『天才の出した答え』

まめた

第1話

「……シェフをお呼びください」


コース料理を食べ終えた一人の客が、静かにウェイトレスへと告げた。


「かしこまりました。ただいまシェフをお呼びいたします。少々お待ちくださいませ」


その声を背に、私は厨房を後にする。

こうして呼び出されるのは、もう何度目になるだろう。もはや儀式のようなものだ。


客席に現れた私を前に、男は感嘆の声を漏らす。


「とても素晴らしい料理でした。このコースは、まさに最先端を行っています。――きっとアナタの人生を大きく変えるでしょう」


……その類の賛辞は、正直、もう聞き飽きている。だがシェフとしては、笑顔で受け止めるしかない。


「ありがとうございます。それは何よりでございます」


そう口にしながらも、心の奥で私はふっと口角を吊り上げた。


――最先端、か。


客が無邪気に使ったその言葉が、やけに耳に残った。


私はかつて“天才”と呼ばれた料理人だった。

数々のコンクールを総なめにし、ミシュランの星も三つ獲得した。

そう、世に言う“三つ星シェフ”だ。


だが天才とは、祝福と同時に呪いでもある。

凡人の二倍、三倍の速度で走り抜けなければならない。期待という名の重石が常に背にのしかかり、次へ、さらに次へと、自らを追い詰めていく。


『天才』という言葉は、栄誉であると同時に――足枷でもあるのだ。


かつて――と過去形で言ったが、それは事実だ。


今の私は少々……いや、中々?

いや、むしろ大々的に。


……そう、大々的に料理に対してイップスなのだ。


毎晩、厨房に籠もり、夜が白むまで料理について考え続ける。

重圧、焦燥、期待――その全てが岩石のように胸へ積み重なり、私は次第に動けなくなっていった。


……では、先ほど提供したコース料理が“最先端”と呼ばれているのか?


その答えは、実に単純明快。


――『クソマズ料理』だ。


は?ふざけてんのか。

そう思うだろう。だが、話を聞いてほしい。


例えば絵だ。鉛筆で模写をする際に大事なのは、デッサン力ともうひとつ――『明暗』だ。(名案だ!)


白をより白く見せるには、隣の黒をより黒くする。黒もまた然り。真逆のものを並べれば並べるほど、お互いの存在は濃く、鮮明に浮かび上がる。これは視覚的効果のひとつだ。


味覚もまた、同じだと言える。

甘いものをより甘くしたいなら、糖度を上げれば良い――もちろん妥当な方法だろう。


しかし、健康の観点からすると、それは必ずしも最善ではない。


そこで『明暗(名案)』を応用するのだ。


甘味に甘味を重ねても、実際の甘さは増さない。では逆に――口に甘味を含む直前に苦味を先に与えるとどうなるか。


一度苦味で満たされた舌は、次に甘味を欲する。

そこに甘味を与えれば――落差により、通常の二倍の甘味を感じられるのだ。


もちろん、この理論は視覚や味覚に留まらない。


人間に与えられた五感すべてに、この原理は適用できる。興味があるなら、自分で試してみると良い。


私は、この理論を応用してコース料理を組み立てた。


前菜には、わずかにまずい前菜と通常の前菜を並べ、小さなコントラストを楽しませる。

スープでは、その差をさらに広げる。まずいスープと美味しいスープを同時に提供するのだ。


もちろん、まずい方を先に食べるのが理想だが、交互に味わい何度もコントラストを楽しむのも良い。

すべては客次第だ。


基本のコース順に従いながらも、私の工夫は一つ――同時に“マズい料理”を添えること。


従業員のほとんどは猛反対したが、私は無理やり押し通した。


結果、ほとんどの従業員が店を去った。

構わない。これは、私一人の戦いなのだ。


天才はいつだって理解されない。それで良いのだ。理解されてしまえば、もはや天才ではなくなる。


噂は瞬く間に世界に広まった。


「とうとう頭が狂ったか?」

「いや、新時代の幕開けかもしれぬ!食べに行かねば!」


そういった声が、ネットの隅々まで飛び交った。


しかし、新シーズン当日から数日も経たぬうちに――



私の店は潰れた。


――終わり。

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『天才の出した答え』 まめた @Mameta2147

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