三章
吹雪とシロガネ
分からない。どうにも分からない。シロガネの思考は行き詰まっていた。
普通に考えて、これまでの吹雪は連兵として信頼できる行動をしている。訓練も、事務も、そして実戦も。異性差というものはあれど、ベルタの時と同じように過ごせている。
むしろプラティナム3という序列に相応しい力を示しており、一部を除いて周りもそれを認めている。
だが、ならばなぜ。
なぜ、彼は五度も連兵を喪っているのか。
それだけがシロガネの心に重く縛り付けられている。理想的とも言えるほどの実力を持ちながら、なぜ吹雪だけがそうなっているのか。
憲兵隊であれば違法術者と戦闘になるのは日常茶飯事だ。シロガネの所属していた第四憲兵隊でもそれは変わりがなかった。激戦とも称される大捕物に参加したことも何度もあるし、ベルタとお互いに死を覚悟したこともあった。
けれども、それでも五度の喪失はやはり異常だ。
吹雪の実力、振る舞いと、大きな過去。その差異はどこから来るのか。
それを問い質そうにもリンクを閉じてしまっているし、普段の雑談でそういった話題に及びそうなときは口を閉じてしまう。自己紹介の時の言及は特別だったのだろう。
どうにも分からない。
生来、シロガネは生真面目である。ではあるが、答えの出ない問題を考えるのは苦手でもある。生真面目なだけに同じ所を延々と回り続けるような思考になってしまうのだ。
ただ、同時に柔軟さもあった。自分で分からないのであれば他人に聞けばいい。そして、幸いにも彼女には敬愛すべき人生の師匠がいる。
戸をくぐり、ただいまと声をかける。居間から母親の返答があり、そのまま自室に向かう。彼女が住むのは、国が混沌へと陥ったがために保護文化指定された桜国特有の建築物件だ。和室に鞄を置き、そのまま着替えもせずに祖母の部屋へと向かう。
「お婆ちゃん、シロガネだけどちょっといいかな?」
「はい、どうぞ」
芯の通った声が応え、襖を開ける。白髪を結い上げた桜国人女性が背すじを伸ばし、花を活けていた。七十を超えるとは思えない流麗な手つきで目の前の花を文字通り活かしていく。
シロガネは隅まで静かに歩き、正座して待つ。子供の頃、構って欲しくて作業途中にちょっかいを出して酷く怒られて以来は終わるまで静かに待っている。
細く白い指先が丁寧に花を魅せ、時折響く鋏の音ですらなにか芸術性を感じさせる。
見る見るうちに花が美しく映えていくのが、自分の成したことではないのに誇らしげに思えてくる。
やがて満足行く出来映えになったのか、指が離れて一息を吐く。
シロガネの祖母であり、生粋の桜国人である。幼い頃に武道を学び、桜国が混血の国になってなお、桜国人であれと育てられたこの女性はその教えを今でも強く守っていた。
産まれた時には国が多数の手にこねまわされ、桜国そのものを知る期間は短かったにも関わらず、そうして厳格に生きている祖母をシロガネは自分のことのように誇りに思っている。
「シロガネ、どうかしたの?」
作業中の冷厳な雰囲気から一転、ふわりと包むこむような笑みを見せる。この祖母は躾の時を除くといつも優しい。そんな微笑みにつられるように笑顔を見せながら、もごもごと呟く。
「んー、ちょっとね。仕事のことで悩んでて」
対するシロガネの口調も子供の頃に戻っている。この祖母の前で虚勢を張っても仕方がないし、そうするつもりもない。
「シロガネ、いらっしゃい」
そんな孫娘をどう見たのか、祖母は正座したままの太ももを手の平で叩いた。一瞬躊躇うが、しかし祖母の笑顔に抗うことなく膝へと頭を乗せた。
「ん……お婆ちゃんの膝、久し振りだ」
「私も、シロガネの感触は久し振りだわ。こんなに大きくなったのねえ。子供の頃は手まりのような頭だったのに」
長じてからは両親にすらそういう風に甘えることのないシロガネは、しかし祖母にだけは無防備な姿を見せていた。武宮静香という女性にはそうさせるなにかがある。
祖母は微笑みながら優しく白銀色の髪を撫でてくる。その指先に自分のそれを絡めながら、自分と吹雪の関係をどう言ったものか迷う。
「ねえ、お婆ちゃん。間違ってないけど正しくもないことをどうにかするのって、どうしたらいいのかな?」
「うん? どういうことかしら?」
「ん……と、上手く言えないんだけど」
問い返してくる祖母に結局ありのままを話す。吹雪という純粋な桜国人のことや、彼に関する噂のあれこれ。魔術機動歩兵のリンクや連兵を組んだことと、彼自身の思い、それに対する自分の思い。そしてこれまでの思考の変遷を。
髪を手で梳きながら聞いていた祖母は、話が終わると緩やかに笑みを見せる。
「シロガネはどうしたいのかしら?」
やんわりと問いかける。この人はいつもそうだ、と思う。質問に対して答えを返すのではなく、まず考えさせてから自身がその考えを手助けして共に答えを導く。
「どうしたい、のかな? 私」
ぼんやりと連兵のことを思い浮かべる。二十歳と、人によっては新品少尉の匂いが抜けきらないような年齢らしからぬ冷静さを持った大尉の姿が蘇る。だが、その冷静さはある程度装われたものであるということに今のシロガネは気付いている。
自分とて軍人である以上は己を抑制している。だが、吹雪はそういった建前以上に自分を殺しているように思えてならない。何をしてそれを成しているのかといえば、いうまでもなく五度の連兵の喪失だろう。
絆を喪うのは怖いと言った。ならば彼は死神ではなくただの人間である。死神が死を厭うはずがないのだから。黑金吹雪は人間であり、魔術機動歩兵である。それはシロガネとなんら変わりがない。
しかしその彼の思い込みを解くのは難しい。リンクによって喪う恐怖を味わい続けた人間に、相互理解のためにリンクを開けと言っても意味はないだろう。たとえそれがお互いに生き残る確率を上げる手段だとしても。
だがこのわだかまりを抱いてしまった今となっては、相互理解は必要なものだ。連兵の相手に不審を抱いていては、いつか戦闘によってその代償を支払わされる。
おそらくは己の死という代償を。
そして自分が六人目になったら、おそらく吹雪は決定的に壊れてしまう。
「私は多分、彼を理解したいんだと思う。その上で自分がどう思うか、行動するか決めたい。でも、それにはリンクが絞られているから……」
吹雪の態度を思い出して口を噤む。そんな孫娘をあやしながら静香は笑う。
「私はシロガネとリンクを繋いでないけど、あなたのことを理解できていないのかしら?」
祖母の言葉に顔を上げると、視線を絡めた静香は眼を細めた。誰もが安心するような温かい笑みに包み込まれる感覚が広がる。
「グリューネヴァルトの家だって誰もリンクを繋いでいないけれど、私は娘夫婦のことを理解しているわ。もちろんシロガネのことも」
なにせオムツを替える頃からの付き合いなのだから、と言ってのける祖母に頬を赤くする。いくつになっても幼少の頃を持ち出すのは嬉しいような恥ずかしいような、奇妙な気分にさせられる。
「リンクというのは大切なもので、お互いを理解できることだというのは分かる。けれど人とはそれだけではないでしょう? いつも言っている通り、方法が一つしかないのではなく――」
「思考が一つしか捉えていない、だね?」
良くできましたと頭を撫でられる。それを甘受しながら吹雪の顔を思い浮かべる。常の鉄面皮。だがそれはなにかの拍子でわずかに剥がれ落ちる。そこから覗く素顔はおよそ死神という蔑称からは程遠いものだ。
絆を喪うのは怖いと言った時の顔。シロガネを喪いたくないと言った時の顔。
吹雪にあの顔ができる限り、自分は彼のことを理解しようと努めるべきだと思う。自分とて死にたい訳でもないし、戦場で剣を並べる人間と交わすのが無機質なやりとりというのはやはり心寂しい。それになにより自分は年上なのだから。
年上は年下を守り、導き、手を取らなければならない。
年長としての心構えはいつも目の前の祖母に叩き込まれている。
グリューネヴァルトの家を思い起こす。厳しくも優しい祖母と、いつも仲の良い両親が笑っている光景の中に自分がいる。お互いに理解のあるいい家族だと思う。さすがに魔術機動歩兵になると告げた時は難しい顔をしたが、それも自分を心配してのことだと理解していた。
祖母の言う通り人を理解するのはリンクだけではない。そんな単純なことすら忘れていた自分が恥ずかしい。リンクありきで考えすぎていた。まずは打ち解けて、そこからリンクを開けばいい。
なんのことはない、普通の人付き合いと変わりはない。そんなことにも気付かなかった自分は魔術機動歩兵という特殊兵科に毒されていたかと反省してしまう。
もちろん吹雪との関係はグリューネヴァルトの家とは違う。だから共に住む家族としてではなく、共に戦う仲間として関係を築いていけばいい。
桜国人は基本、実直な気質の民族である。そしてまた、その血を引くシロガネも素直な性格だ。そこには祖母の教育も影響している。
「うん、ありがとうお婆ちゃん。なんか私のやることが分かった気がする。やっぱりお婆ちゃんは凄いね!」
ゆえに思い立ったが吉日とばかりに起き上がり、祖母の頬に軽くキスをする。そういうところはジャーニア風の孫娘に祖母は笑いながら抱擁を受け、その背を撫でる。
「私にはその黑金君という子がどういう人かは分からないけど、聞く耳がある限り伝えられる事はある。頑張りなさい」
「ん、何とかやってみる」
よろしいと背を叩いて祖母が離れる。すらりと立ち上がったシロガネの顔は祖母に甘える孫娘ではなく、歴とした軍人の顔に戻っている。
そんな孫娘を眩しそうに見上げ、武宮静香はいつまでも微笑みを崩さなかった。
地面に盛られた、あまりにも小さな山をじっと見つめる。薄汚れた木の板を組み合わせて作られた墓標には短く『カノン』とだけ書かれている。
粗末に過ぎる墓だ。それが小さな子供のものであるなら、なおさらだろう。都市部に行けば飼い犬の墓でももっと丁寧に作られている。
だが、この貧民街ではこんな墓でもまともな部類だ。人知れず路地裏で死に、そのまま腐り果てて骨のままうち捨てられている死体などそこかしこにある。その骨すら一片の敬意もなく踏み砕かれ、路上の砂となるのが貧民街での死である。
「カノン……」
小さな手を土に汚したまま、逝ってしまった家族の名を呟く。学がなく、信ずるべき教えも持たない身では祈りの言葉も仕草もない。ただ名前を呟く。
家族と言っても血の繋がりはない。一緒に住んでいる大多数の子供と同じように、いつの間にか貧民街に捨てられていた子供同士というだけだ。カノンという名前も持っていたハンカチに縫い付けられていただけで、それが本名なのかブランド名なのかも分からない。金髪と白い肌から桜国が起源ではないと分かる、そんな程度である。
歌が好きな子だった。うろ覚えの歌や、家族が覚えてきた歌を教えてもらってはよく歌っていた。あまりにも歌が好きなので桜国の文字で名前に「歌音」と当て字をつけてやったら大喜びで跳ね回り、そこかしこに自分の名前を書きこんでいた。
夢はいつか首都の
その夢が叶うことはもうない。永遠に。
「吹雪」
後ろからの声に振り向くと家族の一人である
その花をそっと添え、吹雪と同じように墓を見つめる。
「カノン、さよなら」
死因は珍しくもない、風邪をこじらせたものが原因だ。普通の子供なら耐えられるはずの病気は、しかし貧民街にいる栄養失調の子供たちの命を容赦なく奪い去る。
カノンもそれに漏れず、元々弱い身体をさらに弱らせてついには逝ってしまった。
最後の最期、途切れ途切れに吹雪に歌を聞かせながら。
あるいは大人であれば薬を買うこともできたのだろう。だが自分たちは子供たちだけであり、頼れる大人はいない。一日中働いても日々の飢えをどうにか凌ぐだけの賃金しか与えられない。
その結果がカノンの末路だ。
「吹雪、大丈夫?」
すずめの問いに小さく頷く。
哀しくはある。忘れもしないだろう。けれど、それでも家族の死というのは貧民街においてありふれすぎる出来事である。たとえそれが十に満たない子供たちの集団であっても。
なにかを喋る代わりに歌を口ずさむ。カノンが好きでよく歌っていた歌のメロディを。
合わせてすずめが歌い出す。うろ覚えのメロディすら引き立てるようなすずめの歌声が、小さな広場に響き渡る。
拙いメロディと美しい歌声の合奏は墓土に染み入り、程なくして終わる。それが手向けであるかと言うように二人は同時に背を向ける。
「折れちゃだめよ、吹雪」
目の前にある粗末な小屋、自分たちが身を寄せ合う家を睨み付けながらすずめが言う。
「決して折れない鋼の心を。それを持ち続けなければ、生き残れない。私は生きるわ。だから、吹雪も生きて」
「すずめ……分かってるよ。でも、哀しい。寂しいよ。もう、カノンがいないなんて」
家に帰ってもあの淡雪のような笑顔は見られないのだ。これからずっと、一生。それは言い表しようのない喪失感だ。
拙い言葉ながらも吹雪の気持ちが伝わったのか、そこで初めてすずめが俯く。ぎゅっと唇を噛んでなにかに耐えるように瞼を閉じ、それを飲み下すかのように喉を動かす。
「そうね。でも私たちは生き続けなければいけない」
同い年であっても彼女はいつもこうして大人のような言葉を紡ぐ。そしてそれは常に正しい。言葉も行動も正しい。それが赤銅すずめという少女であり、吹雪たち孤児が貧民街で生き延びられているのも彼女の存在が大きかった。
「でも、私もカノンを忘れない。歌が好きで、上手くて、可愛かった私の妹を決して忘れない」
その言葉にすずめも自分と同じ気持ちだったと気付く。流れ落ちた一筋の涙を拭い、頷く。
「俺もカノンを忘れないよ。そして、生き続ける。すずめと一緒に」
仏頂面の吹雪とて気分が重い日はある。昔の――貧民街で暮らしていた頃の夢を見た朝などは特にそうだ。陰鬱な気を吐き出すように小さく溜息を漏らしてから、事務室の扉を開く。
「……何をしているんだ?」
事務室に入った吹雪が不可解そうな顔で尋ねる。視線の先に居るシロガネは家から持ち込んだ荷物を、流しの上でああでもないこうでもないと弄くり回している。
「見ての通り、携帯コンロを持って来たのよ。前に電気ポットではいいお茶を淹れられないと言ってたでしょう? ただ、いまいち置き場所が気に入らなくてね……うん、ここでいいかな」
ようやく配置に納得できたのか、コンロから一歩離れて満足げに頷く。その他にも部屋の隅に小さな棚やヤカン、茶葉入れや自分用の湯飲みなどを並べている。
「まあ、別に私物を持ち込むのは構わないが」
「私のだけじゃなく、君も持ってきていいわよ。棚には余裕があるから。というより既に君の湯飲みは収納しているわ。今後はここに置いてね」
指をさした先を見ると、確かに黒塗りの棚に愛用している湯飲みが伏せて置かれている。雲竜式の白い湯飲みが桜国式の棚によく似合っており、棚板に布巾が敷かれている辺りは彼女らしい細やかさである。
無表情に眺める吹雪の視線を訝しげと判断したのか、ふっと微笑む。
「前に、君はリンクは純粋な技術としてのみ使うべきだといったわね。それは今も変わらないんでしょう?」
吹雪が頷く。シロガネも頷き、やおら真剣な表情で己の連兵を見据える。静謐な瞳が年若の軍人をゆっくりと撫でる。
「私には君が分からない。君の実力は確かよ。判断にも迷いはなく、間違いもない。であるのに五度も連兵を喪った。私にはその原因が思い至らない。だから君を知りたいの。正直に言えば、今すぐリンクを開放して理解しておきたいわ」
棚に眼をやり、ついと縁に指を沿わせる。戦いに従事する、それでも女性らしさを喪っていない細く長い指が踊るように木目を撫でる。
興じたのもつかの間、すぐに顔を上げて吹雪を見やる。彼女の連兵はその視線を真っ向から受け止めて、続く言葉を待っている。
「だけど、君がリンクを絞りたいというのなら私はそれを尊重する。連兵とは相手を知り、尊重していくことで成り立つシステムだと思っているからね。一方の意思を無理強いするものじゃない。その代わり別のやり方で私のことを知ってもらい、君のことも教えてもらうわ」
「それが、これか?」
吹雪が私物を見やると、強く頷く。先程とは正反対のやりとりにシロガネは小さく微笑む。
「君はリンクで互いを理解し、そのために連兵を激戦へと引き込んでしまうと言ったわね。ならそうではないやり方ではどう? 普通に会話をして、仕事をして、時間を過ごして理解するやり方なら? 私たちは魔術機動歩兵であり、連兵であり、共に戦う仲間であり、そして人間でもあるのよ?」
人間、という言葉に吹雪がわずかに身を竦ませる。それがどういった感情の表れなのかは今は分からない。それを分かるようにしていくのがこれからの時間である。
人を理解するのはリンクだけではないという祖母の言葉が胸に沁み、まるで以前から持ち合わせていたように定着している。それがなぜだか嬉しくて、心からの笑みを見せる。
「と言うわけで私は香りの強い茶が好き。黑金少尉、君の好みは?」
「あ、うん。俺は味の強い方が好きだな。
唐突な問いに仮面をかぶりきれなかったのか、存外にあっさりと答える。表情もいくらか若者らしい闊達さを覗かせている。
「ふうん。茶菓子はどう? 私はヨウカンが好きなのだけれど、最近クッキーやケーキも桜国の茶に合うことに気付いたのよ。よければ今度試してみると君の口にも合うかも」
「俺は大福がいい。普通のな。苺やらはあまり好きじゃない――」
そこまで喋って奇妙に口を噤む。苦いものを飲み下したような顔にシロガネが首を傾げる。
「いや、何だか見合いのような会話だと思ってな」
「見合い? 確か男女が二人で結婚を前提に逢い引きをするという奴でしょう?」
「……微妙に知識が偏っているが、まあその見合いだ」
「いいじゃない。祖母に聞いたことがあるけれど、見合いというものは互いに初対面であり、ゆえにお互いを理解するためにそういう会話をするのでしょう? 今の私たちとさほど変わりはないはずよ。もちろん君と私は結婚を前提に付き合う仲ではないけれど、仲間としてなら吝かじゃあないわ」
楽しそうにくつくつと笑うシロガネに吹雪は小さく息を吐く。会話が不愉快なわけではなく、どうにも自分の感情を処理しきれていない顔だ。その顔を見て祖母の教えが間違いでなかった事を確信する。
「まあ、将来恋仲になるかも知れないというのは否定しきれないけれど」
「……君がその手の冗談を言うとは思わなかった」
ほんの少し、注視しても分からないぐらいわずかに唇の端を吊り上げた吹雪は、直後にそれを恥じるように常の無表情に収めた。それを見逃さなかったシロガネは一層笑みを深くしてその顔を見やる。
「私だって堅物という訳じゃないわ。冗談だって言うし、それなりに色恋にだって興味はあるわよ。黑金大尉は少し陰気だけれど、それでも私の好みからは大きく外れていないわね。そうね、真面目そうな所がいい。真面目というのは一番よ。なにせ、裏切ることがないでしょうから。嘘も裏切りも大嫌いなのよ私」
「……そりゃどうも」
妙に開けっぴろげな彼女に何を言ったものか、そもそも突然の豹変に未だ対応しきれていないのか、吹雪は妙な顔で返事をするだけだ。
根が真面目であるシロガネはそれだけに己の方針を定めると迷いがなくなる。リンク以外で親睦を深めると決めた以上、本人にとってはこの態度は不思議でも何でもない。だがそれを吹雪が知るわけもなく、急変したと訝しがっても無理はない。
その辺りはやはりお互いの若さゆえの拙さがあることが伺える。なんとはいってもこの二人は二十歳の青年兵と二十二歳の女性兵という、まだまだ未熟な若者同士だ。
だが、そんな二人を苛烈な戦闘においやるのが魔術結晶と、魔術機動歩兵という兵科である。
「急ぎはしないわ。まずはこうやってシロガネ・グリューネヴァルトという人間を知ってもらって、その上で黑金吹雪という人間のことを教えてもらえれば幸いよ」
「もし、それこそが君を戦場へと引きずる原因になると俺が判断した場合は?」
言ってから吹雪はわずかに眉根を寄せる。自分の発言が以前のやりとりそのままだということに気付いたからだ。前と違うのは、お互いの立場が逆になっていることである。
「私はそうは思わない。感情すら共有するリンクとは違って、こういった相互理解、その末にある行動原理は私だけのものよ。私は一個人としてその判断の責任を君に負わせるつもりはない。もっとも、それは軍人として当たり前のことだけれど」
笑顔を収め、それだけは力強く言い切る。言葉に気圧されたのか、無表情ながらもどこか憮然としたものを漂わせて吹雪が瞑目する。
そんな素直さが見えない顔を見てまた笑う。ころころと表情が変わる、しかしそれにもどこか凛としたものがあるのがシロガネ・グリューネヴァルトという女性だ。
「さて、それじゃあお茶を淹れようかしらね。まずは鵜戸の産に近い、味の強い奴を。飲んでみれば私も好きになるかも知れないし」
朗らかに笑う、その顔はどこまでも前向きに輝いていた。
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