小説と「正しい戦争」について

三月

まえがき




 あなたは小説を書くだろうか?


 はじめ、私は小説についてなにか語ろうと思った。たとえば方法論風に、自分の拙い技術やを後学のため残しておく、反面教師のような備忘録でもやろうかと思っていた。

 けれど、「創作論・評論」タグで調べればわかる通り、これは山程あって、取ってつけたくらいの内容でやるのは躊躇ためらわれた。創作論が知りたいならば、そうやって優れた書き手の書くものを見ればいいと思ったからだ。私は優れた書き手でない。だから他のことをやろうと思う。


 小説を書くには、自分ができることをやり、そして他の人がやっていないことをやればいいのだ。


 ✽✽✽


 とはいえ小説について話そうと思っていたのが、何をどうやったら「正しい戦争」なんて話題になるのか疑問に思われるだろう。これは単純で、備忘録を書こうとかいうのとはまた別に、前々から考えていたことを引っ張り出してきたからである。


 だいいち「評論」といわれて、いったい何を書けばいいのだろう。説得的に書ける自信がない。今まで一度も、文章を書いて褒められた経験というのもないし。だいたい「書き直せ」といわれて突っ返されるか、ノーコメントのいずれかである。そんな私に残された道というのは、決まった枠・書式で書かなければならないもの(論文や答案など)として文章を作るか、もしくは、あなた方にはなにか文章に見えるかもしれないがしかし本当は文章といった高度な知的生産物でもなんでもなく、ただの落書きであると言ってみるか、という二択である。私は、昔に書いた文章を引っ張り出すことにした。


 本題に入ろう。小説とはいかなるものであるかを考えるにあたり、幾つか切り口を用意した。これは独断と偏見による選出であるので、加えるべき論点、修正の必要、その他要望などあればご指摘頂きたい。


 (ⅰ)小説とはなにか=小説は、他のあらゆるものとどう違うのか?

 (ⅱ)小説とはなにか=小説とは、なにか固有の性質をもつか?

 (ⅲ)小説とはなにか=小説とは、つまりどうあるべきか?

  e.g. 「正しい戦争」の話題は(ⅲ)で取り上げることになるだろう。


 これらの論点でくっきり分けれるということもないが、読者諸氏のよりよい理解のためにも、一応の指針として提示しておきたい。また筆者としても、書いている最中に大いに脱線したり、結論を見失ってしまうことがあるだろう。よってあらかじめ、これらの番号を付すことで防止する企図がある。実効性は未知数だが。


 ここらで続きは次節に回したい。以降もできれば千字、少なくとも二千字未満で話をまとめていくことを目標としているからだ。まあ実際のところは、長く書いてしまうのが自分の癖で、しかもそれが読みづらいと絶賛を頂戴するためでもある。不思議なもので、自分の好みと、その上手い下手は一致するとは限らない。


 耳の痛い話である。【続】



 

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