第3話 301特別飛空小隊

 身動きも取れないような混雑ぶりだった。


 ロスカーナ基地で一番大きなフォロ――飛空機を駐機したり離着陸をするための広い空間——を埋め尽くした群衆は、皆そろって東の空に目を凝らしていた。

 まもなく到着するのは、ルラヴィア大公が自ら編成を指示したという、301特別飛空小隊。

 アルバ王国の危機を救うため、海を越えて死地へ派遣されると噂される部隊だ。



「アルバ王国の首都はもう陥落寸前なんだろ?」


「ああ。グラナダ連邦共和国の軍隊が、首都リスボアの目と鼻の先まで来ているってさ」


「それでもまだ粘る気かねえ? どうせ勝ち目はないのに」


「そんな絶望的な首都に向かうなんて……集中砲火を浴びせてくださいと頼みに行くようなもんじゃないか」


「大公は、なんだってそんなにアルバの国王に肩入れするんだい?」


「なんでも先代の大公殿下とアルバ国王が無二の親友だったんだとさ」


「なんだい、今の大公は関係ないのかい?

 なのにルラヴィアの若者を死地に送るっていうのは、わからないねえ。かわいそうじゃないか……」


「おい!不敬だぞ!」


「やめろやめろ! 喧嘩するならほかのところ行ってやってくれい!」


 はるか遠くに、きらりと光る機体が見えて、群衆は地鳴りのような歓声を上げた。

 およそ10分ほどで、301特別飛空小隊は、ロスカーナ基地の上空へ到着した。


 翼から発生している空力の圧が地上に届き、その圧に推されて、機体の真下には、人がいない4つの小さな輪ができた。

 301特別飛空小隊は息をあわせ、姿勢と高度をピッタリ揃えながら、滑るように降下してきた。

 4機そろっての見事な着陸を決めてみせ、群衆の大歓声を浴びた。


 キャノピーが開き、4人の飛空士が姿を現すと、群衆の興奮は最高潮に達した。

 コックピットで立ち上がった隊長は、群衆が手渡しで運んだマイクを受け取り、ひとしきり人々を見回し手を振ってから、スピーチを始めた。


『ロスカーナのみなさん! 我々、301特別飛空小隊を出迎えていただき、感謝します!

 戻ってきました! 帰ってきました!

 マルコ・エスピノーザ以下、4名の第三飛空訓練校卒業生が、戻ってまいりましたっ!

 明日から3日間、懐かしいこの場所で訓練をさせてもらいます! 

 ただいま、第三飛空訓練校!

 ただいま、ロスカーナ!』

 

 ◇

 

 あの大騒動が嘘だったかのように、ロスカーナ基地は静かだった。

 すでに、陽はとっぷりと暮れている。


 一番大きなハンガーの扉が開け放たれていて、明かりが煌々と輝いていた。

 その中で301特別飛空小隊の4機が整備をうけているのが見える。


 4人の飛空士たちは、基地司令と第三飛空訓練校校長への挨拶を済ませ、明日からの訓練にそなえて、すでに休息にはいっている。


 一方、『ルラの牙』の面々は、訓練の準備に余念がない。

 副長のダロと平民教官のリナレスは、作戦参謀本部から届いたアルバ王国首都上空への想定航路の見直しに取り組んでいた。

 首都リスボアは、すでにグラナダ軍によって完全に包囲されているという情報もある。

 その包囲を突破して、301特別飛空小隊をリスボアへたどり着かせる方法はないか?

 その秘策をなんとしてでも見つけ、彼らに授けたかった。


 女性教官のイリサ・アグニスは、明日朝と午後、2回予定されているブリーフィングの資料を見直している。あれも、これも伝えておきたい。この情報はもっとわかりやすく。焦るばかりで、作業は一向に終わりが見えない。


 貴族とは思えぬ粗野な男サンティアゴは、整備兵が帯同していない301特別飛空小隊の機体を完璧に仕上げるため、基地の整備兵たちと共にハンガーに入っていた。

 急ごしらえの特別小隊とはいえ、これほど遠方への遠征に整備兵が帯同しないなどありえない。

 それは軍が、彼らに「戦果」や「成果」などは一切求めていないことの証左であり、このミッションの状況を考えれば、軍は彼らが帰って来ることを全く期待していないことの証でもある。

 そのことがサンティアゴや整備兵の気持ちを暗くした。

 空力は、飛空士が握る導輪から導管を通って翼へ送られる。その調整はきわめて微妙で、熟練の整備士でも半日はかかる。その手間のかかる調整を、せめて完璧に仕上げて送り出してやりたい。

 サンティアゴも整備兵たちも、そう思っていた。 


 ◇


 隊長のエステラは、ひとり、教導隊作戦室にこもって、すべての作業の進捗を見守りつつ書類の山と格闘していた。


 そこへ、やって来た人影がある。


「どうも。」


 エステラが顔を上げると、扉口にはマルコの姿があった。


「どうしたの? 

 あなたたちは明日に備えて、休まないと」


「ええ。でも、眼が冴えちゃって」


「ふぅん……

 少し、話す? もう終わるから、中に入って待ってて」


「……忙しそうですね」


「まあね。隊長なんて、なるもんじゃないわ。

 書類ばかりよ。

 飛んでいるときだって書類のこと考えているわ」


 エステラの冗談に、マルコが少し笑った。


「わかります」

 

 マルコはポケットに手を入れ、壁に並ぶ顕彰額をゆっくりと見回した。


「あ、あった!」


「……?」


「見てくださいよ。これ。

 俺が、サンティアゴ飛空大尉に撃墜判定をくれてやった時のですよ」

 

 その額は、当時マルコの強い希望でここに掛けられた。

 前代未聞。訓練生が『ルラの牙』の教官を撃墜した証。

 ここに顕額することを、サンティアゴは最後まで反対していたっけ。


「あなたの活躍、いつも見てるわ。

 本当にすごいと思ってる。

 中隊長の件は……残念だったけどね」


「はは……」

 

 マルコが渇いた笑いを返した。

 

「僕はただ、命令通りに飛んでいるだけです。

 あなたの方がよほどすごい。

 僕なんか、足元にも及びません」

 

 エステラは書類にさらりとサインをしながら答えた。

 

「ありがとう。

 でも私はただの教官よ。

 みんなが飛び続けられるように、できることをしているだけ」

 

 沈黙。


 そして再びマルコが口を開いた。

 

「……あのときは、すみませんでした」


「なんの話?」


「……あなたが隊長と付き合ってたなんて、知らなくて」


「ああ、そのこと」


「……アルケス隊長、残念でしたね」


「ええ……そうね」


「あのとき俺が言ったこと、覚えてますか?」


「さあ? どんなこと言われたかしら?」


「俺じゃダメですか、って。

 ……ガキのくせに、生意気でしたね」

 

 そう言って、マルコは小さな笑いを浮かべた。

 そして何かを言いかけて、短く息を吸ってためらった。


 大人になったくせに、また同じことをするつもりか?


 でも、いまためらったら、言葉を飲み込んでしまったら、……もう二度と思いをつたえられないかもしれないのだ。


 マルコは、迷いを振り切るようにひとつ首を振って、言った。

 

「俺、あのときの思いは、今も変わりません」

 

 書類に走らせていた、エステラの万年筆がぴたりと止まった。

 胸の奥に、あの小さな痛みが、ずっと感じることがなかったあの痛みがよみがえる。

 もう、誰かを好きになるのはやめようと決めたはずなのに。


 エステラは顔を上げ、マルコの顔を真っすぐに見て、そして何かを言いかけて、やはり彼女も、結局言葉を飲み込んだ。


 今度はエステラが、小さく笑った。

 

「……こんなおばさん、からかうもんじゃないわよ」


「ははっ…… あのときも、まったく同じこと言ってましたね」


「そうだったかしら、ね……」

 

 マルコは一歩、エステラに近づいて言った。

 

「俺、この5日間だけは、嘘はつきたくないんです。

 あなたのこと――

 愛しています」


 エステラは、ただ黙ってうつむいていた。


「本当は、あなたのことを幸せにしたかった。

 でももう、そんな贅沢は言いません。

 ただ、一度だけでもいい。

 あなたの幸せそうな笑顔を見ながら、笑顔で過ごす一日が欲しかった」


 エステラは何も言えなかった。

 すべての言葉が、口にした瞬間に陳腐になりそうで。

 鼓動と虚しさが、部屋の中で共鳴しているように感じた。

 沈黙が、永遠につづくように感じた。


 ふたりのあいだに漂い始めた気まずさを打ち消すように、マルコはぎこちない笑顔を浮かべた。


 これ以上この部屋にいたら、エステラを傷つける。

 マルコは立ち去ることを選び、一度背中を向けかけて、最後に上半身だけエステラのほうへ振り返って、思い切りの笑顔を作ってエステラに言った。


「じゃあ、明日の訓練で!」


 親指を立てるマルコは、もう、いつものマルコらしい自然な笑顔に戻っていた。


「この訓練で、あなたから撃墜判定を勝ち取ったら……

 食事ぐらい、付き合ってくださいよ」


 マルコの笑顔が眩しかった。


 そうね、いいわよ――なぜ素直に言えないのだろう?

 エステラは、自分がもどかしかった。


 マルコは静かに去っていった。


 彼が去ったその扉から、いつまでも目を離すことができなかった。

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