「とまれ!」「たのむっ!」
「上がれえ!!」
「堕ちるなあ!!」
口々に叫ぶ人々。
機影はどんどん大きくなる。
地上までわずかに50m。
ロスカーナ大聖堂の鐘楼よりも低い場所で、2機はそろって、ふわりとひとつフレアを決めると、同時に、美しい着陸を決めた。
2番機と4番機は、わずかに遅れて到着した。
離脱した3番機も降りてくる。
いずれの機体も、空気との摩擦で熱を帯び、軽く湯気が上がっている。
地上で待っていた人々が大歓声をあげ、フェンスを乗り越えて、今降りたばかりの機体へと駆け寄っていった。
キャノピーが開き、マルコが片手を掲げて、歓呼に応えた。
割れるような歓声だ
――これなら、きっと、アルバ王国の空も突破できる
人々は、希望に満ちていた。
マルコが振り返り、エステラを見た。
頬に人差し指を当ててクリクリと動かしている。
——食事、付き合ってもらいますよ。
そう、言っているのだろう。
「仕方ないわね。食事だけよ」
エステラは操縦席の中で、小さく苦笑いしながらつぶやいた。
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