第10話 最終層 ― 終わりの頁、始まりの行

 夜が明けた。

 白聖堂の塔の先端に、初めて“金”の光が差し込んだ。

 長く白一色だった空が、わずかに色を帯びていく。

 青でも灰でもない、混じり合うような色。

 それは“朝”というよりも、“始まり”の色だった。


「……いくぞ」


 俺は〈祈りの鍵〉〈記録の鍵〉〈虚無の鍵〉を胸元に下げ、聖堂の階段を下りた。

 セリスとリュナが後ろに続く。

 階段の壁面には古代の文様が浮かび上がり、三人が通るたびに淡い光を放った。

 それはまるで、記録そのものが「行を進めている」かのようだった。


 やがて、地下の最奥――“門”の前にたどり着く。

 昨夜見た時とは違っていた。

 門の表面には、すでに“行”が刻まれている。

 それは誰の言葉でもない、無数の祈りの断片だった。


 ――ありがとう

 ――痛みを忘れたくない

 ――もう一度、書きたい

 ――終わりを、選びたい


 文字が絶え間なく浮かんでは消えていく。

 まるで世界中の“想い”がこの門に流れ込んでいるようだった。


「これが……“最終層”か」


「そう。神々が残した“最後の頁”」

 リュナの声は静かだった。

 その手には、虚無の鍵が淡く光っている。

 セリスが祈りの鍵を取り出し、門の右側に差し込む。

 続けて俺が記録の鍵を左の台座へ。

 最後に、リュナが虚無の鍵を中央に。


 三つの鍵が揃った瞬間、世界が鳴った。


 低く、しかし確実に地の底から響く音。

 石と風と光が共鳴し、文字がひとつひとつ、歌のように震える。

 門の文様が回転を始め、光が中心に収束していく。


「三つの位相、同調開始」

 セリスの声が震える。

 「祈り、記録、虚無――三つが重なれば、書き換えが始まる」


 光が門を覆い、視界が白に染まる。

 風の音も、声も、すべてが遠のいた。

 ただ一つ、心臓の鼓動だけが響く。

 それは三つ――俺、セリス、リュナ。

 別々の拍が、次第にひとつのリズムに溶けていく。



 ――そこは、何もない場所だった。

 色も、音も、影もない。

 けれど、確かに「広がり」があった。

 視界の先に、“未記述の頁”が一枚だけ、浮かんでいる。


 俺たちはその前に立っていた。

 筆も紙もない。

 あるのは、意志だけ。


「ここが“再構築”の始まり」

 リュナが囁く。

 彼女の髪が風のように揺れる。

 「この頁に書かれることが、次の世界を決める」


「誰が書く?」

「三人で」


 セリスが頷いた。

 「祈りが初めの一行を、記録が中を、虚無が結びを」


 俺は息を整える。

 この瞬間に何を書くかで、すべてが変わる。

 神々は消えた。

 世界の形も、記録の意味も、もう決まっていない。


 ――なら、俺たちは、何を残す?


「……まず、“忘れない”と書こう」

 リュナが小さく言った。

 「虚無は消すためじゃなく、“忘れることを許す”ためにある。

  でも、許すことと、消すことは違う。

  だから、“忘れない”と書く」


 彼女の指先が光を描く。

 頁に最初の一行が刻まれた。


 ――“忘れない”


 それは静かで、けれど凛としていた。

 セリスが続く。

 「では私は、“信じる”と書きます。

  祈りとは、信じることそのものですから」


 光がその隣に重なった。


 ――“信じる”


 そして、俺は筆を取るように指を動かした。

 「最後は……“書き続ける”」


 ――“書き続ける”


 三つの行が並んだ瞬間、光が頁全体に走った。

 白い世界が震え、色が流れ込む。

 青、緑、橙、紅――記憶の断片が無数の線となって走り、

 それぞれの行から枝葉のように世界を描き出していく。


 風が生まれ、空ができ、光が芽吹く。

 遠くに街が見えた。

 市場の声、鐘の音、笑い声。

 “再構築”が始まった。



「……兄さん」

 光の中で、リュナがこちらを見る。

 その瞳には涙が浮かんでいた。

 「神々の記録が、もう消える。

  でも、代わりに人が書く」


「ああ。神の頁は閉じ、人の物語が始まる」


 セリスが微笑む。

 「祈りの剣も、今はもういらない。

  この光が、私たちの武器です」


 光が強くなる。

 頁が完全に閉じる寸前、最後の一行が自動的に浮かび上がった。

 それは、神々の残した言葉だった。


 ――〈記録者よ、余白を恐れるな。

   余白こそが祈りを宿す。〉


 風が吹く。

 頁が静かに閉じ、三人の姿が光に包まれた。



 ――目を開けると、朝だった。

 青い空。

 白聖堂の鐘楼。

 市場の喧噪。

 人々が笑い、空に色を放っている。


「……戻ったのか」


 セリスが息をついた。

 「記録も、虚無も、祈りも――全部、世界の中に溶けましたね」


 リュナが頷く。

 「神々の声はもう聞こえない。けど、静かで、温かい」


 俺は空を見上げた。

 そこには、薄い雲のように広がる光の帯があった。

 まるで、未完の頁のように。


「これが“続き”なんだな」


 風が吹く。

 遠くの鐘が新しい時を告げた。

 白聖堂の上で、最後の光が消える。

 その瞬間、世界は確かに、書き換わった。


終章予告


第11話「余白の書き手」

再構築の後、レオンたちはそれぞれの道を歩み出す。

神なき世界に残された“余白”――そこに書くのは、人の物語。

記録は終わらず、祈りは形を変え、物語は“読む者”の手に渡る。

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