最後の仕事

木工槍鉋

私の記憶が続く限り

「あの建物、本当に取り壊すんですか?」

彼女は私の横顔を見つめながら言った。

「絶対に阻止する」

私は答えた。目の前に聳える白い建物を見上げながら。五十年前、私が設計した最初の美術館だ。曲線を多用した外壁、自然光を計算し尽くした吹き抜け。当時の建築雑誌は「光の詩人」と私を呼んだ。

「でも、耐震基準の変更が…」

「補強すればいい。これは文化遺産なんだ」

私は力強く言う。何度も繰り返してきた主張。

「先生の気持ち、わかります」

彼女の声が優しい。

「愛される建築は永遠に残るべきなんだ。人の命は有限でも、建物は次の世代に受け継がれる。それが建築家の使命だ」

エントランスに入る。受付の女性が私に会釈した。毎日来ているから、顔を覚えられている。

吹き抜けのホールに差し込む光が、床に複雑な影を落とす。この光の設計に3年を費やした。季節ごとに、時間ごとに、光は表情を変える。

「ここの光、本当にきれいですね」

「だろう? この建物は百年後も、二百年後も、人々を感動させられる。だから残さなければならない」

私は熱を込めて語る。

「そうですね」

階段を上る。二階の展示室、三階の休憩スペース。すべての空間が完璧だ。一つの妥協もない。

屋上に出た。街を見下ろす。

「見ろ、あちこちに安っぽいビルが建っている。20~30年で取り壊される建物ばかりだ。私の建築は違う。永遠を目指して設計した」

「先生の情熱、すごいです」

彼女が微笑む。

「この建物を守るための署名、もう三万人集まったんだ。市長に直談判する約束も取り付けた。必ず残してみせる」

「そうですね、きっと」

彼女の声が少し震えている気がした。

「さあ、明日も陳情に行かなければ。この建物は私の命より大切なんだ」

エントランスを出ると、彼女は私の腕を優しく支えた。

「お父さん、また同じこと言ってたわ」

受付の女性に、彼女が囁く。

「建物、五年前に取り壊されたって、もう何度説明しても…」

「わかってる。でも、お父さんの中では今も戦ってるの。取り壊しを止めようとして」

私は娘と一緒に、空き地を後にした。

また明日、あの美術館を守りに来よう。署名を集めに、陳情に。

建築は永遠に残るべきだ。

私の記憶が続く限り、あの建物は取り壊されることなく、今日も戦い続けている。

永遠に。

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最後の仕事 木工槍鉋 @itanoma

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