3.第二の螺旋

​五十嵐は混乱した。

​「待ってください、最初からそこになかった?どういう意味ですか?現場の映像記録は落ちましたが、侵入前の映像では、ケースも胸像も確かに存在していました」

​「映像は、ね」如月は静かに笑った。「映像は、真実を記録する。だが、真実を捏造することも可能だ。そして、犯人はこの盗難をマジックに見立てている。マジックとは、観客の視線誘導と時間の操作だ」

​如月は、南京錠の写真に戻った。

​「あの南京錠の螺旋の刻印。私はこれを、古代の哲学、特にプラトンの思想と結びつけて考えてみた。プラトンは、イデア論を唱えた。我々が現実に見るものは、すべて真の姿(イデア)の影に過ぎない、と」

​「イデア論…それが、盗難事件と?」

​「ユリシーズの眼差しは、真の大理石の胸像だ。だが、もし、美術館に展示されていたものが影、すなわち精巧なイミテーションだったとしたら?」

​五十嵐は息を飲んだ。

​「…そんなバカな。鑑定団が入念にチェックし、科学的な分析もクリアしています。本物だと断定されています」

​「その鑑定団を騙すことのできるイミテーション。あるいは、鑑定団の目をごまかす術。犯人が狙ったのは、胸像そのものではなく、胸像を本物だと信じ込ませる人間の知性、すなわち眼差しだった」

​如月はデスクの引き出しを開け、一枚の古い地図を取り出した。それは、彼が元々警察官僚だった頃に使用していた、東京近郊の古い地図だった。

​「この事件は、ユリシーズの旅のように、螺旋状に進むだろう。第一の螺旋が、現場に残された南京錠の刻印。そして、第二の螺旋は、その南京錠の製造元だ」

​「製造元不明、と報告されていますが」

​「警察は、現代の工業製品として捜査した。だが、あの微細な刻印、そして真鍮という材質。あれは、現代の工業技術で作られたものではない。あれは、失われた技術、あるいは特定の工房の製品だ」

​如月は地図上の、ある一点を指差した。

​そこは、都心から少し離れた、古びた錠前職人の街だった。

​「私の知り合いに、古代の錠前に異様に詳しい古物学者がいる。彼は、あの刻印を、ある伝説的な錠前師のサインだと見抜くだろう」

​「待ってください、如月さん」五十嵐は立ち上がった。「その鍵師が、この事件とどう繋がるんですか?もし彼が犯人だとしても、なぜわざわざ自分のサインを…」

​「違う。鍵師は犯人じゃない。鍵師は、鍵を求めていない。鍵師が求めているのは、開けることだ」

​如月は、冷たく澄んだ目で五十嵐を見つめた。

​「犯人が残したメッセージは『私は鍵を置く。それを見つける者こそ、私の扉を開けられるだろう』。これは、犯人自身が、その鍵によって見つけられることを望んでいる。そして、その鍵を見つけ出すのは…鍵師だ」

​彼の指が指し示した、地図上の場所。そこには、小さな文字で『錠と螺旋』という、古びた工房の名前が記されていた。

​「まずはここへ行く。そして、この螺旋の刻印の真の意味を知る。それが、第二の螺旋の扉を開く鍵だ」

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