第六話:『はじめての強盗2』

深夜。成金貴族の屋敷は、悪趣味な装飾で満ち満ちていた。けばけばしい緋色の絨毯が、足音をいやらしく吸い込み、そこかしこに置かれた金の装飾品が、松明の光をぎらぎらと反射する。空気には、甘ったるく、それでいて安っぽい香水の匂いが澱んでいた。


「おい、本当に大丈夫なんだろうな…見つかったら死刑だぞ…」


俺は、壁に背を預けながら、小声で悪態をつく。


「静かにしろ小僧。私の計画では、この時間は警備兵もいないはずだ」


「はずって言うな!こういうのは、大体その『はず』が外れるんだよ!」


「旦那様、リリス、ヒソヒソ話、楽しいですか?」


「「遊びじゃねえんだよ!!」」


「いやはや、これから強盗を働くというのに、この緊張感のなさ。これだから人間観察はやめられん」


ザガンが、楽しそうに実況している。


なんとか宝物庫の前までたどり着く。だが、そこで俺たちを待ち構えていたのは、三つの頭を持つ、❘巨大な魔獣オルトロスだったのだ。


「グルルルルルル…!」


三つの口から漏れる息は、腐肉の臭いをあたりに撒き散らし、巨大な爪が石畳を引っ掻く、ギリ、ギリ、という不快な音が響く。その六つの瞳が、爛々と輝き、俺たちを獲物として捉えていた。


「でけえええええ!?番犬ってレベルじゃねえだろ!」


「うるさい、小僧!…このクラスの魔獣を飼いならすなど、並の貴族にできることではないぞ!」


リリスも、さすがに計算外だったようだ。


「旦那様!わんわんです!大きいわんわんが、三匹です!」


「三匹じゃねえ!一個体だ!」


だが、その時、異変が起きた。 俺の後ろに隠れていたイグニが、ひょっこりと顔を出した。


「わんわん!」


「グルル…?」


あの獰猛な魔獣の唸り声が、一瞬、止まった。 六つの目が、一斉に、イグニの姿を捉える。 魔獣は、三つの頭で、くんくん、と空中の匂いを嗅ぐと、次の瞬間。


「クゥーン…?」


威嚇の唸り声が、まるで、甘えるような、情けない鳴き声に変わったのだ。 それだけではない。さっきまで、あれほど殺意をみなぎらせていた巨大な尻尾(鉄球みたいにトゲトゲだ)が、ちぎれんばかりに、ブンブンと振られ始めた。ドゴッ!ドゴッ!と、尻尾が壁に当たるたびに、屋敷が揺れる。


(は…?え?なにこれ?) 俺とリリスは、目の前の光景が、理解できなかった。


「あ!わんわんです!わんわんが、喜んでます!」


イグニが、嬉しそうに駆け寄ろうとする。


「あっ、馬鹿!やめろ!」


イグニが近づくと、あの❘巨大な魔獣オルトロスは、その巨体を床に擦り付け、ゴロン、と、腹を見せた。三つの頭が、同時に、イグニの手を、ベロンベロンと、舐めようと、必死に舌なめずりをしている。


(…なんでだよ!?なんで、最強の番犬が、初対面のガキに、腹見せてやがんだよ!)


『ほう…これは…。あの魔獣、イグニを、己の『主』、あるいは、『親』とでも、勘違いしておるようだな。ククク、愚かな獣め!』


ザガンの解説が入るが、さっぱり意味がわからない。


「おい、イグニ!お前、なんかしたのか!」


「なにも、してません!でも、わんわん、遊んでほしいみたいです!よしよし…」


イグニは、その、腐肉の匂いがする巨大な頭を、ためらいなく、よしよしと撫で始めた。


「…おい、行くぞ」


リリスが、呆気に取られながらも、小声で促す。


「いやいや、無理だって!こいつ、喜んでるけど!喜んで、じゃれついてくるかもしれねえだろ!じゃれつかれただけで、死ぬぞ、あれ!」


俺は、腰が引けていた。


「何をためらう必要がある、小僧。ただの駄犬だ。さっさと行け」


「てめえが先に行けよ!」


「わんわん、かわいいです!」


イグニが、三つの頭を、同時に撫でようと、奮闘している。


「ええい、埒があかん!」


リリスが、俺の背中を、ドンッ!と力強く押した。


「うおっ!?てめえ、押しやがったな!」


俺は、無様に数歩よろめき、魔獣の目の前へと躍り出てしまった。 魔獣は、「ワン!」と、屋敷が震えるほどの声で、嬉しそうに吠えると、俺にも、その巨大な舌を、伸ばしてきた。


「うわあああああ!やめろ!舐めるな!ベトベトする!」


「ハッハッハ…!好かれておるではないか、小僧!」


リリスが腹を抱えて爆笑する。


「うるせえ!」


俺たちは、異常なまでにご機嫌な番犬(という名の、地獄の魔獣)の横を、すり抜けるようにして、宝物庫の重い鉄の扉を開けた。 イグニが、名残惜しそうに、何度も、振り返っていた。


宝物庫の中は、成金の趣味の悪さを凝縮したような空間だった。そこかしこに金塊が雑に積まれ、センスのない宝石が埋め込まれた鎧や、けばけばしい絵画が壁を埋め尽くしている。


「うおおお!すげえ!金だ!金だらけだ!」


俺が、思わず金塊に手を伸ばそうとすると、リリスに、ピシャリ、とその手を叩かれた。


「下品な手を出すな、小僧。我々の目的は、あくまで『呪いの宝石』ただ一つだ。余計な物を持つと、逃走の妨げになる」


「へいへい…」


リリスは、俺を牽制すると、一人、部屋の中央にある、ひときわ悪趣味な台座へと、慎重に歩を進めていく。


「…やはりな。罠だ」


台座の周囲の床には、巧妙に隠された魔法陣の文様が、うっすらと浮かび上がっていた。


「フン。この程度の古典的な魔法陣、私の手にかかれば…」


リリスは、懐から一本の細いワイヤーを取り出すと、まるで熟練の盗賊のように、魔法陣に触れないギリギリの距離から、器用に宝石を引っ掛けようと、全神経を集中させ始めた。


一方、俺は。


「旦那様!キラキラです!お星様みたいです!」

イグニが、金塊の山を指差して、無邪気にはしゃいでいる。


「だろ!?すげえよな!おい、イグニ、見ろよ、あっちの剣!宝石、埋まりまくってんぞ!」


(リリスは、集中してて、こっち見てねえな…)

俺は、リリスの忠告など、とっくに忘れ、イグニと一緒になって、宝の山を物色し始めた。


「組長様!この、丸くて、赤い石、きれいです!」


「おう、ルビーか!でけえな!これ一個持って帰っても、バレねえんじゃねえか…?」


俺が、台座に置かれたルビーに、そっと、手を伸ばした、その時だった。 積まれていた金塊が、バランスを崩し、ガラガラと、音を立てて、崩れ始めた。


「うおっ!?」

俺は、崩れてきた金塊を避けようとして、派手に、足をもつらせた。


「やべっ…!」

バランスを崩した俺の体は、見事に、リリスが、あれほど慎重に避けていた、魔法陣のど真ん中へと、顔面から、スライディングした。


「あっ!馬鹿!貴様…!」


リリスの絶叫と、けたたましい警報が屋敷中に鳴り響いたのは、ほぼ、同時だった。


「だ、だから言わんこっちゃない!」


俺は、顔面を強打した痛みと、迫り来る絶望に、涙目で叫んだ。


「うるせえ!てめえが、あんなとこで、チマチマやってたのが悪いんだろ!さっさと盗んでりゃ、こんなことには…!」


「貴様の物欲のせいだ、この駄犬がァ!」


バタバタと、複数の足音が、こちらへ向かってくるのが聞こえたと思えば、屈強な鎧に身を包んだ騎士団長とその部下たちに、完全に包囲される。


「そこまでだ、ドブネズミどもめ!我が主の財産に手を出すとは、万死に値するぞ!」


絶体絶命の中、騎士団長が、大剣を振り上げた。


「まずは、その汚い頭目からだ!」


その光景を見て、イグニの瞳が、わずかに変わった。


「❘旦那様パンをくれる人に、悪いことしちゃだめです!」

彼女は、ただ、それを止めようとして、騎士団長の分厚い胸当てを、ぽんっ、と軽く押した。


ゴッ、という、分厚い鉄板を巨大なハンマーで殴りつけたような、硬く鈍い衝突音。

直後、空気が爆ぜる轟音が響き渡った。

騎士団長は、悲鳴を上げる間もなく、その巨体が背後の石壁に叩きつけられ、壁ごと弾け飛んだのだ。


轟音と粉塵の向こう側、屋敷の壁には、人間一人分が通れる、歪な風穴が空いていた。その穴の向こうには、静かな夜空が広がっている。


「た、隊長が…消えた…?」


部下の一人が、震える声で呟いた。

その、あまりに人間離れした光景に、俺とリリスは、同時に絶叫する。


「「え、こいつ、つええええええええええええ!?」」


ザガンの、心底、楽しそうな声が、頭に響いた。


『…フン。実に、下品な力だ。美しさの欠片もない、ただの暴力。…だが、良い!この、予想を裏切る、理不尽なまでの混沌!実に、実に愉快だぞ、人間!』


当のイグニは、自分の手のひらと、壁に空いた巨大な風穴を見比べ、不思議そうに小首を傾げた。


「…あれ?」


「壁が、なくなりました…?」


俺は、壁の穴を指差して感心しているイグニの手を掴んだ。


「ボーっとしてる場合か、この駄竜!宝石は確保した!残りの奴らが来る前に、逃げるぞ!」


「ま、待て!」


「逃がすな!」


残りの騎士たちが、慌てて槍を構える。

俺は、まだ状況が飲み込めていないイグニを引きずりながら、彼女が空けた風穴を指差した。


「リリス!あそこからだ!」


「分かっている!」


俺たちが、壁の穴に殺到した、その時。イグニの一撃で脆くなっていた天井の一部が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちてきた。


「うおっ!危ねえ!」

俺は、とっさにイグニを突き飛ばし、崩れてきた瓦礫の直撃を、左腕に受けた。


ゴキッ、と、嫌な音がした。


「ぐあああああ!腕が!俺の腕があああ!」


「小僧!しっかりしろ!」


俺たちは、文字通り、満身創痍で、その地獄の屋敷から転がり出たのだった。

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