闇の太子Ⅱ ~Der Kronprinz des Finsternis Ⅱ~

暁 ミラ

第一幕 第一場 劇場の楽屋にて

 

 大陸に、5つの国が存在する。

北に山脈、南に海を抱えるイルフェリア国。その北西部、深い森と冷たい海に面するオヴァール国。イルフェリアの南西部、海岸面積がもっとも多い日差しの強い国、メロア国。北東部の陸と海を臨む、広大なウルターツ国。

そして地下、4国にまたがるように存在する、国境不明の謎めいたクルベルノート国。

これらの国々における物語、これはこの後編である。



この大陸には ”闇の太子伝説” と呼ばれる言い伝えがあり、その源泉はゆうに500年以上昔、建国時のイルフェリア王家に端を発すると言われている。

 ”闇の太子” は、歴史上その生死が分かっておらず、死ぬことがないと言われている。そして百年ないし二百年ごとに、それらしき人物が地上の国々のどこかに姿を見せ、世間を騒がせたのちに姿を消している。神出鬼没の謎めいた、歴史的人物である。その姿は、黒髪に白い肌、そして石榴色の瞳を持つ美麗な若者であるとされている。



そんな ”闇の太子” が、つい最近イルフェリア国に姿をみせたらしい。

イルフェリア国には国王ジェンセンと、その妹にして ”大陸一の豪傑” と異名をとる女将軍キルステンがいる。正確には、いた。

そのキルステン将軍は、 ”闇の太子” らしき人物と接触し、秋に起きたクルベルノート国との戦争終息直後に、行方不明となった。

人々は ”闇の太子” がキルステンをさらっていった、と噂している。


王宮の侍従たちによる噂では、失踪当時、キルステンは懐妊していたらしい。

厨房の記録として、悪阻時に食べるメニューの注文が複数残されている。

子供の父親は、彼女の元部下であり現クルベルノート国王であるグントラム9世という男か、あるいは彼女をさらった ”闇の太子” のいずれかではないか、と言われている。



ジェンセン王は国をあげてキルステンと ”闇の太子” の捜索を行っているが、その行方は杳として知れない。

失踪中のキルステンの特徴として、五つのことが各地に伝えられた。



『まっすぐな金の髪』 『すみれ色の瞳』 『妊婦』

『桁外れの戦闘力』 『黒い刃の大剣』



 

*********************************************************




 ギディオンの居城であるアルテンベルク城から馬で2日ほど内陸に進んだ地方都市、ミューリン。この町は、首都ヴィーゼンタールから伸びた沢山の石畳の道の途上にあり、交易が豊かな町である。通りを行き交う人々は田舎とは思えないほどあか抜けており、道に沿って様々な店が軒を連ねている。

そんな町は酒場、宿、劇場も多く、様々な業種の人間が、長期短期でこの町に滞留している。



通りから一筋奥に入ったところにそびえる、大きな劇場。そこは建設120年は経つという古い劇場のひとつで、連日多くの観客が詰めかける。

演目は様々だが、演目内容に合わせて、可変式の舞台は大きく変化させることができる。観客席は奥の楽団端からぐるっと囲むように、およそ270度の角度で存在しており、貴賓席を除いて、席によって価格が決められる。


このひと月ほどは、一風変わった舞台構成だった。

中央には赤い、大きな大きな円卓。後背のくぼみには楽団の席。

どんな演目かというと・・・この円卓上で、ひとりの有名な舞踊家が、ほぼ一日おきにダンスを披露しているのだった。この演目は、卓越した舞踊技術をもつ一握りのダンサーしか踊れないと言われる貴重な演目で、そんな舞踊家がこの町にいっとき滞在しているとのことだった。

稀有な、しかも大層美しいダンサーの舞踊であるから、劇場は連日大盛況であった。




*******************




楽屋にて。

背もたれのない丸椅子に座る、裸の男。長い黒髪を結んで上に束ね上げ、椅子の上に姿勢よく胡坐をかいている。今回の演目の主役である、美貌の舞踊家だ。

そしてその周りに集まってくる三人の女たち。彼女たちは裏方兼、時折劇場のバックダンサーを務める者たちで、全員がその手にパレットと絵筆を握っていた。パレットの上にはきらきらとした紫色の絵の具が出ており、女たちは男を取り囲むように三方に椅子をおいて座ると、その体に絵筆で模様を描き始めた。



「ねえ、シルヴァン、くすぐったくない?」


「ぜったい、くすぐったいわよね、シルヴァン」


「くすぐりの刑、みたいでしょ、シルヴァン」



シルヴァンと呼ばれた美貌の舞踊家は薄く笑う。



「大丈夫ですよ。 きれいに描いてください」



女たちは筆で丁寧に、男の体の筋肉に沿って、蔦のような不思議な模様を描いてゆく。

やがて体の隅々まで模様が描き上がり、女たちがそれぞれの椅子をもって離れると、男は尻まで下ろしていた黒いロングパンツをひきあげて立ち上がり、くるりとその場で一回転した。自身を鏡にうつして満足した様子。



「いいでしょう。 では、行きます」



男は長い髪をほどいた。美の神が降り立ったかのような、近寄りがたいオーラ。

舞台へと向かう彼の後姿を眺める女たち。



「はぁ、素敵だわ、シルヴァン」


「あんな人に抱かれてみたいわ」


「だめよ。 あの人は、連れの女がいるって話よ?」


「えっ?!」



仰天する女の一人。ほかの二人はうんうん、とうなずいている。



「残念だけど、ブロンドの美女を連れているらしいの」


「しかも、身重なんですって」


「あらやだ。 夢が壊れたわ」



楽屋から見えない向こう側、観客席から大歓声が沸き起こっている。



「すごい人気ね、今夜も」


「みんな、シルヴァンの踊りと美しさに魅せられているのよ」


「金持ち連中は、毎回ここへ通ってるみたいだし」


「抗いがたい魅力があるのよね。 シルヴァンには」


「あの姿と、あの舞、あと・・・」



三人が偶然にも声を合わせる。



「「「あの、石榴色の瞳!」」」




*********************************************************



ミューリンで最も大きな旅籠屋。

その二階の奥の部屋に、二人はいた。


この町ですでにちょっとした有名人となっていたシルヴァン・・・つまりゼフィルは、小さな木製のテーブルで本を読む人物の背後に立ち、上着を床に脱ぎ落とした。裸体に描かれた模様をあらわにした彼は、その場でくるりと回って見せる。



「ねえねえ、見てよ。 今日のこの模様はどう?」



振り向く頭の動きに合わせ、さらさらと流れ落ちる金の髪。ブロンドの彼の妻、と目されている白い服の女は、腕組みをしてその姿を一瞥した。



「ほう、なんだそれは。 どこの部族だ?」


「はぁ?! ぶ、部族だって?」



ゼフィルは目を丸くし、すっとんきょうな声をあげた。



「イロナ、きみって人は! ぼくをどっかの原住民と思ってるの?」


「違うのか? どこかの部族の真似事だろう?」


「違うよぉ。 なんだってきみは、そんなに美的センスに疎いのさ、イロナ」


「イロナって、なんだっけ?」


「だから・・・」



困った顔のゼフィルは着替えもせず、ふらふらとその場で右往左往する。



「この町では、ぼくはシルヴァン! きみはぼくの妻のイロナ!

そういう設定だろ? ちゃんと役柄を覚えてよ!」


「ああ、ああ、そうだっけな」



顎に指をおき天井をぼんやりと眺める、イロナことキルステン将軍。

逃亡生活にしては、呑気な様子である。



「そうだよ! きみの素性がばれたら、大変なことになるぞ?

だからぼくが苦心して、そういう役を演じてるっていうのに!」


「わかったよ、悪かった」


「まったくもう」



ゼフィルは固いツインベッドの片方に腰かけ、足をプラプラとさせた。


手狭で簡素な部屋。しかしそこは、この旅籠屋が持つ最上の客室だった。

ミューリンへ来る前に数か月過ごし、王宮からの追手が来たために急ぎ去ったアルテンベルク城や、ましてや過去に生まれ育ったリーゼンホーフ宮と比較してはいけない。

そこはキリも分かっており、部屋についての苦情はこれまで一切言ったことがない。



「きみはさ! もっとぼくに感謝すべきなんだよ?

ぼくがダンサーとして、一躍有名人になったもんだから、

この旅籠屋だって、公演期間中は無料で住まわせてくれるんだし。

向かいの料理屋だって、無償でぼくらの食事を用意してくれるんだよ?

おまけにぼくは毎日、この町にしてはとてもいいギャラを受け取っているよ」


「うむ、ご苦労であった」


「そうだよ! ご苦労様でしょ?」


「でも、退屈だな。 部屋で読書をするか、剣の素振りしかできん」


「それは・・・」



ゼフィルはベッドにごろんと寝そべった。

横になり、キリの姿をじっと眺めている。



「きみのお腹、だいぶ大きくなったね。

もう乗馬がきついから、ぼくらはこの町に落ち着いたんだよ?」


「・・・」


「出産まで、多く見積もって、あとひと月ほどじゃないか。

退屈なのは分かるけど、あと少し、我慢できないかい?」


「ああ、我慢はできる」


「なら、頼むよ。 ぼくもきみのために精一杯努力してる。

明日一緒に、新しい本を買いに行こう」



ゼフィルは衣装箪笥の中から大判のタオルを取り出して肩にかけた。

この部屋にはありがたいことに、湯浴みの部屋が設けられている。彼はその部屋のドアノブに手を掛けた。



「すまぬな、ゼフィル」



それを聞くや否や、ゼフィルはくるりと振り返り、自身の唇にさっと人差し指をあてがった。



「しっ! シルヴァンって呼んで。 壁に耳がついてるかもしれないだろ。

ぼくもきみのことは、イロナとしか呼ばない」


「分かった、シルヴァン」


「用心することだね。 素性が知れて見つかってみろ?

今のきみじゃ、ろくに動けないんだから、あっけなく捕らえられてしまう。

その身重の姿をさらして、王宮の床に転がされるんだぞ、大勢の前で」



キリは自身の両肩を抱いて、暗い顔で床に目を落とした。




*********************************************************




 地下に大きな建造物を持つ、クルベルノート国の首都、ヘレングルント。冥界の底、と呼ばれる恐るべき名前だが、実際はそれほどでもない。

昼夜問わず人工的な明かりを灯すこの地底王国最下層の首都は、日の光とは無縁でつねに街全体が黄色い光に照らされている。

そんな色彩の単調さを軽減するため、国王が住まう王宮では、ほとんどの明かりの周りに不思議な模様のついたカラフルな、ステンドグラスの覆いがかぶせられている。


色とりどりの光を眺めながら、国王グントラム9世レイヨールは、国内のあらゆる物事の把握と分析を急いでいた。

国土の面積、人口分布、食糧の生産地とその食糧事情、ライフラインをはじめとする地底のインフラ状況。

美術品に関しては、溶岩鋼の産出量、窯の数とその位置、金工職人の工房数と名品を作る職人数、果ては金工品の意匠の数まで。恐ろしく多岐にわたる事象を、一人ですべて把握する必要があったが、レイヨールは事あるごとに根気強く実地をめぐり、ひとつひとつを目で見て理解していった。



レイヨールには、命題があった。

自国にて産出される黄金、及び金工品に関する適正価格の基準を地上に敷くこと。

そして溶岩鋼を門外不出にすること。


前者は、各国の王に呼びかけて貿易に関する取り決めを行う必要があり、自国の生産量と今後の見通しが把握できれば、いつでも動ける状態にあった。

これさえガイドラインが決まれば、これまで目をつぶらざるを得なかった自国の利益について、飛躍的に向上させることができる。


そして後者は、最終的に必ず行う必要があった。漆黒の鋼である溶岩鋼の強度は、地上では決して得られない、いわば魔術の領域のものであり、この武具を多く持つことによって国のパワーバランスが大きく変わってしまう。それを多く持つ者が戦争を起こし、地上に圧政を敷く可能性も高い。

それゆえに良心に基づきレイヨール自身の手によって、生産と輸出を徹底的に制御する必要があった。そして溶岩鋼を鍛えられる職人についても、すべて登録され、把握される必要がある。レイヨールはそう考えていた。



「恐れながら、陛下・・・」



先王の代からこの王国に仕える三老人、その一人であるベームが音を立てずに姿を見せた。

彼らは人が持たない神通力を持っているため、ふいに現れたり消えたりすることが可能なのだ。



「先日おっしゃっていました溶岩鋼の窯の独占について、ほころびが一つあることが分かりました」


「ほころび? それはどこに?」



怪訝そうな顔をするレイヨール。小さな身を一層かがめ、ひっそりと語る老人ベーム。



「ウルターツでございます。 もうはるか昔になりますが、溶岩鋼の職人がひとり、かの国にさらわれまして、そこで鋼づくりに従事しているのでございます」


「なんと。 鋼づくりを強いられているのだな。

しかし、溶岩鋼については、鉱脈を見つけ出し採掘をしたうえで、ごく高温の環境を得ないと、なにも作れないのではないか?」


「左様・・・しかしながら彼らは、独自に地下へ穴を掘り、鉱脈を探り当てたのです」


「それは・・・大規模なのだろうか」


「分かりません。 ですが幸いなことに、あちらに職人は、そのさらわれた一人しかおりませぬゆえ、大量生産は不可能。

王族の権威を示すための品として、一品二品、世継ぎのために鍛えるに留まっているようです」



レイヨールは腕組みをして考え込んだ。そしてすぐ。



「これはものの例えだが。

我が国の地下道をたどって、ウルターツ国の窯までの横穴を掘り、さらわれた職人を救い出し、かつ秘密裏に、地上への道を封鎖することは可能だろうか?」


「むむむ・・・かの国を相手に、いきなり大胆不敵なことをお考えですな」



今度はベームの方が、腕組みをして考え込む番になった。



「地質学者に確認してみましょう。 一旦失礼」



困惑と驚き、そして微量の興奮が入り混じった表情のベームは、すぐさま煙となって消え失せた。

レイヨールは腕組みをほどき、足を長く伸ばす。その椅子は、リクライニングのある柔らかな革製で、彼が職人に特注で作らせたものだった。



「ウルターツ、か。 ハオラン先生はお元気だろうか。 

あと、クーゲルバッハ画伯も。 

美術品の年代研究の会議を設けるために、いずれ画伯の御力が必要だ。

落ち着いたら一度、画学校へ挨拶に行かねば」



地上で彼が世話になった画学校。そこの恩師の一人である、白衣の貴人ハオラン。

彼がウルターツ王家に関わりのある人物であることを、レイヨールは未だ知らない。

しかしその高貴な雰囲気から、なにか情報が得られるに違いないことは薄々察してはいるのだった。


やがて背もたれに体を預け、ぼんやりと考え事をするレイヨール。

彼にはもうひとつの気がかりなことがあった。

彼の妻であるキルステン将軍が、イルフェリア国のリーゼンホーフ宮から姿を消し、地上で行方不明であると聞いたからである。

彼は懐から、小さなものを取り出した。

それは、いつぞや自分の精神を救ってくれた思い出の品である、水晶のペーパーナイフだった。

彼はそれを固く握りしめ、念じるように目を閉じた。




*********************************************************




イルフェリア国首都、ヴィーゼンタールの一角にある、白く大きな邸宅。

ここはアマーリエ神殿と呼ばれており、日々多くの参拝者がやってきては去ってゆく。

信託の乙女である大神官アマーリエが、夫であるランツァウ将軍と共に、ここに住んでいるのだ。


そしてある晩。

白く小さなテーブルをはさんで、神官服姿のアマーリエと普段着のランツァウが向かい合っている。テーブルの上には、何かを置くための木の台座が鎮座している。



「トレーニングへようこそ、あなた」



アマーリエはにこにこと金色の笑みを絶やさずにいる。

一方そんな表情を前にするランツァウは、どうにも緊張を隠せない表情。

小さく片手をあげて、可愛らしい妻におそるおそる質問をする亭主。



「はいっ! あの・・・その前にまず聞きたいんだけど。

どうして今、俺のその・・・ ”あっちの能力” をトレーニングしようと決めたの?」


「今がその時期なんですの」


「そうなの? で、そう思ったきっかけは、なに?」


「きっかけは・・・」



あごに指をあてて、宙をあおぐアマーリエ。



「レイヨール様ですわ」


「え? レイヨールだって? あいつが今、どんな状況か分かるのか?!」


「ええ、分かるもなにも・・・こちらに連絡をよこすんですわ」


「なんだって? どうやって連絡を?」



テーブルに置かれた丸い木製の座卓。するとアマーリエの袖の下から大きな水晶玉が取り出され、ゆっくりと座卓に置かれた。



「この、水晶を通してですわ。

おそらく彼の側近の、神官のような方に、念での交信のやり方を教わったのでしょう」


「えええ、じゃああいつは、こんな水晶玉を持ってるってのか?」


「多分、違いますわ。

ほら、あの方に託した水晶のペーパーナイフがありましたでしょ?

それを媒介して、こちらに連絡をよこすんですわ。 毎晩」


「毎晩だってぇ?!」



ランツァウは両手をわなわなとさせている。



「ええ。 毎晩、この水晶に反応があります。

でも私も忙しいので、10回のうち1回の割合でしか返答しませんの」



ほっとしたように、にやけながら顎髭をぼりぼりとかくランツァウ。



「へええ・・・ちょっと笑えるぜ。

あいつ国王のくせに、10回のうち9回は、俺の妻にシカトされているんだな」


「ええ・・・グントラム陛下にはごめんなさい、ですわ。

でも、内容はいつも同じで、キリ様の消息を尋ねることばかりですもの」


「こっちからは、なにか聞かないのか?」


「いいえ、なにも。 私があちらを詮索する理由はありませんもの。

でも、もしかすると、あの方は尋ねてほしいのかもしれません」


「う~ん、それはあるかもしれん」


「でもそれは、私が聞く必要のないお話ですわ。

ですから、あなたがこれをつかって交信ができるようになれば、

あなたはグントラム陛下と、毎晩! 色んなお話ができるはずですのよ!」


「え! 毎晩は、いやだ!

なんでこの俺が、レイヨールと毎晩、話をしなきゃならねえんだよ!」


「嫌なら嫌と、そうおっしゃってくださいまし。 グントラム陛下に」



そういって、アマーリエはランツァウの片手を持ち、水晶の上に彼の掌をぺたりと置いた。




*********************************************************



ミューリンの夜。

舞台がはねた後、楽屋でひとり身支度をするゼフィル。白いシャツを着て外套を肩にはおったその時、振り向くと背後に、人相の悪い二人の男が立っていた。その姿は、どこかの屋敷の召使のように、上着の下にそろいのベストを着ていた。そして揃いの、ある意匠・・・重ねた手の形をかたどった銀色のブローチを付けていた。



「だれだい、きみたちは?」



歩き出そうとすると、男たちはゼフィルが進む道を塞ぐように、その前に立ちはだかった。



「奥方様が、お前を所望している。 一緒に来い」


「え? どこの奥方様?」



すると半ば馬鹿にしたような目つきで、ゼフィルの顔をみる男たち。



「よそ者なら、知らぬのも無理はないな。

この地を治める、エルベン侯爵夫人だ。 来い」



男は無遠慮にもゼフィルの腕を掴んだが、ゼフィルはその手を振りほどいて男の胸をドン、と勢いよく押しやった。よろけてテーブルの角に体をぶつける男。



「こいつ・・・」



ゼフィルは腕を組んで仁王立ちした。



「エルベン? たかだか侯爵夫人風情が、ぼくに何の用さ」


「なんだと? このダンサー風情が、身分をわきまえろ!」


「ひょっとして、爵位をかさにきて、無償でぼくを抱こうってわけ?」


「・・・ご機嫌を損ねなければ、終わったあと、報酬があるはずだ」


「へえ・・・条件付きなんだ。

それにしてもちょっと、図々しすぎるんじゃないかな?

ぼくはここで踊ってはいるけど、決して安くないよ」


「・・・報酬ははずむと聞いている」


「へえ・・・聞くけど、いくら?」


「50万ゲルト」


「安っ!!! やめてくれよ、そんなはした金!」



ゼフィルは大げさに、へどを吐くようなしぐさをして見せる。

男二人は目をむいた。



「はした金とはどういうことだ! 俺らの一年分の給料より多いぞ」


「へえ、安月給の骨折り損ってやつだね。 ご苦労様」


「この野郎・・・」



ゼフィルに対し、拳を握って間合いを詰める男二人。



「おいおい、ぼくは商品なんだろ?

ぼくをボコボコに殴っても良いわけ?」


「顔さえ傷つけなければ、多少手荒にしても良いと、許可を得ている」


「そんなことされたら、ぼくは明日からここで踊れないよ?」


「明日のお前の予定より、奥方様の要望の方が勝るんだよ、この地では」



そう言いながら男のひとりがゼフィルの腕を荒っぽく掴んだその時、楽屋の扉が大きく開いた。一人の人物がさっと入り込み、二人の男の襟首をわしづかみにした。後ろに勢いよく引っ張られた男たちは、息がつまって中腰のまま動けない。



「誰だ、お前は!」



彼らの襟首をつかんだのは、粗末な麻の頭巾を深くかぶった、背の高い白衣の女だった。女は慣れた足つきで、男たちの足を背後から蹴り付け、床に跪かせた。



「イロナ!!」


「お前が一向に帰ってこないから、私は食事をせずに待っていたんだが、

まさか襲われているとはな。 こいつらは何者だ、シルヴァン?」


「エルベン侯爵夫人が遣わした、ごろつき共だよ。

たった50万ゲルトで、夫人はぼくを囲いたいんだって」


「ふうん、エルベン・・・聞いたことがないな。

最近、爵位を得た者たちか、お前ら?」


「く・・・そ、その通りだ! 

国王陛下とコルゼン大司教によって、正式に爵位を賜ったのだ、我らのご領主さまは!」


「コルゼンか・・・」



頭巾をかぶったイロナことキリは、襟首の力を緩めぬまま考えを巡らせた。



「苦しい・・・息ができぬ」


「なるほど・・・事情は分かった。 お前ら、よく聞け。

私はシルヴァンの妻だが、夫を身売りさせるには、その値段は安すぎる。

500万ゲルト用意すれば、一緒にティータイムを過ごさせてやる、と伝えろ。

500万ゲルトで一時間のティータイム代だ、分かったか?」


「く、苦しい、離してくれ・・・」


「分かったから、離せ・・・」



キリは少しだけ力を入れて、男たちを床にぶつけるように手放した。男たちは思い切り顔面を床にぶつけ、一人は鼻から血を流した。



「くそ・・・覚えてろよ!」



ごろつきらしく、語彙力のない捨て台詞をはいて、男たちは背を丸めて楽屋の扉から逃げ出していった。男たちが去り、二人きりになるとキリは小声でつぶやいた。



「コルゼンが、やはり動いているな。 

貴族の称号をあくた者に与えているとは、ずいぶん滅茶苦茶なことを」


「あいつらの胸のバッジ、みた? エイドール教の印だね。

秘密結社みたいなのがあるのかも。 

で、幹部に対して、ランクにみあった爵位を与えているのかもしれないね」


「うむ。 そうかもしれん」



ゼフィルはそそっとキリのそばにより、袖を両手できゅっと掴んだ。



「ええん、怖かったよ、イロナ・・・」


「甘えるな、このボケが」


「なんでさ! ぼくはごろつきに襲われたんだよ?

ぼくが可哀そうだと思わないわけ? なぐさめてよ!」


「焼け焦げた死体を、二つ作らずに済んで、よかったな」


「なんでだよ、まったくもう・・・

ああ、たいてい一度や二度は、こういうおかしな問題が起きるんだよ。

それもこれも、ぼくがあまりに美しすぎるからなんだけど」


「うん・・・世間の考えることは、よく分からんな」


「なんで?! きみはぼくを美しいと思わないわけ?」


「ふん・・・自画自賛しているうちは、大したことないんじゃないのか?」


「ひどい・・・ひどいよ、イロナ。 ぼくは傷ついちゃった」


「ところで、腹が減ったぞ、シルヴァン」



案外気の合うような会話を交わしながら、二人は楽屋をそっと後にした。




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