第二章:『NPOってなんだっけ?』

第一話:『絶望は、ループする』

「…はぁ……今日もダメか……」


夕暮れの薄暗い光が、スラムの狭い路地を照らす中、俺、天沢健太は、泥と疲労にまみれ、とぼとぼと歩いていた。


『おい、帰れ!』『倉庫爆破魔を雇う金はねえ!』 今日だけで十回は聞いた罵声が、耳にこびりついている。 一日中、靴底を減らして仕事を探し回った結果が、これだ。稼ぎは、ゼロ。


やがて見えてきたのは、見慣れた、そして二度と戻りたくなかったはずの、古びた酒場『無音』。 俺は、裏口のドアに手をかける前に、ため息をついた。


「…クソッ。せっかく手に入れた『更地』も、近隣住民からの石投げ攻撃で、一晩で撤退…。おまけに、残ったのは銀貨2000枚の借金だけ…」


結局、俺たちは、あの無口なマスターに土下座して頼み込み、「毎晩の皿洗いと便所掃除」という労働と引き換えに、再びこのカビ臭い倉庫の隅を借りることになったのだ。 スタート地点に戻るどころか、借金を背負った分、マイナスからの再スタート。


「…マジで、どうすんだよ、これ…」


裏口の扉を開けると、ちょうどゴミ出しに出てきたドワーフのマスターと鉢合わせた。


「あ、マスター。お、お疲れ様です…」


俺が愛想笑いを浮かべると、マスターは無言で、俺の顔と、俺の泥だらけの靴を交互に見て、フン、と鼻を鳴らし、汚い雑巾を俺の顔面に投げつけてきた。


(…へいへい。足拭いて入れってことですね。分かってますよちくしょう)


俺は、顔についた雑巾の臭さに顔をしかめながら、倉庫へと続く重い扉を、ギィ、と音を立てて開けた。 そして、目の前に広がった光景に、本日何度目かの、深いため息をついた。 そこには、いつもの、そして、最悪の日常が広がっていた。


「ふふふ…見える…見えるぞ…」


まず、耳に飛び込んできたのは、リリスの不気味な独り言だった。 部屋の隅に、山のように積み上げられた、キラキラと(無駄に)輝く石ころ。 その前で、リリスが、恍惚とした表情で、石ころを一つ一つ、高級な布(俺の予備のシャツ)で磨いている。


「…おい、リリス。なんだ、そのガラクタの山は」


俺が声をかけると、リリスは、ギロリとこちらを睨んだ。


「ガラクタだと?口を慎め、小僧!これは、『幸運を呼ぶ魔石』だぞ!東の行商人から、特別に、格安で譲り受けたのだ!」


「幸運を呼ぶ…?どう見ても、その辺の河原に落ちてる石英のクズじゃねえか」


いぶかしげに聞く俺をリリスが怒鳴りつけてくる。


「愚か者め!貴様には、この内側から溢れ出る『波動』が見えんのか!この石はな、持っているだけで、ギャンブルの勝率が1.5倍になるという、統計学的データが出ているのだ!」


「どこのデータだよ!」


俺は、リリスが掲げて見せる石ころをひったくった。


「…リリスさん、それ、昨日俺が稼いできた、なけなしの銅貨三十枚…まさか、全部これに使ったんじゃねえだろうな?」


「うむ!全額投資した!」


リリスは、悪びれるどころか、胸を張った。


「私の、元女王としての卓越した相場眼が告げている。今が底値だ。これを磨き上げ、然るべきルートで売れば、我らの資産は、一万倍になる!」


「詐欺だよそれえええええええ!!」


俺は絶叫しながら石を床に叩きつけた。


「ただの詐欺師に騙されてんじゃねえかこの❘元女王ポンコツがァァァ!!銅貨三十枚あれば、黒パンが二十個は買えたんだぞ!」


「なっ…!私を疑うのか!?目先のパンより、未来の一万倍を選ぶ馬鹿がどこにいる!」


「今日食うパンがねえんだよ!」


俺とリリスが掴み合いになっていると、倉庫の奥から、鼻を曲げるような、強烈な異臭が漂ってきた。


「あらあら、組長様、リリスさん。お帰りなさいまし」


振り返ると、セシルが、満面の笑みで、大きな寸胴鍋を抱えて歩いてきた。鍋の中では、ドロドロとした紫色の液体が、ボコッ、ボコッ、と地獄の泡を吹いている。


「…セシル。なんだ、その…生物兵器は」


「失礼ですわね。これは、貧しい方々のための、『愛の特製シチュー』ですわよ」


「シチュー?色が完全に毒沼なんだが」


その場にいる全員が悪臭に顔をしかめる。


「ふふふ、本日は、食材費がありませんでしたので、わたくしの愛と交渉術と、フィールドワークで調達いたしました!」


セシルは、誇らしげに胸を張る。そのエプロンのポケットからは、なぜか、毒々しい斑点のあるキノコや、下水に生息する発光するナメクジの干物がはみ出している。


「…おい、まさかとは思うが…そのキノコ、どこで…」


「ええ、裏路地の、湿った日陰に、たくさん生えておりましたの!きっと、神が、わたくしたちの慈善活動のために、与えてくださった恵みですわ!」


「お前、貧乏人を『実験体』か何かと勘違いしてねえか!?」


俺は鍋の中身を指差して叫ぶ。


「それを、誰かに食わせたのか!?」


「ええ、もちろん!先ほど、広場で炊き出しを行いましたわ!」


セシルは、うっとりと両手を組む。


「まあ!皆様、わたくしの愛に感動したご様子で…。一口食べた瞬間、白目を剥いて、口から泡を吹いて、痙攣しながら『天国が見える…』と、そうおっしゃって…」


「臨死体験じゃねえか!!殺しただけだろうが、てめえ!」


「我々がお縄につく日も遠くないかもしれん。」


リリスもドン引きしながらそうつぶやく。


「あらあら、人聞きの悪い。ちゃんと、わたくしの浄化魔法で、清めて差し上げましたから、魂は安らかに…いえ、肉体も一命を取り留めたはずですわよ?」


「『はず』で済ませるな!NPOの認可が降りる前に、殺人団体で指名手配されるわ!」


俺がセシルの胸ぐらを掴んで前後に揺さぶっていると、服の裾を、くい、くい、と弱々しく引かれた。


「…あ…うぅ…」


振り返ると、イグニが、涙で潤んだ瞳で、こちらを見上げていた。 その手には、リリスが磨いていた「幸運の石」が握られている。 彼女は、その石を、ガリッ、ガリッ、と齧ろうとして、歯が立たずに諦めたようだった。


「…組長様…。いし…かたいです…」


「食うな!石は食いもんじゃねえ!」


「お腹…すきました…」


イグニの、お腹が、きゅるるるる…と、悲しげな音を立てる。


その、あまりに切実な一言。 リリスが詐欺に遭い、セシルがバイオテロを犯し、俺は稼ぎゼロ。そんな、地獄のような状況下での、あまりに無垢な、空腹の訴え。


怒る気力すら、どこかへ消え失せる。 代わりに、鉛のような無力感が、全身を襲う。


俺は、その場に、がっくりと、膝から崩れ落ちた。


「…もう、だめだ…」


その、完璧なタイミングで。 音もなく、俺のすぐ隣に、ザガンが顕現した。 彼は、この地獄絵図――石をかじる子供、毒鍋を持つ聖女、詐欺被害を誇る元女王、そして絶望するリーダー――を、どこか芝居がかった仕草で眺め回すと、心底、満足げに、拍手をした。


「素晴らしい!実に、素晴らしいぞ、人間!」


「…ザガン…何の用だ?」


「見ろ、この構図を!詐欺!毒殺未遂!そして、何もできない駄竜! 」


ザガンは、ケラケラと笑いながら、俺の顔を覗き込む。


「ああ、この救いのなさ!希望の欠片もない、純度100%の絶望!これぞ地獄の縮図よ!そう簡単にここまでにはならん。貴様、才能があるぞ!」


「…てめえ…楽しんでんじゃ…ねえよ…」


俺は、掠れた声で言い返すのが、精一杯だった。


俺たちは、カビ臭い倉庫の床で、今日も腹を空かせて、夜を迎えるしかなかった。

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