第10話 光の教団と、裏界の囁き
冥界に暁が満ちてから、ひと月が経った。
黒曜石の街には市が立ち、魂花を織り込んだ布を売る声が響く。
長き闇の中では想像すらできなかった“日常”が、今では誰の手の中にもあった。
けれど――その平穏を、遠くから見つめる目があった。
***
地上、人間界・聖都アステリア。
白銀の尖塔が並ぶ大聖堂の奥、地下の聖堂会議室。
そこに集うのは、聖教会の最高幹部たち。
彼らの前で、一人の青年が跪いていた。
「報告いたします。“堕天の使徒カイン”が、冥界の王女と接触しました」
「……やはり裏切ったか、カインめ」
低く響く声。
教皇に次ぐ第二の席、“枢機卿レグナ”。
神聖魔法を操る老魔導師にして、聖教会の実質的な最高権力者。
「冥界は再び力を蓄えつつあります。
――そして、冥王の後継者が現れました。名は“エリス”」
「処刑されたはずの女か」
「はい。ですが、蘇り、冥界を統べております。
現在、“人間界との会談”を準備中とのこと」
ざわめきが起こる。
老枢機卿は、静かに手を上げた。
「ならば、我々が先に動く。
“光の教団”を再編し、冥界を正す“神の審判”を下すのだ」
「しかし、彼女は和平を――」
「和平? 違う。あれは“堕落”だ。
神の理に背き、魔と手を取り合うなど、許されぬ罪。
その芽を摘むのが、我らの使命だ」
老枢機卿の背後の聖像が、淡く光る。
その瞬間、地下に響いたのは――神ではなく、何か別のものの囁きだった。
「……滅ビハ、光カラ来ル……」
「今のは……?」
「気にするな。――神の啓示だ」
だが、その声は確かに冷たく笑っていた。
***
一方その頃、冥界の王城・暁の間。
エリスとカインは、聖教会の使節団の動きを監視していた。
「聖都アステリアに、“光の教団”が再結成されたそうです」
リリアが報告書を差し出す。
カインはそれを受け取り、眉をひそめた。
「……早いな。
俺が抜けてから半年も経っていないのに、もう“新生聖教”が動くとは」
「陛下が消えたことで、神の威光が強まっているのかもしれません」
「いや、違う」
カインが低く呟く。
その瞳が、光の奥に潜む“影”を見据えていた。
「この再結成の背後に、“別の存在”がいる。
俺が天界にいたころから感じていた……“裏界”の気配が」
「裏界……?」
エリスが眉を寄せる。
カインはゆっくりと説明を始めた。
「天界でも冥界でもない、第三の層。
“神と魔の狭間”に棲む、名もなき存在たち。
天使にも悪魔にもなれず、理の外に弾かれた魂の集合体だ」
「そんな存在が……?」
「彼らは、神々が捨てた“残響”のようなもの。
だが今、“理の継承者”――つまりお前の誕生によって、再び目を覚ましつつある」
「まるで……ルシフェルの喪失を、狙っていたように」
「そうだ。あの戦いは、偶然じゃなかった。
セレーネでさえ、“裏界”の囁きに操られていた可能性がある」
エリスの手が震える。
再誓花が淡く光り、指輪の中の刻印が熱を帯びた。
「もしその存在が、“神の声”を装っていたとしたら……?」
「聖教会が、それを“啓示”だと信じても不思議はない」
「つまり、“光の教団”の背後にいるのは、“神”ではなく――」
「“裏界”だ」
沈黙。
空気が重く沈む。
エリスは深く息を吸い、顔を上げた。
「……なら、もう一度“外交”を行うしかありません」
「何?」
「彼らが何を信じているのか、確かめる必要があります。
敵としてではなく、“同じ理を求める者”として」
「危険すぎる。向こうは“異端”と見なすだろう」
「だからこそ、私が行くんです。
この世界を“理”で繋ぐために」
カインが目を細めた。
その表情には、怒りでも呆れでもなく、どこか誇らしさがあった。
「……まったく。あなたという人は、王に似てきた」
「陛下に?」
「ああ。信じることに、愚直なほど正直だ」
エリスは小さく笑った。
そして、静かに言った。
「私が“愚か”でいられるのは、信じる人がいたからです。
陛下も、あなたも」
「……困ったな。そんなふうに言われたら、護るしかない」
カインが指先で彼女の髪をすくった。
光の羽が静かに広がり、柔らかな光が二人を包む。
それは戦の誓いではなく、“信頼の誓約”のようだった。
***
その夜。
冥界の最深部、“忘却の谷”にて。
崩れた石碑の上で、ひとつの影が動いた。
「……目覚メノ刻、来タリ」
声は、風と共に広がる。
地面が震え、闇の中から、黒い蔦が這い出した。
それは魂花を呑み込み、光を奪っていく。
「神ニ捨テラレ、魔ニ拒マレシ我ラ……
今コソ、“第三ノ理”ヲ示サン――」
その中心に、ひとりの男が立っていた。
褐色の肌、金の眼、そして背に黒と白の混ざった翼。
その名を、誰もまだ知らない。
だが彼こそ、“裏界の王(キング・オブ・ネザ)”だった。
「――光も闇も、我が糧。
神も魔も、我が遊戯。
……理ノ外ニ、新シキ理ヲ創ラントス」
その笑みは、静かな破滅の始まりだった。
***
翌朝。
エリスは執務室で、一通の封書を受け取った。
それは、地上の聖都からの正式な文書だった。
『冥界代表、エリス=フォルティア殿。
貴殿の提案する“二界会談”を承認する。
ただし、会談の場は“聖断の門”とする。
光の神の御前にて、真理を語れ。』
「……罠、ですね」
「確実にな」
カインが書簡を読みながら呟く。
「でも――行きます」
「予想してた」
彼女は微笑んだ。
恐怖よりも、信念の光の方が強かった。
「陛下が選んだ“未来”を、私が完成させます。
もう、逃げません」
「なら、俺も行く。……二人で行こう、暁の王女」
エリスが頷く。
再誓花の花弁が、再び光を帯びた。
その光は、まるで“門”の方角を指し示しているかのようだった。
🌑次回予告(第11話)
「聖断の門、再び」
二界会談がついに開幕。
だが、光の教団の背後には“裏界王”の影。
――信仰と理性、愛と裏切りが交錯する、世界再編の第一歩。
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