第3話 崩壊の谷と聖女の涙
夜明けの風が冷たい。
封印庫から戻った俺とセリスは、東の山脈を目指していた。
目的は――二つ目の秘宝〈聖女の涙〉。
「“崩壊の谷”は、数十年前の戦争で地形ごと消し飛んだ場所です。
近づく者は少なく、今では“呪われた地”と呼ばれています」
セリスが馬を操りながら言う。
彼女の横顔は真剣そのもので、青い鎧の輪郭が朝日に照らされていた。
「呪われた地、ね……。何が出てくるかわからない場所ってわけか」
「ええ。ですが、そこに封印された〈聖女の涙〉は、かつて世界を癒した力そのもの。
封印庫の継承者が開けば、必ず新たな記録が蘇るはずです」
“記録”――。
それは、神々が遺した世界の真実。
そして俺のスキル〈保存庫〉が本来持つ“目的”でもある。
ただ物を仕舞うだけだと思っていた力が、世界の歴史を保存していたなんて。
まだ信じ切れてはいない。
けれど、心のどこかで確信が芽生え始めていた。
俺の中に眠る何かが、呼び覚まされていく感覚。
*
正午を過ぎるころ、地平線の向こうに黒い霧が見えた。
霧の中から突き出すのは、折れた塔、崩れた橋、ひび割れた大地。
“崩壊の谷”に違いなかった。
「……空気が重いな」
「魔力の残滓です。何百年も前の大戦の名残。
この谷は、神々と人が最後に衝突した場所だと伝えられています」
セリスの声が低く響く。
俺は無意識に右手の印――〈保存庫〉の紋章を握りしめた。
指先に微かな脈動を感じる。
「近づくだけで反応しているな」
「封印が近い証拠です。……気をつけてください。何かが起きます」
その言葉の直後だった。
地面が震え、轟音が響いた。
谷の奥から、黒い霧が噴き上がる。
霧の中から現れたのは、巨大な影――翼の折れた竜の残骸。
骨だけの身体に、瘴気がまとわりついている。
「……死竜。まさか、まだ動いていたとは」
セリスが剣を抜く。
俺も構えを取るが、竜はあまりに大きかった。
呼吸するたびに地面が揺れ、空気が圧し潰されるように重い。
「行くぞ――〈保存庫〉展開!」
空中に魔法陣がいくつも浮かぶ。
そこから、光の粒子とともに武具が飛び出す。
折れた剣、欠けた盾、砕けた鎚。
かつて“役立たず”として捨てられたものたちが、俺の呼びかけに応じるように光を放った。
「俺の倉庫を笑った奴らに教えてやる。
本当の力は、見た目じゃわからないんだ!」
剣を振るう。
光の刃が竜の骨を切り裂いた。
しかし、黒い霧がすぐにそれを修復する。
ただの物理攻撃では意味がない。
「再生している……!」
「死竜は“呪い”で形を保っています。封印を解かねば倒せません!」
セリスの声が飛ぶ。
その瞬間、俺の視界に浮かび上がる光の文字。
――〈封印反応:聖女の涙〉
――〈位置特定:死竜心臓部〉
「心臓の奥か……! あそこに〈聖女の涙〉が封じられている!」
「ならば行くしかない!」
セリスが地を蹴った。
彼女の剣が光を引き裂き、竜の骨を裂く。
俺はその隙を突いて〈保存庫〉を開き、内部の光を最大限に展開した。
“封印庫”の扉が再び姿を現す。
あの漆黒の扉が、今度は竜の胸の奥に重なる。
「〈封印解読〉――発動!」
強烈な光。
竜の咆哮。
圧力で体が押し潰されそうになるが、引くわけにはいかなかった。
これが、俺の役目だ。
光が収まった時、そこには透き通るような宝石が浮かんでいた。
青い雫の形をした石――〈聖女の涙〉。
同時に、竜の身体が崩れ落ちた。
骨が粉々に砕け、黒い霧が風に溶けていく。
「……やったのか」
「封印、解除完了。これで一つ目の記録が開かれます」
セリスが静かに呟いた。
その言葉の通り、俺の頭の中に光景が流れ込む。
記憶。声。風。祈り。
――〈ここに記す。神々は人を滅ぼそうとしたのではない。
人を“残す”ために、自らを封じたのだ〉
映像の中で、光に包まれた人影が微笑んでいる。
その姿はまるで、誰かを慈しむようだった。
「……これは、“神の最後の願い”か」
「あなたが解いた封印が、それを伝えたのです。
世界は滅びを選んだのではなく、再生のために眠ったのだと」
セリスの声が震えていた。
彼女の頬に、一筋の涙が伝う。
その雫は、まるで聖女の涙と同じ色をしていた。
「……セリス」
「私は、ようやく信じられます。
神々は人を見捨てたのではなく、託したのですね。あなたに」
託された――。
その言葉が胸の奥に沈んだ。
俺の〈保存庫〉に眠るものたちは、ただの遺物じゃない。
過去の命、想い、祈りそのものだ。
「だったら、やるしかないな。
全部取り戻してやる。神々が残した“真実”を」
俺がそう言うと、セリスが静かに頷いた。
その瞳には確かな光が宿っていた。
「次の封印は、北方の廃都“アーケル”。
そこには、戦争を終わらせた“魔王の心臓”が眠っています」
「いいね。最弱の倉庫係が、魔王の心臓まで運ぶってわけか」
自嘲混じりに笑う俺に、セリスも小さく笑い返した。
夜明けの光が二人の影を長く伸ばす。
風が谷を吹き抜け、静かに世界を洗うように音を立てた。
「――行こう、セリス。次の扉を開けに」
追放された最弱の男と、誓いを立てた女騎士。
その歩みが、世界の再生を告げる最初の一歩となった。
次回 第4話「廃都アーケルと沈黙の魔王」
封印を解いたレオンの〈保存庫〉は、さらなる進化を遂げる。
しかし、廃都で待つのは“過去の英雄”の影――そして、新たな追放者たちとの邂逅。
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