第2話 冥界の晩餐と、嫉妬の宮廷
冥王城の大広間は、まるで夜そのものを閉じ込めたような場所だった。
黒曜石の壁、紫水晶の燭台、流れる炎は青く、光を放ちながらも熱を持たない。
その中央、長く伸びた晩餐の卓の端に、私は座らされていた。
「本日の献立は“冥火の鳥”と“魂花の蜜酒”でございます」
銀髪の侍女・リリアが恭しく告げる。皿に盛られた料理は美しく、どこか現実離れしている。
肉は光を帯び、香りは甘く、ひと口ごとに体の奥に力が満ちていくようだった。
「この冥界では、食は魂の強さを保つための儀式だ。味覚ではなく、意志で味わう」
対面の席に座るルシフェルが、ゆるやかにワインを傾けた。
「……なるほど。意志を喰らう世界、というわけですのね」
「ふ、理解が早いな。やはり“人の王都”の貴族教育は侮れぬ」
その声音には、皮肉ではなく純粋な感心が含まれていた。
けれど、その瞬間――扉の奥から、ざわめきが起きた。
「陛下、まことにそれは……!」
入ってきたのは、漆黒の鎧をまとった魔族たち。
彼らは私を見るなり、険しい顔をした。
「なぜ、人間を晩餐に招くのですか。冥界の花嫁とはいえ、まだ正式な婚姻は――」
「黙れ」
ルシフェルの声が低く響いた。空気が凍る。
その一言で、誰もが息を飲んだ。
「この娘は“我の客”である。口を慎め」
「……は、はい」
彼らは一斉に頭を下げた。
けれど、冷たい視線は消えない。
“人間”である私が、彼らにとってどれほど異物か、痛いほど伝わった。
(なるほど……これが、“外交の場”というわけですね)
私はワイングラスを静かに持ち上げ、微笑んだ。
「陛下。もしお許しいただけるなら、少し話をしてもよろしいでしょうか?」
「構わぬ。お前の考えを聞こう」
その返事を得て、私は席を立った。
視線を集めながら、堂々と魔族たちを見渡す。
「皆さま。私は人間ですが、敵として来たわけではありません。むしろ――皆さまの王が治める“冥界”の繁栄を願う者として参りました」
「……繁栄、だと?」
「ええ。人間の世界では、冥界は“恐怖”の象徴とされています。けれど、こうして見ていると……実に整然と、美しく秩序立っている。
――恐怖ではなく、尊敬を抱くべき文明です」
沈黙が落ちた。
誰も予期していなかった言葉だったのだろう。
「貴族らしい口の巧さだな」
低くつぶやいた魔族のひとりが、私を値踏みするように見た。
「ええ。言葉で生き延びるのが、貴族の芸ですもの」
微笑を返す。挑発ではない。だが、“退かぬ”意思を込めた。
その瞬間、ルシフェルがわずかに目を細めた。
彼の瞳の奥に、わずかな愉悦が光る。
「見たか、アルバ。これが“人の言葉”の力だ」
「……陛下」
「我々が武で治めるなら、人間は“言葉”で世界を繋ぐ。――面白いだろう?」
魔族たちは顔を見合わせ、やがて沈黙した。
反発と理解の狭間で、揺れているのが見える。
(言葉ひとつで、空気は変わる。
人間の宮廷も、冥界の宮廷も、それは同じ)
この場で下手に出れば、軽んじられる。
けれど、誇りを見せれば、敵意は“興味”へと変わる。
それは外交の鉄則だ。
「よい。――お前を我が宰相たちの前に正式に紹介しよう」
「え?」
「今日をもって、エリス=フォルティアを“冥界第一后候補”とする」
大広間がざわめきに満ちた。
魔族たちが一斉に顔を上げ、怒号と驚きが交錯する。
「ま、待ってください陛下! それはあまりにも――」
「反対するか?」
「い、いえ……!」
ルシフェルがゆっくりと立ち上がり、私のそばへ歩み寄る。
その紅い瞳が、まっすぐに私を射抜いた。
「エリス。お前は人間でありながら、冥界の者たちを言葉で動かした。
我に必要なのは、恐怖ではなく“対話”を知る花嫁だ。――お前以外に誰が相応しい?」
「……陛下」
その言葉に、胸が熱くなる。
誰も信じてくれなかった過去が、一瞬で塗り替えられていくようで。
けれど同時に、背後で感じた無数の視線が冷たく刺さった。
(なるほど……“嫉妬の宮廷”というやつですわね)
魔族の貴婦人たちの間から、明確な敵意が立ち上る。
これで、私は正式に“政敵”としても認識されたわけだ。
「ふふ、どうやら退屈はしなさそうです」
「退屈など、許さぬ」
ルシフェルは私の耳元で低く囁いた。
その声に、背筋が粟立つ。
「我が后となる者よ――冥界は、甘くはないぞ」
「望むところですわ、陛下」
微笑んだ瞬間、燭台の炎が揺れた。
青い光が二人を照らし、まるで“誓約の儀”のように静かに燃える。
その夜、冥界の歴史がわずかに軋みを上げた。
“人間の令嬢”が初めて宮廷の中心に立った夜だった。
🌙次回予告(第3話)
「血の契約と、魔王の過去」
冥王が抱える“古き傷”と、“戦の理由”が初めて明かされる。
彼の優しさの裏にある絶望とは――。
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