第二十一話:『最後の悪巧み』
その夜。倉庫の中は、どうしようもないほど冷たい空気で満ちていた。
天井に空いたネズミ型の穴からは、肌寒い秋の夜風が吹き込み、焚き火の残り火を、弱々しく揺らしている。雨漏りの水滴が、床の水たまりに、ぽつり、ぽつりと、単調な音を立てていた。
俺は、床に転がったまま、天井の染みを、ぼんやりと眺めていた。
(…痴漢…俺が、痴漢…)
頭の中では、スラムのゴロツキたちの嘲笑が、無限にリフレインしている。もう、何も考える気力がなかった。
イグニとセシルは、空腹と寒さに耐えるように、一枚の薄い毛布にくるまって、静かに寝息を立てている。
そして、リリスは。
ここ数日、彼女は誰とも口を利かず、ただひたすらに、どこからか見つけてきた、古びてカビ臭い法律書や、羊皮紙の束を、狂ったように読み漁っていた。その瞳には、かつてのギャンブル狂のそれとは違う、乾いた、しかし、何かに取り憑かれたような光が宿っていた。
その、息の詰まるような静寂を、ザガンだけが、面白そうに観察していた。
「フン、見ろ。希望を失った人間とは、かくも無力で、かくも醜いものか。実に、実に…」
「…うるせえ…」
俺は、寝返りを打ち、悪態をつく。
ザガンは、退屈のあまり、俺の悪態にも飽きたのか、霊体のまま、リリスの側へ移動した。 彼は、リリスが読んでいる分厚い法律書のページの上に、無数の巨大なゴキブリの幻影を出現させ始めた。
「うわっ、きもっ!」
唐突なGに俺は無意識に何歩か後ずさる。
「ああ、もう、退屈だ。何か面白いことはないのか。例えば、このゴキブリが、この紙の上を歩き回る様を見るのは、楽しいか、女王?」
「……」
リリスは、その幻影を見ても、眉一つ動かさない。ただ、冷たい視線でザガンを一瞥し、分厚い本をバンッ!と大きな音を立てて閉じた。
そして、血走った目で、一枚の古びた羊皮紙を、樽のテーブルの上に、叩きつけるように広げた。
「…小僧。もう、こんな生活は、終わりだ」
その声には、いつもの女王然としたものではなく、確かな意志が宿っていた。
「…あ?なんだよ、急に。どうせ、また、ギャンブルの必勝法でも見つけたとでも言うんだろ。もう金は一銭もねえぞ」
俺の、気力のない皮肉。
「まあ、リリスさん!何か、良いお知恵が浮かんだのですかっ!?」
いつの間にか起きていたセシルが、キラキラとした目で、無邪気に期待を寄せる。
リリスは、俺たちの言葉を無視し、羊皮紙の一点を、震える指で、指差した。
「見つけたぞ。金も、信用もない、我々が、自分たちの『城』を手に入れる、唯一にして、最後の方法をな」
彼女が指差した先には、こう記されていた。
『理由の如何を問わず、一年以上主なく放棄された土地および建物を、自らの手で"改修"した者には、当該物件の占有権を、ギルドへの申請をもって認可する』
時代遅れの、誰も見向きもしない法の抜け道。
「…なんだよ、これ…」
「かつて、都市の人口増加に対応するために作られた、古い開拓法の名残だ。とうの昔に廃れたものだが、法典からは削除されていない。つまり、今でも、この法律は『生きている』!」
リリスの、死んでいたはずの青い瞳に、ギラリと、狂的な光が宿った。
俺は、床から体を起こし、その条文を、食い入るように見つめた。
放棄された土地…。自分たちの手で、改修…。占有権…。
(…タダで土地が手に入るってことか…?いや、そんなうまい話が…でも、こいつは、古い法律だと…?)
その瞬間、俺の、死んだ魚のようだった目に、初めて、ギラリと、光が宿った。
それは、希望の光とは異なる、クズが新たな悪巧みを見つけた、ハイエナの光だった。
「まあ!自分たちの手で、お城を…!なんて、創造的で、尊いのでしょう!」
「お城…?ベッドは、ありますか…?」
イグニが、寝ぼけ眼で、呟いた。
皆の雰囲気は確実に明るくなってきている。
(いける、いけるぞ!!)
俺の心の内を見抜いたのか、空気の読めないザガンがその法律の条文を覗き込みながら面白そうにちょっかいをかける。
「フン。余もその法律は知っているぞ」
ザガンは、クッキーをかじるのと同じくらい軽い口調で、冷酷な事実を告げた。
「あの法律が廃れた理由を教えてやろう。『放棄された土地』というのは、単なる空き地ではない。『呪われている』『危険な魔物の巣』『都市の構造上、いつ崩落してもおかしくない』、つまり、『誰も触りたくない地雷』だからこそ、都市が所有権を放棄しているのだ」
「なっ…!」
俺は、思わずリリスと顔を見合わせた。リリスの狂気的な光が一瞬だけ揺らぐ。だがここで、辞めるなんて選択肢は俺たちにはない。
俺はザガンに言い返す。
「このままここにずっと住んでりゃ俺たちは確実に早死にする。ならイチかバチかでもやるしかないだろ。それにな。」
そこで俺は樽の上にいるザガンの目を見ながらにやりと笑う。
「そっちの方が『面白い』だろ?」
それを見たザガンは一瞬驚いた後、心底楽しそうに俺を見下ろした。
彼は、樽の上から立ち上がると、俺の肩を、ポン、と軽く叩いた。
「ククク…いいぞ、小僧。その目だ」
ザガンは、俺の、己の無能さを棚に上げた、根拠のない自信に満ちた目を見て、最高の笑みで、こう言った。
「―――最高の地獄を余に見せてみろ!」
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