逢魔時の赤とんぼ
東雲 千影
逢魔時(おうまがとき)の赤とんぼ
夕方のチャイムが町に響く。
それを合図に、公園から子供たちの影は消えていく。
ランドセルを背負った最後の一人が通りの角へと消えていった。
…僕一人を残して。
賑やかだった公園に静寂が訪れる。
赤く染まった鱗雲がまるで深紅の
隣の民家からは味噌汁の美味しそうな匂いが漂ってくる。
今日の夕飯は何だろうか…。
まだ小学一年生だというのに、みんな塾へ行ってしまう。
習い事のない僕は夕方になるといつも公園に一人残されるのだ。
まだ帰っても早い。もう少しだけ遊んでから帰ろう。
僕はお気に入りのブランコに座って、寂しさを振り払うように勢いよく漕いだ。
ブランコの揺れが大きくなるにつれて、僕の鼓動も高まった。
僕はぴょんっとブランコから飛び降りた。
良い飛距離が出た。
僕は公園の入り口に転がりっぱなしにしていた黄色いボールへと駆けた。
誰もいないから思い切りボールを蹴飛ばして遊んでみよう。
ザッザッザッ。
砂をはじく僕の足音だけが公園に鳴った。
……ズッ、ズッ、ズッ。
その時、入り口から手押し車に掴まった一人の老婆が、足を擦りながら公園へと入ってきた。
僕はぎょっとして足を止めた。
乱れた白髪は顔を覆い、衣服はボロボロだ。
そして、半開きになった手押し車のカバーの奥に何かの気配も感じる。
僕はブランコの方へ駆け戻った。
そして停めてあった青い自転車に
最近覚えたばかりの立ち漕ぎで、目一杯脚に力を込めた。
ズッ、ズッ、ズッ。
老婆はこちらへ歩いてくる。
僕は公園から抜け出るために、老婆を越えて行かなければならなかった。
自転車はぐんぐんとスピードを上げた。
しかし、老婆の横を過ぎる時、ペダルが急激に重さを増した。
ガタンッ!
僕は転倒した。
ズッ、ズッ…。
老婆は足を止めて、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
見てはいけない!
僕は慌てて倒れた自転車を拾うと、再び自転車を力いっぱい漕いだ。
がむしゃらに進んだ。
帰り道がどちらか判断などできなかった。
『ズッ、ズッ、ズッ』
あの足音が脳裏で鳴り止まない。
老婆が追ってくる!その恐怖だけが身体を支配していた。
ひとしきり走り切った後、自転車を停めた。
ここはどこだろう…。
鱗雲はもう半分以上も黒くなり、夜の
早く帰らなきゃ…。
腹の下の辺りがきゅうっと冷えて、心臓に戻る血も井戸水のように冷たく感じられた。
民家が立ち並ぶ通りなのに、人の気配がない…。
僕は自転車を走らせた。
しかし、どの角を曲がっても知っている道に繋がらなかった。
泣いた。
惨めなまでに泣いた。
赤とんぼ。
僕は目の前に現れたそれを追った。
小学校だ…。
赤とんぼは校庭に広がった闇へとそのまま消えた。
僕は家までの道を猛スピードで自転車を漕いだ。
庭に自転車を投げ捨て、家の玄関を開いた。
ガラガラガラッ。
「ただいま!!」
温かい灯りのともった台所で母が料理をしていた。
味噌汁の匂い。
体に熱が戻ってくるようだった。
「おかえり。手を洗いなさい。夕飯食べましょ。」
母の優しい声が、全身を包んだ。
逢魔時の赤とんぼ 東雲 千影 @chikage_shinonome
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