決断
3154年3月05日。私は目を覚ました。蒼く霞んだ視界の先に、白く光る病院の天井が広がっている。人工光の冷たい明りは、まるで私の心をそのまま映しているように思えた。部屋の中では、機械が発する規則的な電子音が壁に反響している。呼吸器の透明な管が胸の動きに合わせて小さく揺れ、冷たい酸素が喉を通って肺へと流れ込むのを感じた。
鼻腔には消毒液の匂いが染みついていて、空気がやけに重たく感じる。それは、既にレフリオンによって体が蝕まれて行っているからだ。今はまだ、視界不良と軽いめまいで済んでいるがいつかは感覚が消えていく。そう思うと、握っていた手のひらが妙に頼りなく、まるで空気を掴もうとしているようだった。
――手のひらに載っていた命は、こぼれ落ちてしまう。水をすくおうとしても、指の隙間から零れていくように。
そんなことを考えているうちに、頬をひと筋の涙が伝った。冷たく、しかし確かに「温もり」があった。その温かさに、私はまだ生きているのだと気づかされる。まだ、世界は私を完全には見放していない
――そう思えた。
「自分の決断は間違っていない。きっと後悔はしない。晴香は最後の最後まで努力してくれる。私のために。」
そう心の奥でつぶやき、再び静かにまぶたを閉じた。機械音が遠ざかっていく。眠りが、音もなく訪れた。
――5日前。3154年3月01日。
説明を受けてから数日間、私はずっと考え続けていた。私に残された2つの選択肢。そのどちらを選ぶのか。どちらにしても、いつかは死が来るのだ。逃げることは出来ない。
――生きる時間は延ばせても、死の瞬間は逃れられない。
これは変わらない。避けることの出来ない事実だ。今も少しづつだがリミット。死が近づいてきている。時計の針が時を刻むように、今も私は残りの寿命を刻み続けている。
「どう生きたいのか?どう生きるべきなのか?それはあなたが決めることです。」
そう、晴香博士は言っていた。自分の最後は自分で決めるべきなのは私自身も分かっていた。なのにあの時は答えを求めるように、彼女にいや博士に答えを聞いていた。もう時間が無いことが信じられなかったのだろうか?それとも現実逃避がしたかったのか?あの時思っていたことはもうあまり覚えていない。
遠くから、足音が聞こえる。そして現れたのは、白衣を身にまとった博士だった。
「体調はいかがでしょうか?精密検査の結果が出ました…」
その声はどこか暗さで満ちていた。良くない結果だったのだろうか?そう思っていると彼女は頭を下げてきた。
「あなたはあと、持って2か月でしょう。そして決断がお決まりになられましたらいつでもおっしゃってくださいね。」
彼女はそう言い立ち去ろうとした。彼女の声からは、悔しさが感じられる。目の前で救える可能性もあった命を目の前で失う感覚を、実感してしまっているのではないか?そう思えるほどだった。
そして、決断について考える。治療を試すか、それともこのまま死を待つのか。この二択は非常に重い選択だった。自分の最後を決めるのだ。慎重になって決めれないのも納得だ。
――自分の最後。死ぬその瞬間まで。
まだ実感できなかった。受け入れれてないのだ。
「もう2か月もない命だなんて。5カ月前には何ともなくこんなことが起きる素振りさえなかったのに。」
そう呟いた声には弱さが重なっていた。力ない声を聴き、現実に戻される。
「自分を蝕んだレフリオンを使って一か月生きるか、そのまま死ぬか…それだけしかないのか。」
きっとこんなことが無ければ、レフリオンが無ければ今こうしてここにはいなかっただろうと考えてしまうときりがない。
私は覚悟を決めた。そして彼女を呼んだ…
彼女はすぐに来てくれた。忙しいはずなのに、気にしていてくれているのかついたころには息を切らしていた。息を整え話始める。
「どうされましたか?」
いまだに心の内では葛藤が続けられていた。どちらがいいのか。どちらを選ぶべきか。しかしこれ以上考えても変わらない。そう実感した。だから、
「レフリオンで治療は受けません。自分の命が尽きるとき、その時まで生き続けます。」
そう答えた。生きていたい。しかしそれはもう叶わないのだ。せめて人として、死んでいきたい。たとえ元気に暮らせたとしてももうそれは私の体ではなくなる気がした。
「分かりました。これからはその意向に沿って医療をさせていただきますね。」
そう言ってあわただしく病室を去って行った。
私は未来について考える。1か月後私はどうなってるんだろう?そう考えてみたが、結論は出ないままだった。そしてそのまま消毒液が香る部屋の中で意識を沈めた。部屋に残ったのは消毒液の香りと無機質な機械音だけだった…
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