第15話 一歩

「認めることと、受け入れることの違いってなんなのかしら。日本語って、どうもそこらへんが曖昧になっているようね。わかりましたって、わかっただけで、やるとは言ってないわよね。思うは、考えているのかしら。思うって語尾につけることは多いけれど、そこまで、日本人は思慮深いわけないわよね。他者への思い遣り、それが、思うということなのかもしれないけれど。一致団結できないこともあるでしょう。自分が思ってほしいように、他者は自分のことを理解しない。他者との違いを認めるということ、それを受け入れることは、なんだか似ているけれど、でも、確実に意味としては違うわ。誰かが、論理的に、合理的に、個人的に、功利的に、物事の正しさを説いたところで、それを、推進する力を受け入れるべきだとは、私は思えないわ。同調しない。貴方の意見を主張する権利は認めるわ。貴方が全てにおいて間違えていることは目を瞑るとしても。貴方の、主張する権利を認めはするけれど、受け入れはしない。そこらへんが、妥協点かしら。人間としての、妥協点。主義主張を言う権利は認めても、その正しさは受け入れられない。全てにおいて間違えている。ひとつには、なれないのよ。同じにはなれないのよ。そして、貴方は、世界と繋がっている。ひとりには、なれない。孤独を感じることも、あるでしょう。ひとりのままだったのなら、そんな孤独を感じないでいられたのに」

 またしても、学校の教室で僕は、いた。

 座って、いた。

 彼女と僕以外、無人の教室。

「一歩でも、この教室から出て歩けただけで、大したものよ。貴方にしては、だけれどね。だって貴方、私以外の人と、話しをしたことないものね。後遺症トラウマが残っているのでしょう? 貴方は、それを思い出さないように、している。そのために、ずっとこの世界から出られない。それが癒えるまで、私とお話しをしていましょう。こわかったわね。いたかったわね。でも、もう大丈夫。私が、貴方に尽くしてあげるから」

 妖艶で僕を見透かしたような彼女――哲学哲子は、そう言った。

 彼女がそう言うなら、そうなのだろう。

「オダラデク。貴方は、私のもの。抱きしめてあげるから、絶対服従をしなさい。そうすれば、貴方は、恐怖から解放される。全て、私に委ねなさい。心も、体も」

 そう言って、僕は、華奢な彼女の体に包み込まれる。

 なにもすることは、できなくて、だだ、その柔らかな体を感じていた。

 そこには、痛みや恐怖を忘れさせてくれる、誘うような甘い香りがして、僕はただ気持ちよくなっていた。

 彼女の言うことなら、なんでも、認めよう。受け入れよう。受認しよう。

 甘美な気分のまま、それを堪能していた。それを、認めよう。それを、忘れない。

「私のことを、忘れないでね」

 外に出られなくて構わない。彼女と、一緒にいられるなら。彼女の命が今日までなら、僕の命も今日まででいい。そう、これは、信仰に近い。僕にとって、彼女は、そういう存在なのだ。

「ねえ。こんな欺瞞に満ちた世の中だけれど。この世界のどこかで、真実の愛を手にした人が、いたかもしれないと思わない? 忘れようにも、忘れられない、真実の恋愛をした二人が、いたと思わない? 私は、貴方を愛している。この言葉が本当だと、信じられるかしら。そのわけのわからない不可解さが面白いと思わない? 小説とかって、なんでも書いていいのが、魅力なんだと思うわ。私は、貴方を愛しているかどうかすら、真実か嘘かなんて、誰が決めるのかしら」

「……」

 オダラデクの僕は、どう反応するべきか、わからない。答えなど、持ち合わせていない。

「貴方が見えている世界は、幻。貴方は、三十歳童貞の魔法使い。この教室は、幻想なのよ。貴方が中学生の頃のことを思い出して、それを具現化した世界。なにか、大事なことを忘れているのではないかしら?」

 三十歳童貞と、彼女がそう言うのだから、そうなのだろう。否応なしで、哲学哲子は言葉を続ける。

「貴方、この頃。なにかをしなかったかしら。とんでもなく、感情的になって。貴方は、月に吠えていたじゃない。この世の理不尽を呪うように」

 ――そんなこと。

 あったような、なかったような。

 彼女が言うのだから、そうなのだろう。

 彼女の言うことは、絶対的に正しいのだ。

「あんまり、私のことを信用しない方がいいわよ。貴方の名前さえ、オダラデクなんて、名前ではないのかもしれないし。貴方は、もっとちゃんとした人間の名前があったのでないかしら。そして、貴方は、オダラデクのふりをしているだけなのではないかしら。貴方は、真実から目を背けているのではないかしら。都合の悪い、真実から。まあ、それが、人間というものだけれど。貴方、中学生の頃、の?」

「…………」

 …………僕は、何もしていない。

「何もしていないことはないでしょう。しない、なんてことが、できるとは思わないわ。生きているのだもの。何もしない、なんて、できない。そうね。うーん、と。貴方は、ある女の子に恋をしていたのではないかしら。そして、あることをした。あることが何なのかは、わからない。でも、そのことを、貴方は、誇りに思っている。不思議よね。恋に誇りなんて、不必要なものではないかしら。まさに幻想的だわ。幻想に酔っているとしか思えない。それを、貴方は、信じて、確固たるものとして抱き続けていた。それが、壊れてしまわないように、大事に大事に守っていたのではないかしら。恋というものは、人を狂わせもするけれど、守りもする。絶対的な真実へと、人間の魂を駆立てる。時間が経てば治るのが、恋なのが、普通だけれど。貴方は、違うわよね。その壊れた破片を大切に、大切にしていた。記憶の欠片。それは、貴方を守りはしたけれど、同時に、攻めもした。攻撃をした。破片が心を痛めつけて、いた。貴方を守ろうとする反応が、貴方を痛めつけていたのよ。魔法ってね、目には見えないの。貴方も、魔法を使ったのよ。中学生の頃に。だから、今、その清算をつけないといけない。貴方は、何のために、ここにいるのか。それは、過去の恋に終止符をうつため」

 ――彼女が、そう言うのだから、そうなのだろう。

「真実の愛。そんな高尚なものが、存在するのかしら。気高く立派で、なににも代え難い、大切なもの。貴方は、中学生の頃を、何度でも脳内でイメージして、それを具現化できるほどに、なったの。貴方が信じていたものは、打ち壊され、それでも大切にしていたもの。バラバラになって、継ぎ接ぎになって、虫食いのように穴だらけになった貴方の記憶。時系列もバラバラで、どこから読んだらいいかわからない。そんな物語を、教えてくれるかしら。心を痛めて、可哀想な貴方のこと。恋に敗れて、負け癖がついた貴方の耳障りな遠吠えを、聞かせてくれないかしら。その痛みの根源を、血生臭い匂いを嗅ぎながら、舐めとってあげるから。痛い、痛いと泣き叫ぶ貴方の顔を肴にして。何度も、何度でも。聞いてあげるわ」

 なぜ、彼女は、僕にそこまで執着するのだろう。

 わからないけれど。

 僕は、語るべきなのだろう。

 オダラデクの僕は、語るべき物など、持ち合わせていないけれど。

 彼女が、そういうなら。

 無いものを、有ることにしようではないか。

 だって、僕は、彼女に夢中になってしまっているのだから。

 その美しさに、魅了されてしまっているのだから。

「じゃあ――」

 と話しを切り出す。

 ずっと、哲学哲子の話しを聞いていた、聞くだけの僕は、やっと、話しを、始めた。

 感想を、始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る